他人をコントロールしないで気分よく生きよう/166887

本屋に行くと

「一瞬で信じ込ませる うんたら〜」
「Noと言わせない営業の うんたら〜」
「洗脳する方法うんたら〜」

みたいな、本が結構いっぱいあります。

ちなみに、
「相手を洗脳する文章テクニック」
という本が、ここ一時間で、Amazon.co.jpの経済・ビジネス書ジャンルで一番売れた本だそうです。


僕はそういう風潮にはやっぱり違和感を覚えていて
人を思い通りにするからには、


【人を思い通りにする事で生まれる、何らかの価値】


が無いといけないと思うのです。



例えば、日本には中学受験というクソみたいなシステムがあります。
僕も受験をしました。もちろんその為に得たものも大きかったけれど、
基本的にはクソだったと思っています。

そして、現在都内に良くある、中学受験の大手塾のように、

【大量に宿題を与え、その中で溺れなかった者だけが生き残るシステム】

は、明らかにおかしい! と僕は考えています。



僕らはこれを、なんとか変えたいと思った。
変えるための知識を探した。産み出した。再構成した。変えるために知恵を絞った。
大きな変革のうねりとならなくとも、出会えた数十人、数百人だけでも「救え」れば良いと思った。

そこでは、一生役に立つ、「優れたやり方」を教授している自信がある。
我々のレベルで、「やり方」についてモノを考えている人は、殆どいない、という自負がある。
(ちゃんと居るのはもちろん知っていて、勉強会に参加させて頂いたりしています。ありがとうございます。)

そして、それをどんどんとさらに洗練させたり、
さらに個別化(=特定の「この生徒」の状況に合わせた提案)へとその深さを深めたりしている。


これらを、「価値」と呼ぼう。
あなたが欲しがるもの。あなたが幸せになるもの。 それが「価値」だ。



価値がある何かを持っているなら、
人を巻き込む事に、人に信じさせる事に、意味がある。
「一生を砂糖水を売って過ごすのか、 それとも世界を変えるのか?」と、AppleCEO Steve Jobs
ペプシコーラの当時のCEO、ジョン・スカリー氏を巻き込むわけですが、
「世界を変える価値ある夢」になら「洗脳されて」みたいなと思います。


そもそもそういった価値提供ではなく「人を操ろう」とする人は、自己中心的なエゴに満ちているのではないでしょうか。


僕たちの会社には、会議があります。
けれど、誰も、結論をコントロールしようとなどはしていない。
会議で、自分の言う事を信じ込ませ、それに向けて煽動するのには意味がない。
何故なら、自分ひとりで考えた分の「価値」しか出ないからだ。
人が集まって会議をするならば、自分の思い通りに会議を動かそうとするのではなく、



【自分の思いも寄らない】良いアイディアを待とう。探そう。



人は、操らなくていい。
人に、助けてもらおう。

ただ、自分の信じる「価値」を説明すればいい。
分かり易く。論理的に。証拠をつけて。熱意を込めて。


それでも、相手が動かないなら、その理由は二つ。

  • ひとつは、実力不足だ。説明が悪い。よく考えられていない。相手の方がもっと深く考えている。より本質を捉えている。

であれば、修行しよう。努力しよう。もっとよく考えよう。一度ゼロにリセットして、もう一度組み立ててみよう。相手の頭の動きをシミュレーションしてみよう。

  • あるいは、その相手は、顧客や仲間では無かったのだ。その熱意や、その価値が「響く」相手では無かったのだ。

この場合は、そっと離れればいい。
分かりあえない相手を追うのは、既にフラれているのに付き纏う痛い人に似ている。
追いかけまわせば嫌われるだけだが、そっと去っていけば、もしかするとまた、わかりあえる日が来るかもしれない。
お互いに、そのレベルまで成長できるかもしれない。



人は、コントロールしなくていい。

大抵の場合、その方が、おおきな価値が産まれるから。


言う事を聞いてほしいのなら、支配するのではなく、説得しよう。
説得とは、相手の納得を創り出すこと。
相手が納得できないなら、きっとどこかに理不尽が隠れている。

理不尽を、探してみよう。

相手の理解力かもしれない。相手の前提となる文化かもしれない。
自分の説明能力かもしれない。自分の思い込みのせいかもしれない。


探してみよう。
そうすれば、きっと、もっと大きな価値が生まれる。