卒論発表会もオワタ\(^O^)/ //178501

よっしゃーー!!おわったあああ!!!!

発表会,基本叩かれる場らしいんです。

が、
副査の先生からなんか褒められましたww

・苦労されたと思います
・明快な問題設定をしてそれにきちんと答えを出されていると思います。

なんて。

その他飛んできた質問

・品質はどうなの?
・現場ですぐ使えるんですか?
・実際に効率上がってるの?

にも、きちんと答えれば
(=脚色したのではなく、限界をきちんと認識していたということ)
「それは素晴らしいと思います」とか。
教授陣もなんか笑顔でしたw


自慢でサーセンw笑いが止まりませんww
あーー終わった!!!!!(すぐ次は学会ですが)

改善案も色々と頂いたので,修正稿および学会発表に向けて改善を行いたいところです.

(指導教官でない)先生がすれ違った時に,
「見事だったね」と言ってくれました。\(^O^)/ うひゃ!

#但し、権力者の先生の元にいると、叩かれにくいというのもありますので、
#単純に出来が良かっただけではない可能性がありますww

カンブリアン・パーティ/172760


天才プログラマー・システムアーティスト・東京大学情報学環講師の、安斎利洋さんらがパナソニックホールで行った、カンブリアンパーティに行ってきた。

複雑系・人と人との創発・アート・IT・メディア。
そんなものが、渾然一体となった、なんとも不思議な「パーティ」であった。


中でも工学系の学生として心を惹かれたのは、
天才プログラマー・西野順二さんが提唱する「スキルトロニクス」という概念。

彼が「スキルトロニカル」にデザインした物体は、人の習熟を要求する。
人間に、工学がこれまで目指してきたように、便利さや、新境地を提供するのではなく、

人に、努力を、スキルを、習熟を要求する。
目標とする動作を、人間の「がんばり」によって達成しようとする。

その達成の為に努力を要求されるから、ひとがスキルを身につける。
面白いパラダイムだなと思った。

幸村真佐男先生ensohという「写真アート」も面白かった。

ensoh- 円相は、暗闇にて、光の写真を撮る。 その際にカメラを回し、円環状の光彩が写真のキャンパスに描かれるように回す。
機械ならぬ人の身では、完全なる円環は望むべくもない。だからこそ、味わいのある光の輪が、そのカメラの記憶メディアに灼き付く。


これなんて、実に、実に、風情がある。

ピントを合わせること、ブレないように気をつけること。
そんな写真とはまた違った、新しい、概念の創造。
それが、先生のハードディスクの中には、もう5TBも詰まっているとか。


こんな話が、
安斎さんのつくったカンブリアンというシステムの上で、創発の如く、湧いて出てきた。


このパーティは、なんだかいわゆる「講演」とはまったく違っていて、
なんだか雑談ベースで、上に述べたような話はむしろ、雑談のための火種のような感じで、


よくある講演のように、煽られる感じもしないのだけれど、
何か「即使える、有用な知識!」が得られたわけでもないのだけれど、

そこに新しい何かが生まれているようで、眠っているようで、
なにやら、なにやら、不思議な感覚だった。


連想―アナロジー―美―そんなものが、緩やかに繋がりつつ、それらはどこを指向するともなく、漂っていた、感じがした。


そんなカンブリアンの「SANPO」に参加したいあなたは、こちらから!

よのなか科―/170376

佼成中学校の中3、200人に、大学生十数名が押し掛けて、という「よのなか科」に参加してきました。

久方ぶりの男子校の空気でありました。
今回は「ケータイは学校から完全に排除すべきか?」というタイトルで、3on3のディベートをファシリテートしました。

僕の入ったグループでは活発な意見交換が成され、非常にうまくいったように思います。
今後またこういう機会の為に、やったことと振り返りを

・自己紹介する、させる。
まずは自己紹介。ちょっと背伸びして(笑)生きてて楽しくて幸せですとか言って、普段やっている事を話す。

最近、というか、1年くらい前の新歓から、飲み会で一緒のテーブルになった「初めての人たち」の名前を小さな紙片にメモして、それを出しておく、という事をよくやるのですが、今回も例に漏れず。一人一人の名前を聞いてメモ。


・ディベート開始
肯定(排除)側・否定(持ち込みOK)側に分かれて討論が始まります。
やはり最初は照れもあって、中々言いづらそうな雰囲気が漂います。
もちろん、さっきの紙片を見ながら名指しします。


・意見への反論
反論などが出始めて議論が盛り上がり始めます。ここでは一歩引いて、相槌を打つにとどめました。僕の意見を披露する場ではない。


・ぶっちゃけ、どうよ?
排除側の子から、「てか、どうせみんな持ってきているしなー」なんて話が。しばらくチームを忘れて本音?トーク(笑)


・極論の提示
議論も煮詰まってくると、今度は発想の幅を広げてもらおうと、僕は議論を引っ掻き回しに入ってみました。
・そもそも、授業中ケータイいじっちゃいけないの?先生がケータイよりおもしろい授業すべきじゃない?
・学校が生徒にケータイ持たせて、学校でシステム作っちゃって、出席管理から事務連絡まで厳しくケータイで取り締まる学校もあるよ。
などなど。

ただ、ここの試みはあまり上手くいかず。残念。


・可視化が必要
残り時間もわずか。「今、どっちが優勢?」と聞いてみる。
「こっちでしょ」と答え。
だけど「どうして?」と聞くと答えられない。
これは途中までは盲点だったのですが、意見を言って、反論して、というのはあっても、それを誰もログ取ってないんですね。傍観、している僕からは反論されているアイディア・未反論のアイディアなどがきちんと見えたのですが、盛り上がっている当事者からは「雰囲気的に優勢」はあっても、「優勢の根拠」は置き去りになっていたのでした。

この辺りは、もう少し時間をとって(50分は短い!)、模造紙やらホワイトボードを用意して、という、子供たちの能力や意志ではなく、環境に対するアプローチで幾らでも改善が見れるはず、と思いました。

実践的? ヒトリゴト英会話/169759


一週間ほど、カリフォルニア州 Palo Altoに一人で行ってきました。
詳しくは後日まとめをUPしようと思います。
Stanford大学を訪問したのですが、非常に有意義な旅となりました。

  1. 英会話、せざるを得ない状況に追い込む(日本に比べ、駅やバスの案内が非常に不親切なので、バスの運転手さんや乗ってる人に聞かないと簡単に乗り過ごせます。)
  2. 右も左も分からないので、バスの中でも英語でどういうかを考えるようになる。
  3. 英語に囲まれている

という環境下、英語に対する動機づけが非常に高まったのと、海外に出てみる事で、改めて日本の至らない部分や、非常に優れて便利である部分、そして自分自身が「あたりまえの前提」にしてしまっている、そうではない事実がいくつもある事に気がつけました。

他人をコントロールしないで気分よく生きよう/166887

本屋に行くと

「一瞬で信じ込ませる うんたら〜」
「Noと言わせない営業の うんたら〜」
「洗脳する方法うんたら〜」

みたいな、本が結構いっぱいあります。

ちなみに、
「相手を洗脳する文章テクニック」
という本が、ここ一時間で、Amazon.co.jpの経済・ビジネス書ジャンルで一番売れた本だそうです。


僕はそういう風潮にはやっぱり違和感を覚えていて
人を思い通りにするからには、


【人を思い通りにする事で生まれる、何らかの価値】


が無いといけないと思うのです。



例えば、日本には中学受験というクソみたいなシステムがあります。
僕も受験をしました。もちろんその為に得たものも大きかったけれど、
基本的にはクソだったと思っています。

そして、現在都内に良くある、中学受験の大手塾のように、

【大量に宿題を与え、その中で溺れなかった者だけが生き残るシステム】

は、明らかにおかしい! と僕は考えています。



僕らはこれを、なんとか変えたいと思った。
変えるための知識を探した。産み出した。再構成した。変えるために知恵を絞った。
大きな変革のうねりとならなくとも、出会えた数十人、数百人だけでも「救え」れば良いと思った。

そこでは、一生役に立つ、「優れたやり方」を教授している自信がある。
我々のレベルで、「やり方」についてモノを考えている人は、殆どいない、という自負がある。
(ちゃんと居るのはもちろん知っていて、勉強会に参加させて頂いたりしています。ありがとうございます。)

そして、それをどんどんとさらに洗練させたり、
さらに個別化(=特定の「この生徒」の状況に合わせた提案)へとその深さを深めたりしている。


これらを、「価値」と呼ぼう。
あなたが欲しがるもの。あなたが幸せになるもの。 それが「価値」だ。



価値がある何かを持っているなら、
人を巻き込む事に、人に信じさせる事に、意味がある。
「一生を砂糖水を売って過ごすのか、 それとも世界を変えるのか?」と、AppleCEO Steve Jobs
ペプシコーラの当時のCEO、ジョン・スカリー氏を巻き込むわけですが、
「世界を変える価値ある夢」になら「洗脳されて」みたいなと思います。


そもそもそういった価値提供ではなく「人を操ろう」とする人は、自己中心的なエゴに満ちているのではないでしょうか。


僕たちの会社には、会議があります。
けれど、誰も、結論をコントロールしようとなどはしていない。
会議で、自分の言う事を信じ込ませ、それに向けて煽動するのには意味がない。
何故なら、自分ひとりで考えた分の「価値」しか出ないからだ。
人が集まって会議をするならば、自分の思い通りに会議を動かそうとするのではなく、



【自分の思いも寄らない】良いアイディアを待とう。探そう。



人は、操らなくていい。
人に、助けてもらおう。

ただ、自分の信じる「価値」を説明すればいい。
分かり易く。論理的に。証拠をつけて。熱意を込めて。


それでも、相手が動かないなら、その理由は二つ。

  • ひとつは、実力不足だ。説明が悪い。よく考えられていない。相手の方がもっと深く考えている。より本質を捉えている。

であれば、修行しよう。努力しよう。もっとよく考えよう。一度ゼロにリセットして、もう一度組み立ててみよう。相手の頭の動きをシミュレーションしてみよう。

  • あるいは、その相手は、顧客や仲間では無かったのだ。その熱意や、その価値が「響く」相手では無かったのだ。

この場合は、そっと離れればいい。
分かりあえない相手を追うのは、既にフラれているのに付き纏う痛い人に似ている。
追いかけまわせば嫌われるだけだが、そっと去っていけば、もしかするとまた、わかりあえる日が来るかもしれない。
お互いに、そのレベルまで成長できるかもしれない。



人は、コントロールしなくていい。

大抵の場合、その方が、おおきな価値が産まれるから。


言う事を聞いてほしいのなら、支配するのではなく、説得しよう。
説得とは、相手の納得を創り出すこと。
相手が納得できないなら、きっとどこかに理不尽が隠れている。

理不尽を、探してみよう。

相手の理解力かもしれない。相手の前提となる文化かもしれない。
自分の説明能力かもしれない。自分の思い込みのせいかもしれない。


探してみよう。
そうすれば、きっと、もっと大きな価値が生まれる。