クルミドコーヒーに行ってきた! /240684

及部君の紹介で、クルミドコーヒーに、学生8人で押しかけて(!)店主・影山さんのお話を聞きつつ、クルミドコーヒーの、コーヒー・軽食・デザートを楽しませて頂きました。

  • クルミドコーヒーって?

このカフェをボクらの娘たちのために作ろうと思う。
ボクらの娘が、もう少し大きくなって
楽しめるカフェを作ってみたくなりました。
たとえ潰れても、やってよかったと思えるカフェ。
わたしの街にも、こんなカフェがあればいいと思えるものにしたい。
こどものカフェといってもテーマパークや幼稚園や、
おまけをくれるカフェではない。
大人もこどもも、お年寄りも、静かでくつろげるカフェ
こどもをとりこめば大人がついてくるというのではない
本当のこどものカフェを、
愛娘のために作ろう

JR西国分寺駅南口を出て徒歩1分。
見えてくるのは、クルミドコーヒーとはためく旗。
「愛娘のための」喫茶店がここにあった。


今回は、2歳の娘が居るという影山店主に、お話を伺った。

  • お父さんが、本気を出して夢を追いかけたらこうなる

元マッキンゼーのコンサルタントで、ベンチャーキャピタリストな店主・影山さんはだけど、お話の最中、ずっと、父親か、秘密基地を作る少年のような面持ちだった。
父親が娘を「効率的に育成」したりはしないように、愛情と手間暇をかけて、お店とコーヒーを作っているみたいだった。
少年が自分の秘密基地を、最高の場所に仕立てるように、「普段はこんなに説明しないんだけどね」という、お客さんも知らない秘密がいくつも仕込まれていた。

      • 味蕾が目を覚ますような、コーヒー、パン、チーズケーキ

コーヒーは、エスプレッソ主流のコーヒーが多いけれど、ここではやっぱり「水出し」。一秒に一滴だけ垂らして、何時間もかけて抽出する。加熱して出せば効率も良いのだけれど、苦味やエグ味が強くなる。

コーヒーや紅茶に入れられる砂糖も、キビ糖で作った角砂糖が用意されている。甘さだけを抽出した白砂糖ではなく、天然の栄養も含まれる、キビ糖にしたかった。キビ糖にすると、白砂糖よりも水分を吸ってしまい、すぐ固まってしまう。そこで、角砂糖にした。けれど、コーヒーの味がしなくなるような大量の砂糖も入れたくなかった。そうして、最後に残ったのが1gのキビ糖でできた角砂糖だという。普通のコーヒーよりも、むしろ少し酸っぱいような、そんな感覚のコーヒーは、香り高く、途中で水で嚥下することなく、楽しめた。

軽食のメニューも、ほぼ全て、店内で調理する。グルテン豊富な強力粉からマフィンを作り、そのマフィンに挟むのは、わざわざフライパンで焼いたポテトサラダ。2層のゼリーからできたデザート。手を抜かない。そんな姿勢があった。

中でも、チーズケーキは衝撃だった。少し酸っぱいような、きちんとしたチーズの味がした。甘さだけではなく、少し酸っぱい感じが、味蕾を刺激するのだという。これに比べれば、普段食べていたチーズケーキは、クルミドのチーズケーキの残り香だけに、砂糖を大量に混ぜたような、感覚がする。

お菓子を作るとき、普通、大量に砂糖を入れる。クルミドのデザートは、そんなに砂糖を入れなくても、楽しめるんだよ、と語りかけるかのようだった。舌が感覚を、取り戻すような感じがした。帰りにコンビニに寄ったけれど、なんだか、何も買う気になれなかった。

店内で調理していないもの、天然酵母パンや、コーヒー豆や、アイスクリームも、アルバイト含むスタッフ全員が工場に見学に行き、「手間をかけて、嘘のない、本当のもの」を使っている事をその目でみているのだという。だから、後ろめたさの、ない店なのだという。顧客に対して。もちろん、娘に対して。

  • 場所が語りかけてくる

内装にも、途方も無い手間ひまが、掛かっている。

一枚一枚、みんなで張ったという味のある床。「盛り加工」ではなく、珪藻土を用いたという厚みのある壁。樹齢300年、一枚板から切り出された味わい深いテーブル。そのテーブルに「ご自由にどうぞ」と置かれているクルミ。キノコの形をした、可愛らしいくるみ割り機。そのテーブルと床を見下ろす、くるみ割り人形。低くしつらえられた電球と、一滴一滴、コーヒーを抽出していく水出し機と、そのガラス玉の輝くような。

背筋が、伸びるような感覚があった。

    • 地域と共に、子供と共に

でも、なぜ「西国分寺くんだり」にあるのだろう。もともと、クルミドコーヒーのある場所は、影山店主の生家だったのだという。そこを、「マージュ西国分寺」という集合住宅に作り替えて、その一階にクルミドはある。子供のためのクルミドが、地域を繋ぐ。

クルミドでは、子供たちに、「マージュ」という地域通貨を報酬に、お手伝いをしてもらうのだという。スタンプを押して貰う仕事や、店の前の落ち葉を集めて、綺麗にしてもらう仕事。

でも、その仕事の評価には、手を抜かないのだという。いい仕事をしてもらって、だから報酬が出せる。ひとの役にたったから、「100マージュ」がもらえる。こんなところにも、子供だからといって、手を抜くのではない。こどものための、本物があった。

  • 惜しみない一手間が、現実と物語を交差させる。

現実の時間に人が、一手間一手間をかけると、そこから物語の、時間が流れはじめた。知覚できないけれど、言葉にできないけれど、感ぜられる何かは、確かにそこにある。意識にはのぼらないのだけれど、スタッフ総出で油を塗って、タッカーで留めた壁材には、色の差、木の味、無数に開いた穴があって、それらは無口ながら、たぶん雄弁に語っている。

  • Nothing but perfect

およそ目にする、およそ口にする、およそ手にする、すべてに物語があった。クルミドコーヒーという物語はそしてこれからも紡がれる。ここで書いた以上に、紹介しきれない秘密が込められている。

それはそうだ。大人がまるで、子供のように、本気で作った秘密基地。筆舌に尽くしがたい。感得するよりない。

影山さん、お時間取っていただき(しかも、2時間のお約束だったのに4時間も!)ありがとうございました!
クルミドコーヒーへは、こちらから。
影山店主のブログはこちらから。

未来の働きかた、について[日々][思惟]/237110

  • Stanford GIT

Stanford大学が、今日本でも行われている『Global Entrepreneurship Week』の中の1イベントとして開催している、Global Innovation Tournament(GIT)というイベントがあります。

世界中の学生が、発表される「世界共通の課題」に取り組み、思考し、試し、その結果を3分程度の動画にまとめ、YouTubeにアップロードする、というイベントがありました。

「世界共通の課題」というのは、例えば去年は捨てられている「ペットボトル」をどうするか。というお題で、今年度は、「Make Saving Money FUN!(楽しく貯金してごらん☆)」がお題。現在の不況を反映したテーマです。

この課題が11月5日に発表され、11月13日・日本時間17時に回答(YouTubeへのアップロード)締切という、中々にタイトなスケジュールなのですが、今回、このStanfordGITに参加し、即席のチームを作り、協働する事ができました。

結果として、以下のような動画を提出できました。



素晴らしいメンバーに恵まれて、希有な体験ができたのですが、今回はそこから見えてきた(気がする)未来の働き方について考えを巡らせます。主に、「チームをつくる」という視点からの示唆を出します。

尚、ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」は読みましたが、「フリーエージェント化社会の到来」は未読ですので、あとで「答え合わせ」をしてみたいと考えています。

  • 短期のプロジェクトベースで、エネルギーを一気呵成、燃やし尽くす

今回、11月5日課題発表。11月13日・日本時間17時までに回答という、中々にタイトなスケジュールだったのですが、私が参加を決意し、メンバー候補に連絡を取り、出ないか!?とメンバーを誘い、そうして、5人のメンバーが揃ったのが、締切り21時間前の11月12日20時でした(笑)

そこから、終電までの3時間、超楽しくディスカッション/ブレインストーミングし、アイディアをひねり出しました。真面目と不真面目が融合した、楽しい空間でした。

  • Leverage Diversity and Capacity

そして
「SAVE Moneyって言うけど、SAVEって色々解釈できるよね、Social and Venture Entrepreneurとかw」
「じゃあ、S・A・V・Eそれぞれどんな解釈できるか考えようぜ!」
「V…バイオ? 」
「それ、VじゃなくてBだよww VだとSONY製品だなw」
みたいな場の暖めがあって、

「100万貯まって彼女できるなら、絶対おれ貯金するんだけどw」
みたいな『不謹慎』発言に、今回の火種が燻って、
「じゃあどうやって女の子と会わせるんだよw」みたいな所から、
「100万貯めてカレシが欲しい女の子とマッチングさせればいいんじゃん?」
といったアイディアに飛び火。

そして、ここから、

    • 貯金の目的(夢)と貯金の目標額とをまずは明確にしよう。
    • その夢に沿った、動機づけを、貯金するたびに行う。
    • 目標額を達成したら、そのお金をどう使えば夢が実現しうるか、サポートが受けられる。

→夢の実現を応援する、【Concierge Bank】を!

あれ、じゃあ銀行のメリットって?

    • 「定期預金」ならぬ「定額預金」。100万貯めます!って言ったら、100万貯める前に解約すると定期の解約みたいに手数料を
    • ユーザの行動データ・嗜好データの収集→マーケティングに
    • コンシェルジュサービスで、サービスの執行まで行って、マージンを取る(cf.海外旅行したいという夢に対し、旅行ツアーやパッケージを選別執行。10%採るとか。)

3時間でこんな風な「面白い」展開が起きたのは、こんな参加者が集まったからじゃないだろうか:

・空気読まない
・けど、人の発言を拾う/乗っかる
・揶揄する。でも馬鹿にしない。
・真面目にふまじめ
・バックグラウンドが、文理も、嗜好も、学年もバラバラ

こんな、優秀で、だけどバラバラな人、自分と違う人を集めること。
もしかしたら、合わないかもしれない人同士を繋げること。

こんな事が上手くいったのかもしれません。「誰をバスに乗せるか」が驚くほど上手くいった。

  • 時間を・人脈を「出し合う」

「急造」のチームですから、当然、予定が合わない人が出てきます。翌日・最終日は参加できないメンバーも居ましたし、昼から授業に向かったメンバーも居ます。そして、昼だけ動画に出たり手伝ってくれた新しいメンバーや、朝から動画編集に加わってくれたメンバーが居ます。

この日、必要な人を、数時間だけ、借りてくる。そんなイメージです。僕がこれまで知らなかった人とも出会えたし、そういう人たちと一緒に何かやれたのが愉しかった。

  • イメージ/やりたいコトを共有する。信じて任せる。確認する。目指せ、8割クオリティ。

新しい人に、昨日からのメンバーに、「イメージ」を共有します。締切まで、7時間。

・僕らは、何がしたいのか。メッセージは何か。
・そのメッセージを、どんな流れで表現するか
・各々にやってもらいたいことは、どんなことか。
・作業をパラレルで回す。チーム分け。

ここのシェアを疎かにすると、絶対に上手くいかない、と思います。何か道筋を引く事で、むしろそこから離陸する、新しいアイディアを誘発できます。この初めのイメージ、を前提に、プラスアルファ。

  • Commitment and "Complete Work":フルコミットする人が「全部」できることが大切

仕事にはかならず「完結性」が必要です。実は僕は、パワーポイントをいじるのも、画像を創るのも、ビデオを撮るのも、動画編集も、(クオリティは全てがそんなに高いわけではありませんが)、できます。

動画編集をしてくれた友人(集合8時間前の深夜にアポを取られた(笑))は、14時まで時間と力を貸してくれ、その後、当初の用事をこなしに。

この時、いくらそこまでのクオリティが高くとも、尻切れトンボでは、「完結した仕事」にはならないと考えます。それは単なる動画クリップの残骸であり、公開した所で、視聴者に何の貢献もできない。だから僕に、ここまでの素晴らしさを、「完結」に向けドライブする責任がある。
クオリティは低くとも、一度最後まで作ってあり、メッセージが届けば、それは「完結した仕事」になる。最初から最後まで、全員がコミット出来るわけではない時、特に「特殊技能」に長けた者がフルコミット出来ない場合、それが抜けた時に「完結性」をどう賄うか、という事を考えるのが恐らく、プロジェクトの成否を決めます。

  • 「楽しい体験」が次回のメンバーを創る。

今回コミットしてくれたメンバーは、楽しそうでした。実際に「こんな働き方味わったら就活やめたくなったわw」みたいな声もありました。ギリギリの、時間に制約された状況下で、各人が持てるリソースを出し合って頭を絞り、何かアウトプットを出そうとする様は、分配ゲームの要素は入りようがありません。パイの分け方を考えていたら、パイが焼き上がらないのは自明ですから。そして、みんなで、短時間で、質の高いパイを焼こうぜ!と頑張るのは、やっぱり楽しい事だった。

そして、今回、このプロジェクトで「たのしい!」と思ってくれた人は、次回の僕の「ねえねえ、今日の夜ひま? 実はさ…」という怪しげな誘いに、きっと乗ってくれることでしょう。ちょっとした用事ならカットしてでも。この楽しさの蓄積が、きっと次回のメンバー集めの成否を分けるのだ、と思います。

  • 明日の働き方にしては足りないところ

以上は、今回あった「良い事」だけを書きましたが、実際には、現在のアウトプットでは「食え」ません。僕は実際、こういうプロジェクトベースで、創造的で、楽しい働き方をしたいな、と思うのですが、僕自身も、周りの友人も、100倍くらいパワーアップすれば、こういう事をやって、そしてそれで食っていけるのでしょうか。

  • 明日の夢と、今日のパン

そして、こういう仕事(というか)の仕方は、実のところ、継続性に欠きます。例えばイノベーティブなサービスを考えて、創ったとして、それを日々運営する人が居なくては、成り立ちません。

ここで、こんな本の一節を、思い出します。

『お互いに「今日のパン」チームと「明日の夢」チームを時々乗り換えながら進もうぜ』と。大切なことはお互いのエールの交換。とりわけ「明日の夢」を追う人達は、「今日のパン」チームに対する感謝の心を忘れてはいけない。その心があれば、新規事業は正しく会社の期待になる。
P162/生嶋誠士郎「暗い奴は暗く生きろ」(新風舍 2007)


今日のパンを噛みしめつつ、それでも僕は、明日の夢追い人で居たいと、そう考えるわけであります。


ちなみに、他の日本人チームの動画は以下です。

学生のためのスキルアップ入門/233362

  • 成長・スキルアップは、練習・訓練から産まれる

 不況、というのも後押ししてか、周りの学生の中にも勉強熱心なヒトは多い。授業をきちんと受ける、だとか、ビジネスマン向けの本を読む、だとか、セミナーや交流会に参加する、だとか。

 しかし、往々にしてそれらは、知識というよりむしろデータをデータとして頭脳に押し込んだだけで、スキルになっていないように思う。スキルとは、再現性を伴う技能であり、例えば足し算ができること。例えば分かりやすいドキュメントが書けること。例えば伝わるプレゼンテーションができること。例えば上手なインタビューができること。

それらが再現性を伴って「できる」ためには、手順、方法論、考え方の理解と共に、その血肉化というものがどうしても必要だ。つまり、時間をとった、練習・訓練が必要だ。

  • 訓練の指針:精度と速度

およそ訓練には、二つのパラメータがある。それは精度と速度だ。この二つのパラメータに気を配りながら、訓練を行うと上手く行く事が多かった。

    • まずは精度から始める。

 足し算を知らずして、足し算を行う事はできない。まずは「精度」からはじめよう。ゆっくりやれば、足し算ができる。ゆっくりやれば、お箸が使える。ゆっくりやれば、良い文章が書ける。ゆっくりやれば、問題が解ける。

 そう、精度―なんとか「できること」からはじめよう。「なんとかできる」と書いたのにはワケがある。理解すること、知識をインプットすることではなく、アウトプットが目指されていなくては意味が無い。足し算の原理を理解する事がゴールではなく、ある程度理解した上で、実際に「できる」事「結果がでる」事が重要だ。

だから「精度」を言い換えるとこうなる:精度の向上とは、より良い結果を目指す事。より完璧を目指す事。

    • 速度を視野に入れる。

多くの人は、「精度」で満足する。だからそこで成長が止まる。次に目指すべきは速度だ。速度を目指す事で、恐らく大多数のヒトと差がつけられる。先ほどできた事を、「できない」くらいのスピードでやる。精度を、敢えて落とす。

大人は「足し算」は、ゆっくりやれば、誰でも完璧にできる。だが、その速度となると、優に10倍を超える。その差は、速度に対する意識の有無と、そこからの研鑽に依る。

 速度を上げよう、というとき、精度を犠牲にしてでも、速度を上げなければならない。例えば、100マス計算が1分でできていたのを、50秒で打ち切りにする。間違えてもいいから、50秒で全部埋める事を目標にする。これまでゆっくりでできたものを、急に高速にするのだから、当然、できない。"Get out of comfort zone"とは恐らくこういうことで、そのできない速度の中で足掻き、精度を上げようとするから、速度と精度が上がる。できる速度に甘んじていれば、そのまま成長は無い。

 同じドキュメントを製作するのでも、半分の時間でできないだろうか。同じプレゼン資料を作るのでも、二倍の速度でできないだろうか。普段の速度を測り、制限時間を決め、やってみる。

    • 速度の限界、手法の更新、結果の向上

 速度にもやがて、限界が来る。この速さでは、どうしてもできない、という時がたぶん来る。その時は、(1)やり方を変えるか、(2)ゴールを変えるかだ。

 (1)時間という制約条件の中で、どうしてもできないから、工夫をする。やり方を変える。今までやってきたプロセスを、ただ高速で踏襲するのではなく、やり方を変えてしまう。例えば、掛け算。九九では限界があると思えば、インドのように20×20まで暗記してしまう。例えば、プレゼンテーション。スライド修正の時間をなくすため、はじめにテキストエディタで軽く全体の構成を作る、というステップを入れて、むしろ全体の時間を短縮する。例えば、エクセルでの処理。マクロを学んで、自動化する。

 (2)足し算や掛け算のように正解が一つで無いものは沢山ある。「スキル」という時、たいていは唯一の正解は無い。だから、ゴールを変えてしまう。目指すものを変えれば、もしかするとより良いものが、より短時間で達成できる。

    • いま、精度と速度、どちらを目指すか


 ゼロから始めるならば、精度から始めた方がいい。でも、今「少しだけできること」に対して、どちらを目指せば良いのだろうか。答えは、たくさん、カジュアルに、失敗ができる方だ。負荷が掛かり、苦しい方だ。まだ試していない方だ。

適切な負荷を掛け続けると、人間とは良くできたもので、それに「慣れ」る。慣れると、その負荷が当たり前のようになる。より過酷な環境への適応は、成長でありうる。

  • 成長という病:

このような「成長すること」を求める人は多い。なるほど不安な社会情勢にあって、能力というのは最高の保険であろうし、ドラッカーが

知識労働者たる者は、仕事のなかに継続学習プロセスを組み込んでおかなければならない。

との喝破したように、成長は競争力の源泉になりうる。

例に漏れず、私もそうだった。成長を求め、読書をし、授業を受け、セミナーに出席し、自己研鑽を怠らない。これら自己研鑽は、確かに今の私の力を幾許か担保する。だが、私は、いつの間にか「成長」を求めなくなった。「学び」にフォーカスする事をやめてしまった。*1

  • 成長:価値を産み出す事

 より成長すると、よりスキルアップすると、より能力が上がると、なぜ「保険」になるのか。それは、より多くの価値をより少ないリソースを用いて提供する事ができるようになるからだ。その度合いを優秀さと定義するならば、優秀な人間は少ない資源で多くの関係各者を幸せにする事ができ、だからこそ市場から必要とされうる。

 しかし、「価値」は個別具体的なものだ。ある何かが価値かどうかは、顧客と、その顧客の置かれた状況に依存する。

  • 準備と本番

 だから、価値提供能力を上げるためには、価値提供の「本番」を重ねるしかない。顧客を想定しない、漠然とした「スキルアップ」は効率が悪いのではないか。そう思うようになった。

 例えばプレゼンテーション一つをとっても、いつかはプレゼンする時もあるだろう、とプレゼン練習を重ねるのと比べ、24時間後の卒業論文の発表に向けて、発表内容と構成を細部にわたって検討し、出席する先生方の顔や専門分野を思い浮かべながら、身振り、手振り、強弱、抑揚に注意をし、制限時間に気を配りながら、老練の教授たちにも少しは価値あるメッセージを吐けるように、【調整】を繰り返すのとでは、練習の質が格段に違ってくる。

 そして何より、提供価値は、必ずしも、自分自身が「既に十分学んでいるか」に依存しない。ちょっとした、「賭ける勇気」や、「偶然との邂逅」あるいは、「気づきと直観」が、成果を大きくわける。これらは、本当に、「顧客」や「問」の息遣いが感じられるほどにフォーカスしてこそ、最大化できる。

  • 自ら本番を創り出す:真摯さ

 同じ卒業論文を書くのでも、「本番」と見なせる人と、そうでない人が居る。真剣に取り組める人と、そうで無い人が居る。もちろん全てに「本番」と思えるわけでもないが、本番であるためには、ある種の没頭が必要であるように思う。その没頭に於いては、成長してやろう、学んでやろう、という打算は、むしろ邪魔になる気さえしている。

 没頭に必要なのは、コミットメントと楽しさだろう。コミットメントとは、顧客との約束を守ること。顧客の期待に対し責任を持つこと。やると決めたことを、きちんとやり遂せること。

 そして、楽しさはまさに、コミットメントから産まれる、と感じる。コミットし、対象を観察し、より深く理解しようとし、好きになる。だから、何かが本番であるためには、没頭できる本番であるためには、コミットメントが必要なのだ。

 ではそのコミットメントは何によって産まれるか。それは偏に、「真摯に考える事」だと思う。なぜならコミットメントには必ず対象が存在し、成果を出すためにはコミットメント対象への「チューニング」いわば、対象との【対話】のようなものが必要で、対話には、自分自身の思考や情動に対して、また、対象の現実に対して、その時限りであっても、真摯であることが求められからだ。真摯さとは、誤魔化さないことだ。嫌なこと、非情な現実、自分自身がよく理解していないという事実、それらを直視するところから、始まる。これらを直視しない「対話」は、単なる表層に留まり、コミットメントに値するような成果を出す事はない。

  • 真摯に考える為に

真摯に考える―誤魔化さないで、現実や、自分の求めるものを直視する―ためには、以下のような事が考えられる。

■抽象化する
◇意味づけする
解釈する・疑う
◇言葉・表現に注意を払う
◇整理する。順序づける。階層化する
◇本質を捉える
◇不要なものを除去する
◇重要なものだけを考える
◇関係、文脈を考える

■具体化する
◇分割する
◇計測する
◇実験・実行・行動する。

■シミュレーションする
◇最善・最悪の場合を考える
◇要素を取り除いてみる
◇要素を付加してみる

  • まとめ

だから、結論としては、こうだ:初めがあって、終わりのある、プロジェクト期間中、ただただ真摯に打ち込む。コミットする。本番化する。振り返り、学び、成長を確認するのは、プロジェクト後でいい。

そして、なにより、そういう本番こそが楽しいのではないか。生きた実感が持てるのではないか。観察し、思考し、洞察し、仮説を立て、検証し、賭け、そして具体的に、誰かの何かを変えていき、価値らしきものが本当の価値へと昇華され、喜びを創り出すときの脳がひりつくような感覚はきっと、音楽やゲームや、ニコニコ動画や、「成長の喜び」と言ったモノでは味わえない。

もし、スキルアップの、自己成長の喜びが守りの楽しさ、安全な楽しさ、箱庭の中の楽しさだとすれば、本番の楽しさは、攻めの、危険な、フィールド上の楽しさであって、その楽しさの質も、経験の質も、前者とは桁違いのように思える。


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併せて読みたい:

よい仕事をするために

あざやかに生きる

卒業研究のすすめかた

投資対効果の極めて高い、プログラムなんて分からない人のための「単純作業自動化」入門

*1:とはいえ、英会話とか読書くらいは日々の準備として?やってるのも事実。両輪だろうなー。

IDEO/人間中心ワークショップHuman Centered Design Process/227583

■Human Centered Design Process

東京大学が最近始めた、イノベーションの学校"i.school"に参加してきました。第一回「人間中心ワークショップ」は、世界最高のデザイン・コンサルティング・ファームであるIDEOとの共催。IDEOの他、博報堂イノベーションラボ・大阪ガス行動観察研究所、味の素、シスコ、早川書房の方々の協力のもと、世にも贅沢なワークショップでした。

IDEOとは、The Art of Innovation/The Ten faces of Innovationなどの書籍(早川書房)

で知られる、デザインファームであり、Appleの最初のマウスのデザインや、最近ではBank of Americaの金融サービス設計を【人間を中心に】行っており、その方法論を、"Human Centered Design"と名付けています。

今回はそのプロセスを、Toward better communication between working mothers and their children at home(家庭における働く母親と子どものより良いコミュニケーションに向けて)という、些か漠としたテーマを基に、有給を取って(!)教えに来てくれたIDEOの方の直接の指導のもと、一通り体験する事ができました。今回は、そのプロセス順に、実践を通してお話します。

目次

◆i.school and IDEO/東京大学ischoolとIDEO
◆Human Centered Design/人間中心設計
◆Observe & Understand/理解と観察
◇Interview Technique
実践〜一日目/二日目〜

◆Synthesis/意味を付与する
◇Download and share stories/共有
◇Insights/洞察
◇Themes/テーマ
◇Opprtunity Areas & HMWs
・Opportunity Areas/機会はここに
・HMWs: How might we.../我々はいかにして...
実践〜三日目〜

◆Brainstorm & Prototype/ブレストとプロトタイピング
◇Ideas/アイディア
◇Concept Prototypings/コンセプトをカタチにする
◇Expression & Visualization
実践〜四日目〜

◆Final Presentation
実践〜五日目〜

  • Human Centered Design/人間中心設計

まず、Human Centered Designとは、世界を良くする新しい解決策を産み出すための、プロセスとテクニックのことです。解決策とは、プロダクト、サービス、環境、組織、インタラクションなどのことです。

このプロセスが「人間中心」と呼ばれるのは、まず「人から」スタートするからです。まず、解決策によって影響を与えたいと思う人々のニーズから、夢から、行動からスタートするからです。人々の声と行動に耳を傾け、「人々の望みのレンズ」を内に形成し、そしてプロセスの全てで、このレンズを通して世界を眺めます。

それによって、真に人々が欲しいと思う、真に人々に役に立つ、そんなモノやサービスを作ることができる、というのです。

はじめプロセスを俯瞰すると、プロセスはこのようなObserve & Understand/Synthesis/Brainstorm & Prototypeという3つのステップからできています。

  • Observe & Understand/理解と観察

ここで行う観察は、主に「定性的」な情報を集めるための観察です。定量的なデータとして人々を扱うのではなく、一人の人として顧客にコミットする。そのために、先入観を排し、気持ちと行動を聞いていきます。

また、多くの顧客の「今」に注目し、一般的な顧客に迫るのがマーケティングリサーチだとすれば、特殊(Extreme)な顧客の「未来」にフォーカスするのが、IDEO流の定性インタビューです。

    • Interview Technique

インタビューには幾つかテクニックがあり、中でも大切なのが以下の3つ

Open-Ended Question:Yes/Noで答えられない質問をする
Five whys' / 何故?と掘り下げて聞く
Show me, Draw it / みせて貰う、やって見せてもらう、書いて貰う

    • 実践〜一日目/二日目〜
      • 準備

以上の実践のため、一日目は、「まずインタビュー先に撮っておいてもらったビデオを見て、気になる事を書き出す」→「インタビューの項目作り」を。

インタビューで「これを聞こう」という決定リストではなく、大まかな「構造」を作るためのリスト。例えば「夫について聞こう」とか、「家自体について聞こう」とか「周りの友達やコミュニティについて聞こう」とか。あくまでも大枠を固める事が目標です。

注意しなくてはならないのが、このインタビューが、仮説検証型の情報収集ではなく、むしろ仮説を出すための、インタビュー対象となる人、問題を解決し貢献したいと思う人、その気持ちや行動に迫り、「自分の中に、その人を作る」事が一つのゴールである、と言うところです。
cf:リクルート「創刊男」の大ヒット発想術

      • インタビュー

保育園と、働くお母さんのご家庭へ訪問。保育園では、ゼロ歳児の公園遊びを見たり、保育園の中の施設を見たり、園長先生にインタビューをしたり。大変そうな中の、意外なシステマティック性や、各所に凝らされた工夫を目の当たりにする。園長先生のインタビューでは、中々核心には迫れず、「用意された外向きの回答」のようなものに始終してしまいました。

午後はグループ7人を2班にわけて、僕らは4人で働くお母さんの自宅へ訪問。こちらはお仕事の話から入り、生活時間帯や、コミュニティ、家庭の話と話を聞いていく。他の友達のお母さんとどんな話をするのか、子供とどんな話をするのか、どんな時にうれしいのか、そんな話を聞いていきました。

  • Synthesis/意味を付与する

第二ステップSynthesis(統合)とは、観察から得られた情報から、意味を見出すプロセスです。

Synthesis is about making sense of what we've seen and heard during the observations. Synthesis takes us from inspiration to ideas from stories to strategic directions. By aggregating, editing, and condensing what we've learned, synthesis enables us to establish a new perspective and identify opportinities for innovation.

意味を付与するというのは、集めた情報の内に、パターンや関係性を見出すことです。では、どうやって?それは、集めた情報を共有(download)した上で、本質的なインサイト(洞察)を見出し、取り組むべきテーマを見つけ、機会領域を見出すという順序で行われます。

    • Download and share stories/共有

インサイト/洞察を出す前に、まずは情報の共有をします。
「ダウンロード」とも呼ばれるこの共有のプロセスを見た、得たものを「半生」で記述することによって、チームメンバーの前提を揃えます。

たとえば、幼稚園の見学だと、「保護者に心配をかけない対応がマスト」「親同士の揉め事は怖い」「オムツ替え、システマティック」「子供は仕事を手伝えてうれしい」こんな感じです。言葉だけではなく、絵や図も交えて、Post-itに貼っていきました。

    • Insights/洞察

上記で共有した情報から、鍵となる洞察を見出します。Insightとは、洞察のことですが、私たちは共有した情報・ストーリーを、うまくカテゴライズし、ラベルを貼ることによって行いました。

見つけたインサイトは、例えば幼稚園であれば、

泣くと一対一でケア。それ以外はたくさん。
子供が言葉が分からなくても、ずっと子供に話しかけている。
●●ちゃんこのおもちゃ大好きなんだよねー、と保母さん同士が話している
インタビューにて、0歳児は保母さん1人で3人まで見れる決まりだが、本当は無理。

といったような幾つかの事実から、「一人一人へのふれあいを大切にしたが、できない(のでは?)」といったインサイトを。

例えば働くお母さんであれば

「ずっと一緒に居たい。保育園には預けたくない」
「ご飯は子供中心の味になっちゃうから、たまに大人の味が欲しい」
「机を大人の食事用と子供の食事用で分けている」

といったような幾つかの事実から「自分中心で育児を回したい(のでは?)」というインサイトを。

    • Themes/テーマ

さらに練り直し、グルーピングし直し、全く別グループの思考なども参考にし、テーマを見つけます。いわばインサイトの似たものや矛盾するものをさらに昇華する作業です。ここで、保育園と働くお母さんのインタビューを「混ぜ」ていきます。保育園と家庭という、異なった場所でのインサイトで似ているモノ、似ていないモノにフォーカスし、グルーピングをしていきます。


    • Opprtunity Areas & HMWs

次に、「Opportunity Areas (機会領域)」の設定です。機会領域とは、解決案を出すためのピボットであり、様々な解決策を産み出すための、「問い」のことです。

      • HMWs: How might we.../我々はいかにして...を解決するか。

その機会領域は、「How might we.../我々はいかにして...を解決するか。」という質問を作ることで定義できます。

例えば、私たちが注目したのは
「いかにして、子供も大人も楽しめて、家事も進むようなお手伝いができるようになるには?」「いかにして、ママの一日の時空間の動線の中に、気軽に立ち寄れて気の合う仲間と会えるには?」「いかにして、同時空間で大人は大人、子供は子供で楽しむか?」このような、【機会領域】を見出していきます。

そして、幾度かの迷走の後、私たちが最後にフォーカスしたのは、「我々はいかにして、目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインを行うか」という問いでした。

  • Brainstorm & Prototype/ブレストとプロトタイピング

ブレインストーミングとは、技術的、組織的、運用的な、全ての制約を排し、思考の枠を拡げ、多くのアイディアを作り出すプロセスです。
良いブレストのためには、一時には一人が喋り、アイディアの善し悪しの評価をやめ(褒めるのもダメ)、Wild(狂った、とでも訳しましょうか)なアイディアを歓迎し、チームメイトのアイディアに乗っかり、そうでいながらトピックには集中し続け、ヴィジュアルに、数をたくさん出す事を目指しながらやると上手くいくそうです。

    • Ideas/アイディア




私たちは、「いかにして、子供も大人も楽しめて、家事も進むようなお手伝いができるようになるには?」「いかにして、ママの一日の時空間の動線の中に、気軽に立ち寄れて気の合う仲間と会えるには?」「いかにして、同時空間で大人は大人、子供は子供で楽しむか?」という、先ほど見出した【機会領域】に則り、3つの「解決策」に関するブレストを行いました。各々20分程度で、多くのアイディアが出てきました。
そのアイディアをカテゴライズし、名前をつけた上で、そのアイディアを「投票」し、解決すべき問題とその解決策を決めました。
「ママッター(ママ+Twitterでママ同士の情報共有サイトを)」「セッペン(石けん+ペンで子供の風呂遊びがお手伝いになる)」「DoCook(子供でもできるお料理キット。振ればできるとか、踏めばできるとか)」のような、多くのアイディアの中から、「パークライフバランス(お母さんと子供のWork life BalanceをなんとかするPark/公園)」を選びました。

    • Concept Prototypings/コンセプトをカタチにする。

次に、プロトタイピングです。
プロトタイピングとは、アイディアを簡単に目に見える形にしてしまい、他の人々とアイディアについて話ができる形にすることです。ラフに、素早く、作ってしまいましょう。
解決策のプロトタイプを作ると、考えていた解決策について、より深く理解する事ができます。

また、プロトタイプは何も、モノを作る事に限らず、僕らの場合では、実際に大学の公園に行ったり、カフェに行ったりして、「母と子の演技」を行うことで、「単なる公園では、お母さん仕事に集中できないよね」とか、「遊んでくれるお兄さん居るといいかも」といった気づきを得ていきました。

そうこうするうちに、幾つか疑問がわいてきます。それは「これって、本当に母子のコミュニケーション促進になるの?」という問い、そして、前提であった、【家庭における働く母親と子どものより良いコミュニケーションに向けて】というテーマへの、「より良い」コミュニケーションを行ったとして、だから何だというのだろう。「より良い」コミュニケーションとは、なんのことだろう。「より良い」コミュニケーションは、何のために行うのだろう。という疑いです。

そういった疑いを経て、私たちが提供したいと思ったのは、以下のようなことでした。

コミュニケーションが量×質だとすれば、なによりまずその質が大切。
その質をなんとかしたい。質の低下はお母さんのストレスから生まれる。
ストレスは以下の2点から:
「フリーになろうと思ったら、保育所か誰かに預けきるしかない」
「ずっと子供と一緒にいたいが、家で一緒に居ると手が掛かりすぎる」

だから、第三の選択肢「目の届く距離で、手の掛からない何か」を提供したい。

    • Expression & Visualization

そんな思いで、最後の最後に生まれたのは、
「我々はいかにして、目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインを行うか」という再定義された機会領域に対する、「ライフパークカフェ」のアイディアでした。

要は、スターバックスのようなカフェのある公園で、公園には、なだらかな傾斜がつき、傾斜の上の方に、お母さんたちが歓談するカフェがあって、カフェだから、仕事も読書もできて、お母さんたちが見える範囲の、傾斜の下の方では子供たちが遊んでいる。

子供たちを惹きつけるのは、遊びのプロとしてカフェに雇われた、店員さん。
この店員さんこそが、このカフェが提供する新しいサービス・差別化要因。


私たちはこのライフパークカフェのアイディアを演劇という手段で「カタチに」することで、最終プレゼンへと臨みます。

  • Final Presentation/プレゼン

さあ、そんなプレゼンテーションのはじまりはじまり。

はじめは、インタビューした、2人の対照的なお母さんの話から。こんなことに困っているとか、こんなことが欲しいとか。こんな風に工夫をしているお母さんと、こんな風に言っているお母さん。

そして

何より、「単にお母さんと子供が接する時間を増やせばいいんじゃないんだよ」ということを。問われるべきは、そのコミュニケーションの質なのだと。

それを解決できるのは、およそこんなカフェと公園の一体になったもので、

それを母子がどう使うのか、それは:

    • 寸劇

在宅ワーク中のイライラした母親が、かまって欲しそうな子供を叱りつけるところからスタート。
子供が泣き出して、お母さんは途方に暮れる。
「そうだ、ライフパークカフェ、行こう」

公園に連れて行って、お母さんはカフェに。
先に公園カフェに居て、仕事をしているお母さんと少し話し、
子供を、遊んでくれる店員さんのもとに送る。

「ちょっとメールだけしちゃうから、待ってて」
先にいたお母さんが仕事を終え、パソコンを閉じる。

お母さんは、子供の悩みを話したり、子供について考えたり。
そして、時たま子供の方を見やる。

子供たちは、店員さんと楽しく遊んでいる。
今回のテーマは手品。


それを見ながら、お母さんたちは
「いつものいきましょうか」
「ええ、そうしましょう」
「すいませーん、ビール2本!」

昼から、ビールを飲み始めるお母さんたち。
そんなのアリ?いいんです。

お母さんたちのストレスの源のひとつは、「規範意識」
母親かくあるべしを、夫から、舅・姑から、両親から、世間から押しつけられて、
いつしか子育てが「使命」になってしまう。

たぶん、きっと、使命のない会社はダメになってしまうけれど、
使命感の子育ても、子供は窮屈なのだ、と思う。


ビールを飲み終えて、歓談を終えて、家に帰る母子。


「今日はどんなことして、遊んでもらってたの?」
「てじな!」
「店員のおにいちゃんが何かやってたよね。どんな手品?」
「びすけっと、でてくるの!」


コンテキストを、共有しているからの、会話もできてしまう。


    • そして、まとめへ。

寸劇は、いかがでしたか?
始め、家庭で働くお母さんは、仕事が終わらずイライラしていました。子供は同じ場所にいましたが、決して良い関係ではありませんでした。

つまり、よいコミュニケーションが、量×質で決まるとすれば、もし質が悪ければ、単にコミュニケーションの時間や機会や手段を増やしても、仕方がないのです。

このコミュニケーションの質を担保するために私たちがインタビューから見出したインサイトは、「目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインが大切だ」ということです。

適切な距離感とは、子供と文脈を共有はできるが、お母さんはお母さんで悩みを相談したり、仕事を進めたりできる距離感です。そんな距離感を持つ、空間とサービスをデザインする必要があります。

空間/サービスデザインのひとつとして提案しましたのは、「ライフパークカフェ」という、お母さんたちは飲み物を楽しみながら、仕事をしたり、お母さんが会話をしたりしている間、目の届くところで、子供たちは店員さんと遊んでいる。そんな、緩いつながりのある、カフェつき公園です。

これらを通して、お母さんは子供の遊びと文脈を共有しながら、ストレス解消ができ、その後の会話の質がアップする「空・間」を作るサービスです。

今、家庭で働くお母さんは、
・子供を預けきると、その間全くコミュニケーションの量が取れない
・子供と家で一緒に居ると子供に掛かりすぎになり、コミュニケーションの質が下がる
という、量と質の0/100に困っています。

私たちが提案したいのは、第三の選択肢です。是非、第三の選択肢「ライフパークカフェ」をi.schoolから日本中に届けませんか?

こんな提案を、最後にはした。

評価も非常によく、味の素の常務の方や、大阪ガス行動研究所の方や、博報堂の方々、IDEOの方々から、

「すぐビジネスにしたいくらいですね」
「インタビュー対象者も、端と端のように思う。端と端が満足するプランなら、真ん中の人はもっと満足できる」
「発表自体もinnovative」
「もちろんやるとなるとハードルはたくさんあるが現実的に考えてもらえた」
「安直に技術に頼らなかったのが良い」
「距離感という言葉が、普通は出てこない。すばらしい。」
「お母さんの価値観について、一番深いところまで踏み込めたのではないか」

こんな、フィードバックを頂いた。

チーム名は、Let's ART。
Let's ARTの7人で作り上げた、この案をとても気に入っている。

IDEOのワークショップに参加した5日間、とても、有意義な5日間だった。

 

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◇概要:Simple model solve both.
バングラディシュで、ビジネスをやった。
僕らの視たバングラディシュには、解決すべき問題があった。
解決すべきと信じるに足る、問題があった。


その問題を追ううち、
「農村に行き、インタプリタと共に調査を行い、
グラミン・コミュニケーション及び
グローバル・コミュニケーションセンターに提案する」

というインターンの【枠を超える】ことができた。
以下、詳細を綴る。

◇問題発見:矛盾を見過ごさない
農村滞在10日間余。
初めの数日はOne Village One Portalという、国勢調査のデータ集めを行う傍ら、「問題」を見つけようと苦悩した。
問題は当初、見つからなかった。
問題がない事が、問題に見えた。

問題だとはっきり分かるもの、目の前に見えているものは、殆ど手に負えないくらいの、ビッグプロジェクトだった。

例えば、頻発する停電。
僕が電気技師ならいざしらず、僕が停電にどう対処できるだろうか。
そして、自家発電や太陽光発電を、少し裕福な家庭では導入しており、対処は「時間かカネの問題」。

例えば、汚水。
沼に、井戸水に、ヒ素が含まれている。現地の人々はペットボトル飲料を買う事で対処している。
水を奇麗にするプロジェクトを僕が? 必要ではあるが、「僕のプロジェクト」には感じられなかった。


そして、東京では見れない、美しい風景と楽しそうな人々、
「貧困国」と聞いてはいた。確かに貧しい。貧である。であるが、多くは【困ではない】ように見えた。
好奇心、笑顔、会話。そして、一握りの金持ちと、一握りの本当に「貧困」な人。


そんな中で、
いつも心にあったのは、毎日毎日僕らを乗せてくれた、リキシャ(人力車)のドライバーであり、
話を伺った小作の方であり、低い給料に喘ぐ、小学校の教員だった。

そして、インタビューの中に一つの矛盾を見つけ、僕らAチームは、その矛盾を追う事になる。

事実1.街では高い失業率・職の少なさが大きな問題だと
事実2.小学校教員の給料は非常に低く、多くの学校で教員の数が不足している

一方では人が余っており、
一方では人が足りないという。

その原因は、
・教育を受けているか
・教育を受けていないか
の違いに起因する。

教育を受けている人でなくては、教員になれない。
教育を受けていない人が、職を失っている。

すなわち、問題は:
・教育のあり/なしにおける格差
・小学校教員の給与面での魅力の低さ。

そして、これら「問題」は一見階層が違うが、
未来のバングラディシュから現在を俯瞰する事で整理される。


未来に、2020年のバングラディシュにおいて、
・教育を受けていない人はますます競争力を失い、失業が増える。
・その時において、教育を受けていない人を【救う】【見捨てる】のどちらかを選ぶ必要がある。
・【救う】を選ぶなら、それは政府が税金で救う事になろう。
・その税金は、教育を受けた人によって贖われる。
・競争力を、教育を受けた彼らが持つならば、彼らは海外へ流出する。
・その競争力の上限は、教育の質と相関がありうる。

そして、この問題をシンプルに解決しようとすれば、ソリューションはこうなる。
・放課後の学校を用いて教師が読み書きのできない人を教える
・それをサステイナブルなビジネスモデルとしてキャッシュフローが回るように設計する。

◇仮説検証:事実を集める
さて、そんなビジネスを創る事は可能なのか。
仮説を、サポートしうる要素に分解し、事実を集めよう。

  • Uneducatedと Educatedの格差は 問題である

Uneducatedは 社会の少なくない 部分を占める
Uneducatedは 失業率が高く 持続性が低い
将来、 Uneducatedは 社会の重荷に なりかねない

  • その問題は 放課後再教育システムによって 解決可能である

Education Levelと Job Opportunityに 相関がある
少し教えれば 大きく増える Job Opportunityがある
少し教えれば つけられる付加価値: 新しい職業機会がある
そういう職についてみたい

    • 実現可能性

学校で教師が Uneducatedを 教育すればよい
教師にとってメリットがある
教師は時間がある
教師にとって十分な資金が手に入る

こんなことを、調べに行った。
事実は、集まった。
事実は、この解決策をサポートしているかに見えた。そして、


◇理想を描け

そして出逢い。
Anowaraという、70歳近くのお婆ちゃんに出会う。
元気で、こちらの質問にジョークで答え、からからと笑うそのお婆ちゃんは、

身寄りはなく、収入もなく、
時に借金を、時に物乞いを。
綺麗に言えば≪自給自足≫の生活を。

そのAnowaraばあちゃんが、言ったのは
「私は夫も子供も居ないから、後は死んでいくだけだけれど、私は楽しく生きるよ」

その日は早々とゲストハウスに帰り、
―各人、瞑想。

Team A 4人が、一人一人考えた。

私はなんのために、だれのためにここにきて、
そして、なにを成そうとしているのか、
なにをやりたいのか。


問題、とは、あるべき姿と現状のギャップ。
我々はあるべき姿を描いていたか。
あるべき姿を、描いて、いたか?


二時間も一人で考えたか。
その結果をつらつらと共有する。


一縷、光が見え始め、おぼろげにみんなが同じ方向を向いている事を知る。

自分の持てる価値を他者に提供し、対価を貰い、認められるということ。
それを通じて、
自分の人生の、主人公になるということ。
自分の人生を、コントロールするということ。
運命に翻弄されるのではなく、夢を描き、その実現に必要な行動を起こすということ。

Take initiative on my life.
ここへ向かって。


◇問題への執着:準備された枠を超えて
日数ものこり僅か、課されたプレゼンが気になってくる。
「提案したものが、もしグラミンに採用されたら…」
という功名心やはやる。

そして、我々4人が、日本に帰ってからどう共同作業する?
という話も詰めなきゃいけない。

提案先は、バングラディシュのケータイ会社
「グラミン・コミュニケーション」そして
「グローバル・コミュニケーション・センター」

その事を考えれば、有利に働くのは、提案先に価値をもたらすのは、
ケータイ電話を使ったサービスや、インターネットまわりの話。

幸い、ケータイに関する情報も村人からのインタビューで仕入れてある。
最近の市場拡大が目覚ましいこと。
音声通話のみならず、マルチメディアケータイを操る人も居ること。
SMSなど、使えるのに、知らないがゆえに使っていない「もったいない」サービスのあること。

しかし、しかし、
文字が読めない人が5割も居る。
インターネット以前の話じゃないの?


取り組むべき問題は、取り組む価値ある問題は、きっと、「教育」の方だ…。

教育か、モバイルか、
それとも他の案か。
・図書館/貸し本屋
・BOP市場向け保険
・農村に無い仕事の開拓(レストラン・花屋)

案をまた幾つも出し、絞りをかけていく。


放課後授業の案の検討に至り、

一人が言った
「腹落ちしない」

一人が言った
「これ、やっちゃえばいいんじゃないの」


そうだ、そうだった。
バングラディシュについて2日目、
ムハマド・ユヌスその人に会って聞いた言葉は何だったか。
彼に何を言われたのだったか。

「世界は変えられる、もしそう望むならば」

「明日からのチェンジメーカーではなく、
今日からのチェンジメーカーであれ」

オーケー、やろう。
教師を口説き、生徒を集め、実際に一度やってしまおうじゃないか。
その時、僕らは、燃える集団だった、と思う。


◇もう、インポッシブルなんて信じない
いかにして教師を口説き、生徒を集め、実際にやれるのか。
通訳の助力が必ず、必要だ。

英語という制約条件に阻まれないために、
パワーポイントを作り、図表を作り、通訳にわれらのミッションとパッション、
ビジョンと事業構造を説明し、協力を仰ぐ。

「Impossible」と言われる。
今日から3日は学校が休みで教師が捕まらないから無理だよ。
肉体労働者たちはその日を生きるのに精いっぱいで、教育にお金なんて出せないよ。

いろんな事を言われた。

通訳を口説き、地元の有力者を口説き、校長先生を口説き落とすまで、何度「Impossible」を聞いただろう。

識字できない、彼らにはお金が無い。
彼らは無能だから、そういう授業を受ける事に向いていない。
この国では教育にお金を払いたがらない。
大人向けにも、政府が無料でやっている教育機関がある。
教師は尊敬すべき人だから、識字できない大人に教えたりしない。

などなど、などなどなど。


いいから、やるのだ!


やれば、変わる。
リキシャドライバーを4人集め、
校長先生に同意を取り付け、
第一回の事業と授業のはじまりはじまり。
満足しなかったら、お代は要りません。
授業に満足したら、払ってください。そして。




収入:6tk×4人=24tk
支出:講師へ20tk
利益=収入―支出=4tk.

ビジネスとして、利益が出た。
TeamA・4人で一人1tk。

そして、自分の名前が書けるようになった4人のドライバーと、
嬉しそうな顔。

リキシャドライバーは言った。
150tk/monthまでなら、出せる。
impossible! お金がないから払えない、と言ったのに。

校長先生は言った。
子供たちに教えるより、学びが速くて教えやすい。
impossible! 彼らは無能で学べない、と言ったのに。

それどころか、肉体労働者たちは言った
「家に帰っても練習する」
「娘がこの小学校に居るんだ。娘と一緒に勉強するよ」


"Change" means "make impossible possible".
誰かが、誰もが、不可能だと思う事をやらなくてはならない。

Change for the value.
協賛だとか、提案先だとか、提携先だとか、
そういう事ではなく、自分が、解く事に価値アリと信じる問題のために動かなくてはならない。


バングラディシュまで行った価値は、あった。
この4人のチームで、あの4人のチームで、本当に良かった。
あの瞬間僕は、とても、幸福だった。


他の何が否定されても、他の誰に否定されても、
あの人たちは自分の、名前が書けるようになった。そうだろ?
あの人たちの笑顔をつくる、お手伝いができた。そうだろ?



もちろん、そのビジネスを維持・拡大できなかった後悔は残るけれども。




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あざやかに生きる

卒業研究のすすめかた

学生のためのスキルアップ入門

投資対効果の極めて高い、プログラムなんて分からない人のための「単純作業自動化」入門

みらい07―西水美恵子著『国をつくるという仕事』/215537


西水美恵子氏。世界銀行元アジア地域担当副総裁を務めた氏が、そこまでのキャリアを積み上げ、そして、権力者ではなく国民の側に立ち、実際に「国づくり」を支援して来れたのには、恐らく2つポイントが、ある。

それは、怒りと、リアリティ。

「喧嘩っ早い」という氏は、虐げられた民を思い、怒りをエンジンに行動し、為政者と戦い、何億ドルという融資額の力を楯に、アジアの国々の指導者と渡り合う。ある時は悪政を義し、ある時は国家の優れたリーダーから学び、共闘する。

その彼女の言葉と行動を支えるのは、実際に、23年間、貧困街を歩き、話し、寝泊まりし、手伝い、見聞きし、民の苦しみと生活とを実地で知る、圧倒的なリアリティ。


ちょうどプリンストンに職を得ていた彼女が、教職を辞したのも、怒りからだった。

街の路地で、ひとりの病む幼女に出会った。ナディアという名のその子を、看護に疲れきった母親から抱きとったとたん、羽毛のような軽さにどきっとした。緊急手配をした医者は間にあわず、ナディアは、私に抱かれたまま、静かに息をひきとった。
ナディアの病気は、下痢からくる脱水症状だった。安全な飲み水の供給と衛生教育さえしっかりしていれば、防げる下痢…。糖分と塩分を溶かすだけの誰でも簡単に作れる飲料水で、応急手当ができる脱水症状…。

 誰の神様でもいいから、ぶん殴りたかった。天を仰いで、まわりを見渡した途端、ナディアを殺した化け物を見た。きらびやかな都会がそこにある。最先端をいく技術と、優秀な才能と、膨大な富が溢れる都会がある。でも私の腕には、命尽きたナディアが眠る。悪統治。民の苦しみなど気にもかけない為政者の仕業と、直感した。

脊髄に火がついたような気がした。

彼女の原点はここだった。怒りは、リアリティから。
そのリアリティの力は、こんな所にも表れている。

狂人あつかいをされても、大げさなと一笑に付されても、この小さな国は海面上昇問題を国際世論に訴え続けてきた。温暖化現象を知る科学者さえ少なかった四半世紀も前から、地球にむけて半鐘を鳴らし続けてきた。
あの離島の子供たちには話せなかったけれど、空からモルディブを見た瞬間、その半鐘が胸に響いた。海面上昇問題を勉強していはいたが、現実問題として捉えていなかったことを恥じた。

背筋に冷たいものが走った。もしも今、交通事故にあったらどうなる。ダッカで入院させられたらどうなる。汚れた針で注射されるかもしれない。HIVに感染した輸血を受けるかもしれない。
心臓がコトリと鳴った。エイズは彼女たち売春婦も私も差別しない、と肌に感じた。その瞬間、ハッと気づいた。自分の頭とハートが、今の今までつながっていなかったのだ。エイズを自分自身の危機としてとらえていなかった。首脳たちの説得力に欠けたのは当たり前だ。

リアリティ。自分ごと、として捉えること。
自分ごととしての、問いをたてること。

本書で描かれる幾人ものリーダーたちは、みな、他者の貧しさ、困難を、自分ごととして捉えていた。

それはちょうど、

なぜなら、リーダーシップの原点とは、何よりも、人々に対する共感、だからである。
真のリーダーシップは、必ず、人々に対する共感を、原点としている。
それが職場であるならば、部下に対する共感。
それが企業であるならば、社員に対する共感。
それが国家であるならば、国民に対する共感。
その共感なしに、いかなるリーダーシップも存在しない。

このような解説にも書かれている。


翻って、私自身。
日々の生活からリアリティが欠けている、と思った。

何より我々すべてが共有する、唯一の帰結である「死」というものに対するリアリティが無い。
連日報道される事件も、どこか他人事。

いやむしろ、リアリティが覆われている節さえある。
自分ごと、を取り戻すこと。を、課題としたい。

そのためにもまずは、自分自身の感情について敏感になる、ことだろうか。Twitterで#kire(キレ)るところから、始めていきたい。