あざやかに生きる

ルドベキアの花言葉は、Justice.
"正義"だとか"公正"だとか。そう訳されがちなJusticeは、
とあるドラマの中で「あざやかな態度」と置かれているという。

Justiceがあざやかな態度、とした時に、
僕らはいかに、あざやかに生きることができようか。

 

  • Commitment / 約束を果たすこと

学生時代出会った、素敵な大人が居る。20年ものあいだ、企業のコンサルティングをし続けている彼と、時たま会って教えを請う。先日も、熱々の焼き鳥をご馳走になりながら、こんな話をした。

とあるプロジェクト。先方の社長と合意して、プロジェクトの実施が決まり、担当役員と細部を詰めることになった。担当役員は「値引きせよ」と繰り返すのみ。プロジェクトの目的、理想像、意義、必要な施策、ひと通り言葉を尽くして、社長の真意を問うてなお「値引きせよ」と。

彼は、担当の役員を飛び越え、直接社長とコミュニケーションをとった。異例のことだし、後で担当役員からはもちろん、方々から非難されたという。

けれど、と彼は言う。別にそれで、受注が獲れなくてもいい。非難されるのは覚悟しているから、それでいい。担当役員の「値引きを飲ませた」という評価のために仕事をしていない。だから、社長の真意を知る必要がある。クライアント企業の未来をつくるために、やっている。クライアントの未来のための仕事にならないなら、そもそもやらなくていい。

この生きかたは、あざやかだ、と僕には想える。約束するものがあれば、目先の評価も、自分の相手への見え方も、気にならなくなる。それで何かがブレるようでは、約束を違えることになってしまうから。

コミットメントのある人生は、うまくコミットメントをやり過ごす人生にくらべると、大変な人生になるだろう。だけど、コミットするものの無い人生を、僕は生きなくていい。

そして、コミットメントは実のところ、相手への約束というよりも、何のために自分は生きるか、という自分自身への約束に他ならない。

 

  • 気がつけばそこに、コミットメント

あるNPOの代表理事と食事をした際、リーダーシップについて色々と質問をうけた。イキゴトという会社を僕は、社長の五味勇人や仲間たちとはじめた。そして僕は、彼をリーダーだと思っている。その五味勇人にあるリーダーシップとはなにか。そんな質問を、彼女自身よりよいリーダーになりたいと思って、聞いてくれたのだった。

 「イキゴトの社長が、リーダーとして相応しい何かがあるとする。では、そのスキルやマインドを超える誰かが居たとして、僕は他人に乗り換えるんだろうか。」 こういった問いに思い至った時、しっくりと腑に落ちた。コミットメントに、そのとき気づいた。自覚的になった。

 「彼に何かがあるから」ではなく、僕が彼にコミットしていたがゆえに、彼は僕のリーダーなのだと。だから、僕は彼との関係において、「彼がリーダーであることへのイニシアティブ」をとっていることになる。ゆえに、僕はそのことに対して責任がある。

 コミットメントは、気づかないうちに育っている。よいタイミングで、よい問いに出逢うと、自分の中からすとんと、釣り上げることができる。

 

  • 無自覚なまま、コミットメント

人生で、実はコミットしていたものに無自覚なままでいることは不幸だ。

かつてジェームズ・C・アベグレンは「日本の経営」の中で日本人の会社組織への属し方を“Lifetime Commitment”と洞察した。「終身雇用」と誤訳されたそれは、古い悪弊のように呼ばれたが、それはまさしくライフタイム・コミットメント。生涯を通じたコミットメントー忠誠ーだったのだろう。

 Commitmentとは、約束。そして誓い。コミットするからには、それを果たす責任が生じる。「ともに、未来をつくる」という約束を忘れ、コミットメントに無自覚になったLifetime Commitmentは、たしかに、確かに、既得権益を含意する「終身雇用」に堕しただろう。それは、企業と人との関係のみならず。自分自身へも同じことで。知らず知らずのうちに、いったい何を自分に約束して生きていたのか。

 

  • ひらめきを確信に変える

「責任」と訳語を当てられているResposibilityとは、本来はレスポンス。応答可能性のことだという。「責任をとって辞める」というこの国にありがちな光景とは意を異に、対話をやめない姿勢こそ、Respons-ibilityがあるのだと。

きっと、Responseを続けることで、Commitmentは育つのだと思う。

 この4月に、東京大学の福武ホールで「社会とナンセンスの交差点」と題したカフェイベントを、企画者のひとりとして実施した。「明和電機」というアートユニットの 「代表取締役社長」土佐信道氏がゲストだった。オタマトーンという「おたまじゃくし型おもちゃ」の開発に彼は「おたまじゃくし型」とひらめいてから1年かけて、アイディアをかたちに、かたちを世の中におくり出し、結果14万台以上が売れたという。

 ふつうのひとは、ただの「ひらめき」に1年間も取り組めない。「なぜ取り組めたのですか」と訊いたときに、彼は言った。最初のアイディアは、不安だらけ、不確定だらけ。だから。「ひらめきを、確信に変える仕事」をするのだという。スケッチを何百と描いて、何百と捨てて。様々な情報を調べて、そしてひとに話を聞きに行く。 

自己と他者、自分と書物、わたしとメモ。そういったResponseの応酬が、コミットメントを育んでいくんだろう。

 

  • 合縁奇縁、プロメテウスのくれた火

友人がある日、こんなことばをくれた。
「恋人もそうですが、現状のパートナーのステイタスを超える人が現れた場合に、じゃあ他人に乗り換えるだろうか?と考えた時にもコミットメントと言えるかもしれないですよね。でも、結局そのコミットメントの発生理由は偶然そばにいたとかの理由が多い。僕はだから常々、偶然を祝福しないと人生は生きてらんないと思っています。」 

彼が洞察したように、コミットメントの火種は偶然。「ひらめき」に近いなにか。その火種を育て、確信へと煽るResponsibilityは風。火種は、自己との、他者との、外の世界との対話によって育まれ、いつしか自覚できる大きさにまで、燃える。

なにかにきちんとResponseするためには、きっとこころが開かれていないといけない。賛同も批判も受け止めて、そして現実と向きあう懐のふかさ。コミットメントはだから、固執することとは真逆のことなのだ、と思う。
 
  • いのちを燃やして生きる
東北に、津波の被害を受けた地域で、防潮林再生のプロジェクトに関わっている友人がいる。「亘理 グリーンベルト プロジェクト」という、宮城県亘理町の沿岸部一帯で、防潮林再生・農業再生を一体的に行うためのプロジェクトだ。
先日、某社の京都支社長とふたりで彼の拠点に訪れて、12時間に及ぶ、彼のミッション・ビジョンを炙り出すコンサルティングを行った。
 ひと通り、壊滅した海岸を案内してもらって、彼の母の働く料理店でご飯を食べて。事務所に戻って、訥々と彼は語り始めた。
彼は「火を見たい」と言った。東北にあるこの閉塞感をひっくり返したい。ひとが、自らの願う未来に挑戦できるような空気をつくりたい。個人の中にあるちいさな火が、ひとに移り、連鎖的に燃え広がるような、そんな火を見たいのだと。
 Responseの中で、火種を育てること。育った火に気づいて、自覚的なCommitmentとすること。その熱はひとに伝播し、ひとはその熱に感化され。あなたの見たい火は、このあざやかな篝火ではないですか。あなたもそれを、心のどこか知っていたから、すべてが混沌となってその後、まちのひとと対話(Response)をはじめることからスタートしたんじゃないですか。 
 
  • 綺麗事を、綺麗にやる。
こんなことは、もしかすると綺麗事だ。
現実というものはむしろ逆で、”Justice”を求めて迫ってくる。何かを為したい時、わたしにコミットメントが無いとして、果たしてそれは破綻する。人は人が信じているものにこそ影響を受けるから。"Justice"なきところにフォロワーはつかない。そして、ひとりでできる事は限られている。
 
「綺麗事を、綺麗にやろう」
 僕の師である起業家が、言葉、そして生き様でくれたメッセージだ。きれいごとを、きれいに。そんな風に、生きてみようと思っている。僕らのこの小さな会社は、そのちいさな実験場になればいい。
 偶然の火種を祝福しよう。扉を開けて、火種に風を入れよう。育った火を掲げよう。
そんな生きかたで生きた瞬間があったなら、いのちを燃やして生きた、と思える。
 
それはきっと、あざやかな記憶をつくるだろう。
 
 
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よい仕事をするために

 

 

よい仕事をするために

  • しなやかに伸びていくひとと、頑なに崩れ堕ちていくひとがいる。

学生時代、面白いひとに囲まれて過ごした。もちろんそれは、今もそうなのだけれど、今回はちょっと、昔話からはじめよう。

「アクティブな東大生」で「学生起業家」だったし、いまの会社の社長に誘われて会社を興すまでは、就職しても楽しそうだと思っていたので、内外トップティアのコンサルティングファームから、コンテンツプロバイダーに、投資会社に、ノーベル平和賞を獲った銀行や、デザインファームまで。それはそれは(節操なく)いろんな会社でインターンをしたり、していた。ミーハーですね。笑。

だから、それはもう「優秀」と言われるひとたちが、周りにはたくさんいた。面白い仲間にも、素敵な先達にも会えて、それは僕の人生のひとつのリソースになっている。

そう。パフォーマンスを発揮していた多くの、同年代のひとたち。が、居た。

その時の出逢いから2~3年を経て、みなそれぞれの道を歩んでいる。ソーシャルメディアが彼らの進捗を見せてくれるようになって、ぼんやりと「しなやかに伸びていくひとと、頑なに崩れ堕ちていくひとがいる。」そんなことを最近、思うようになった。

崩れ堕ちてゆくひとについて、いったいどうしたんだろう、と思って、考えている。

 

  • 有能さの影の腐臭

たとえば、意義ある社会問題に取り組んでいたはずが、いつのまにか世界一周なんてを始めてしまって、誰にも貢献することなく、Twitterでアツい言葉をいっぱいつぶやいて「旅する名言集」みたいになってしまったひとがいる。言葉だけが上滑りしていて、なんだかとってもみじめです。

たとえば、なんとなく有名人をアサインして、なんとなくオーセンティックな会場を借りて、だけど告知文からは、どう見ても中身がなさそうな、どうみても楽しくなさそうな、イベント屋さんみたいになってしまったひとがいる(いい企画のイベントなら、喜んでいきましょう)。

たとえば、起業しているというので会ってみると、Twitterでは勇ましいことをたくさん書いているのだけれど、「本当にやりたいことは別にある」とか、自社の愚痴や業界の状況の悪さ。要は「自分が悪くない理由」ばっかり言っている人が居る。たまに、本人の貢献度の分からない、成果の自慢を聴く。

 

おまえたち、いったい、どうしちゃったの・・・?

 

昔は、確かに、輝いていたはずの「そういうひとたち」には、見せかけの有能さの影に、腐臭がある。

「本人より ”弱い” ひとたちには、実力以上に評価されている」「その人より”レベルの高い”ひとには、相手にされていない。」そんな感触もある。

  

  • 素晴らしかった自分にさようなら

どうして、そうなってしまったんだろう。豊かな才能を持っていたはずの、素敵な人たちが崩れていくのを見るのは、とても悲しい。

そんなひとが少なくなって、持てる豊かな才能を、自分らしくきちんと輝かすことができる。そんな状況を創りたいから、今日はこの記事を書く。

 

たぶん、原因は「素晴らしかった自分にさようなら」できないから、だと思うのだ。

 

学生が終わって、いよいよ仕事が始まって。起業しようが、企業に入ろうが、研究をはじめようが、新しい仕事、よりよい仕事、価値ある目標に向かおうとすれば、できないことがいっぱい出てくる。

悔しいけれど、だってその仕事に値する実力はまだどう考えたってないのだから、泥臭く目の前の現実に取り組むしか、ない。少しの成功も少しの失敗も、混沌を混沌のまま、複雑さを複雑さのまま、受け入れるしかないのだし。ちからのある人に力を借りるしかないのだし。仲間に助けてもらうしかないのだし。量が質に転化するのを、待つしかないのだし。

だけど、素晴らしい成果を出していたから、成功していたという足かせがあればあるほど、どんどんと苦しくなる。助けて、って言えない。手伝って、って言えない。ごめんなさい、って言えない。言えないまま、だけど時間は過ぎていくのだから、どんどん苦しくなる。

もう、誤魔化すしかなくなる。失敗を覆い隠そうとしたり、あろうことか成功したかのようにごまかそうとしたり。本気じゃないことにしたり、周りのせいにしたりする。

 

もしも、自分のキャパシティを超えていい仕事がしたいなら。今より多くの価値を社会に届けたいなら。「素晴らしかった自分にさようなら」しないといけない。学生の頃ちょっと凄かったからって、たかが知れている。たかが、知れている。

そのままで終わりたくないのなら、背伸びするしかないのだし。背伸びして伸びた背丈を、後から測ると成長というのだし。そしてなにより、過去は過去。

 

  • 貢献のフォーカスは、いつだって仕事の品質。

なぜ「素晴らしかった自分にさようなら」できないのだろう。それは、焦点がどこまでも「自分」だから、なのだと思う。仕事をするとき、フォーカスはだいたい、ふたつある。自分か、仕事か。

 

フォーカスすべきもの。それはいつだって、仕事の品質。社会に届けた価値。目の前のあなたのお役に立てたということ。それしかない。

自分にフォーカスすると、自分が主導権を持たないプロジェクトへ、コミットがなくなる。何故なら、そのプロジェクトが上手くいっても、自分には関係ないと思ってしまうから。

自分にフォーカスすると、大きな仕事ができなくなる。何故なら、自分より優れた人を巻き込むことはできなくなるから。

自分にフォーカスすると、良い仕事ができなくなる。何故なら、よりよい成果を挙げるためでも、批判を受け入れられないから。貢献の対象を蔑ろにするから。

自分にフォーカスしている人が大好きな「自分に主導権のあるプロジェクト」。でも、彼とは、誰も仕事をしたくない。何故かというと、彼が成果を出すために"使われている感"というのがあるから。

自分にフォーカスしているひとは、成功しているときはいいが、状況が悪くなると人のせいにして、やめてしまう。新しいことをはじめようとする。そうして、何もモノにしないまま、渡り鳥を続けるのだ。

 

  • 現実をまっとうに視るということ。

こんなことを書いている僕も、こういう時期は、あった。

状況が悪くなると、ひとは自分を守りたくなる。そのあたりの落ち込みと、そこからの脱出、人生を通して繰り返してきたパターンからの脱出については、別のところで書いたから、詳しくはここでは書かないけれど、メンバーに嫌な思いはさせたし、成果は出ないし、まあ、さんざんだった。視野が日を追うごとに狭まって、現実が見えなくなっていく。

だけど、そこから人は出れるのだと思うし、自分にフォーカスするよりも楽しく良い仕事ができるし、ストレスも驚くほどすくない。

マッキンゼーに行く後輩が居る。一年も前に、進路の相談にのっていたときのこと。色んな夢をきらきらと語ってくれたあと。そして、色んな会社からオファーを貰ったことを自慢気に話したあと。彼は振り絞るように、こう言った。「リョウスケ、おれ、やっぱりベンチャー行くの怖いから、マッキンゼーいくよ。」その弱さを認めた彼は、きっとマッキンゼーに入って、ぐんと伸びるんだろう。そのうち一緒に、仕事がしたいなあ、と思っている。

 

  • ところを得る

自分が輝ける場所と、輝きたい場所は、たぶん、ちがう。強みによってしか価値を産み出せないのだから、輝きたいならば、強みに集中するよりない。武器を磨いていくよりない。

強みとは、自然にやってること。毎日、毎月、人生の至る所で自然と繰り返してきた思考と行動の癖。繰り返し行なってきたから、磨きこまれていて、誰か他の人が追いつけない高みに到達したもの。

そこに集中するしかないのだけれど、隣の花は赤くて、芝生は青くて。自分が自然にできることに、ひとは価値を感じない。

「自分」にフォーカスすると、輝けない場所で苦しむことになる。「仕事」にフォーカスすると、成果が出る場所、輝ける場所に注力できるようになる。

 

そして、強いところも、弱いところも、まっとうに現実がみえれば、やりようはある。自分に矢印が向くと、現実がみえなくなるから。だから怖い。

フォーカスを「いい仕事」に切り替えると。つまりそれは、貢献に。つまりそれは、価値を産み出すということに切り替えると。少しだけ視野が、戻ってきます。そして自分が、見えるようになります。

 

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Twitter:ryouen

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あざやかに生きる

 

企業はなんのためにあるのか。

あるいは、企業の目的は利益ではないという話について。

「企業の最終目的は、利益の最大化だ。」と、コンサルタントになった友人が言っていた。「だから、どのようなプロジェクトでも、いかに利益の最大化に繋がるか、から構造化して考えることが大切なのだ」とも。

 

その時はうまく言語化できていなかったのだけれども、ここでは「発想の拡がりについて」「プロジェクトの進め方」「あなたはなんのために生きているのか」という3つの視座から「企業の目的」についてその輪郭を炙り出したい。

 

  • 発想の拡がりについて 

企業の最終目的が利益だとする。企業の未来を創るためにはそこからの構造化が大事であると。そうすると「利益=売上ーコスト」で表される。売上=顧客数×客単価で、コストは固定費+変動費…と、ツリーは構造化される。もちろん、売上=新規顧客数×新規顧客単価+会員数×リピート率×リピート単価、であったり、売上=ライフタイムバリュー×顧客数、であったりというのは、色々に分解できる。こういった分析はとても重要だ。どこに課題があるかを時に、教えてくれる。

だが、ここから出てくるのは、基本的にはそれだけだ。この数式は新しいものは生み出さない。何より開発すべき新製品について、提供すべき新サービスについて、維持すべき顧客の心を掴んでいたサービスについて、何も教えない。採算がとれているかそうでないかは教えるが、不採算だとしてその事業を立て直すべきか、撤退すべきかを教えない。

だから、これだけでは意思決定のための参考情報にすぎない。企業の「目的」を利益に置くとだから、立ち戻る場所が利益であればだから、発想が制約される。

 

  • プロジェクトの進め方について

色んな会社で、色んなプロジェクトの進め方があるのだろう。僕らの会社ではプロジェクトを始めるとき、できるだけ「アウトカム」「ゴール」「アクション」を明確にして(時に仮説ベースであっても)進めることにしている。

アウトカムとは、なぜ、なんのためにそのプロジェクトをやるのか。そのプロジェクトの意義、意味。どうして他でもない私とそのメンバー、共に働くお客様が、貴重な時間を費やしてそのプロジェクトをやるのか。そのプロジェクトがうまくいけば、いったいどんな未来が待っているのか。どんな結果の為にやるのか。それを明確にする。これがプロジェクトメンバーを鼓舞し、視線の先を一にする。

ゴールとは、測定可能な達成目標のこと。いわゆるKPIが何で、その目標値はどこか、ということ。アウトカム実現のためには、最低限このゴールを達成していなければ、というもの。

最後に、アクション。ここがいわゆるプロジェクトで実際に実施する事項。施策。こういうことをやって、ゴールを達成しましょう、という部分。

余談だけれど、プロジェクトのスコープは、インプットが何で、アウトプット(成果物)が何かを決めること。

利益とは、「アウトカム」「ゴール」「アクション」で見ると、企業のKPIであり、ゴールにすぎない。アウトカム、つまり「その企業はなんのためにあるのか」に答えない。目的ではなく、目標にすぎない。

 

  • あなたはなんのために生きているのか

企業は、利益が出なければ潰れてしまう。継続的な企業利益の確保は、存続の条件である。それは確かに現実としてそうなのだと思う。

同じようにあなたは、ご飯を食べなければ死んでしまう。だから、資本主義の世の中では何らかの手段でお金を稼がなくては死んでしまう。お金を得ること、あるいは食べることは生存の条件である。それは確かにそうなのだ。

だが、だからといって、あなたはお金を稼ぐために生きているわけではないし、ただ食べるために(人体に必要な栄養素を摂取するために)生きているわけではない。つまり「死なないために、生きているわけではない。」ゆえに存在の条件は目的ではない。必要条件は十分条件ではない。

人は生きがいを求めるし、働きがいを求める。お腹がいっぱいになることでは満足しない。栄養を身体が必要なだけ摂るのではなく、美味しいこと、温かいこと、見た目にも綺麗なことを求める。

 

 

もちろん、若手のコンサルタントが、思考の取っ掛かりを「利益」そこに求めたくなるのは、わからなくも、ないのだけれど。

 

Why COMPLICATE Life ?

Facebookを使っていると、すっと流れてきたいちまいの画像。
なんだか、とても良いな、と思ったので、訳して置いておく。

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◆どうして人生はこんなにも、複雑なのか。

逢えない誰かを想う... 電話をかけよう。
あいたいひとが居ます... 招いてみよう。
わかってほしいとき... ちゃんと話そう。
聞きたいことがあります... たずねよう。
気持ちがのらないとき... そう言おう。
心惹かれてしまったなら... 告白しよう。
手にいれたいものがあって... お願いしよう。
愛しいひとがいます... そう伝えてみよう。

誰も、あなたの考えていることを知る術をもたないのだから
察してもらえることを期待するのはやめて、あなたから示そう。
待っているだけでは「ノー」と言われているのと同じ。
「イエス」が欲しいなら、一歩を踏み出そう。

一回こっきりの人生よ。
シンプルに、素直に、ひとと関わればいいんじゃない?

人生の記憶に残るシーン

  • 記憶に残るシーンだけが

永い生の歩みのなかで、憶えているものだけが想いだされる。当たり前のことでは、あるのだけれど。

感動したもの、憎悪したもの、打ち込んだもの、執着したもの、考えぬいたもの、愛したもの、驚いたもの、しっかりと味わったもの、特別をかぎとったもの、忘れたくないと願ったもの、何気なくぴんときたもの、日々に繰り返されたもの、それだけが想い出される。

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だから、忘れたくないと強く想えるなにかに出会えるかということだし、喪ったとき悲しいと心底想えるほど何かを愛せるかだし、自分のなかで動いた感情をとらえ味わえるかということだし、自分自身の、安心で平坦な日常よりも冒険を選べるかだし、偶然や奇蹟を捉えられる自分であるかということだし。 そういったことで自分自身の人生の記憶を彩り、重ねていくということがあるのだと思う。

願わくは、良い記憶を重ねる人生でありたいし、あなたに・あなたと上質な記憶を創っていける存在でありたい。積み重ねがその人となりをつくっていくような、よい記憶を。

そんな、追憶について。

 

  • 記憶のはじまり

坂道になった、灰色のコンクリートの道路に、丸い滑り止めの凹凸がついている。そこから、去るのだ。憶えている一番古い記憶。奈良から、神戸に引越しをする時の幼き日の記憶。幼心に、喪失を直観したのだろうか。その光景を憶えておきたいと、忘れたくないと、思ったのだった。奈良に居た時の記憶は他にはなく。

不思議な後日談もある。学生の頃、さるコンサルティングファームインターンをした。仔細省くが、僕らのチームを担当してくださった「チームビルディングの神様」の異名をとる彼は、学生なりに各々優秀でもチームワークのなっていない僕らを徹底的に詰めて「チームビルディング」をしてくださった。そのチームメンバーとは、今でも年に数回は会って食事をする。一応は日本を拠点に、地球を股にかけて働く彼らと会うのは、いつも楽しみだ。

濃厚な、しかしたったの数日で、お互いなにか感じるものがあったのだろう。ひととひとが「ぴんとくる」ということがあって。彼は僕にとって、師匠のような存在となった。インターンという枠組みも、内定を辞退するということをも超えて、今でもひととひとの付き合いをする。食事をして、進捗を話して、彼も僕から何かを持ってかえる。僕も彼に教えを請う。

話の折に、記憶に残っている奈良の話をした。 彼の記憶にも、同じ坂道があるらしかった。ふたりの住処は隣の駅で。19歳離れた彼が大学生だったころ、ベビーカーに揺られ母親に運ばるる僕と彼が、ふと視線を交わしたかもしれなかった。

 

  • しあわせはこべるように

1995 年1 月17 日。阪神淡路大震災が起きる。小学3 年生だった。家具は壊れ、テレビは吹き飛び、部屋の中に混沌が産まれた。寝ていたすぐ横に本棚が倒れ、その上にテレビが飛来し、本棚の背面板を破っていた。家中の食器が割れて、ガラスの欠片を踏まないように、スリッパを探した。その日食べたカレーには、ガラスの欠片が入っていた。

地は裂け、水を噴き出し、美しい神戸は凄惨な廃墟になった。幸い、救援物資は素早く届いた。水を汲んで、電気の復旧しないマンションの階段を登って、家族のために働いた。家族を守ろうと思った。「戦力」になれた自分が、ちょっとだけ、誇らしかった。

近所の友人が、実家に避難するから、と、マンションごと貸してくれた。住んでいた24 階にある家は、水を運ぶには大変すぎた。ひと月くらい、その家に居たと思う。その家の住人のおもちゃや、普段家では見なかったテレビ番組を見て、楽しんでもいた。

子供心にうっすらと感じ取る冒険の匂いと、大変な、日常と、楽しんで生きようとしたことと。そして何より、神戸の人たちが助け合っていたのを覚えている。近くのスーパーが食料品をタダで解放してくれたこと。実家へしばらく行くから、と冷蔵庫の中の食糧を全部くれた友人の母。電気が復旧し、街の傷跡が隠されていく。旧友と自衛隊の炊いた温泉に行って、暖かかったこと。仮設住宅の急ピッチの建設。そこには希望が、あった、ような。

 

今でも、折にふれて「しあわせはこべるように」を聴く。震災の、うただ。

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1. 地震にも負けない 強い心を持って 亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう 
傷ついた神戸を もとの姿に戻そう 支え合う心と明日への 希望を胸に 
響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸の町に 届けたい私たちの歌 しあわせはこべるように 

2. 地震にも負けない 強い絆をつくり 亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう 
傷ついた神戸を もとの姿に戻そう 優しい春の光のような 未来を夢み
響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸の町に 届けたい私たちの歌 しあわせはこべるように
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しあわせはこべるように、なりたいと、今でも心底、そう思う。

 

  • 僕は葬る

学部3年生の時。祖父が亡くなった。大好きな祖父が亡くなった。間質性肺炎という、難病であった。ちょうど神戸に戻っている、夏休みの事だった。

父は居らず、母は難聴だったから、僕が喪主をやった。人工心肺をつけての治療を拒否し、難病に貢献するために、肺の提供/解剖を意思決定した。決断はいつだって、準備ができていないときにやってくる。

死の直前、病院から連絡があり、母親と二人、病室へ駆けつけた。死を感じていた祖父は、後を頼む「仲良うな」と言った。「これだけ立派に育てて頂いたら、どうやっても生きてゆけます。心配はいりません。」と応えた。本当にそのつもりだった。生きていける、僕は。

僕にとっては少々甘過ぎ、少々歳の離れすぎた祖父は、僕の父性のモデルのようなものであった。そんな、父に、いままで育てていただいて、ありがとうございましたと言った。今、言わないときっと、後悔すると思ったのだ。

祖父は、無理矢理に、笑顔を作った。

「わしは苦しいから、少し寝るわな」と言ってから、ドラマとは違ってもう少しだけ苦しんで、

 

そうして帰天した。

 

  • Change means Make the impossible possible.

グラミン銀行インターン。「なにか、成果を出してやろう」という僕らの前に、ひとりの文字も読めない、生計の途もない、死にかけた、でも元気な老婆があらわれたこと。直截言われた言葉はわからなかったけれど、彼女生き様がまざまざと問いかけてきた現実。聴こえの良い成果を出すのではなく、目の前の彼らに価値を残そうとした日のこと。

 実践する段になって、今度は現地人々の思い込みが障害になって。彼ら自身が状況を変えられないと固く信じていて。でも、メンバーの一人が熱意を込めて、押し切って、それで、なんとかプロトタイプの授業をやってみようと交渉して。そうしたら、実はそんな思い込みは思い込みでしかなかったということ。やる価値のある事は、何かを変えることだということ。何かを変えるとは、不可能を可能にしてみせる事だということ。それが、あなたの幸せに繋がらなくてはその変化の価値など無いということ。みんなが「俺がやった」と思っているオーナーシップの高いプロジェクトのこと。顧客の笑顔から、多くを学んだ。私たちは、たった4 人の非識字者に、だけど事実ほんとうに、自分の名前が書ける能力を与えた。

ムハマド・ユヌスから直截に「世界は変えられる、もしそう望むならば」「明日からのチェンジメーカーではなく、今日からのチェンジメーカーであれ」その言霊が、僕らの中に。

 

  • たからもののような記憶たち。

幸せなことに、たくさんの、たくさんの、大切な記憶がある。それは自分の人生の成長とリンクしているのだとも、思う。

中学受験をサボり倒した日々。ミニ四駆やカードゲームに打ち込んで、大人と戦っていた時のこと。六甲の山を駆け登った中高六年間。ケーキショップやカードゲームの模擬店をつくり、そして何時間もかけてついに公開できなかった映像を創った文化祭。物理部で膨張率を分子間力からの推計と実測を比べたり、万有引力を測ろうと試行錯誤した日々。

夢をいだいてひとり、浪人するために上京して、珍しかった東京の街並み。浪人中、友人と東京タワーに遊びに行った日のこと、ビリヤードをおぼえたこと。

大学の合格発表の直前に失恋して、自分の番号が掲示板にあるのを見つけて「ああ、そうか」とだけ想った、嬉しくなかった合格発表の日。

ちょっと元気になれるかも、と、演劇サークルに入ったが運の尽き。週3の(年の1/4は週5で)身体づくりに勤しんだ日々がはじまり、役者とスタッフのセクショナリズムも、マーケティングの無い広報宣伝も、東大生といっても、せいぜいお勉強ができることだけが保証されたバカだとバレるということも、今ではいい想い出。そうそう合格前にフラれた事を期に、自分ではないものを求めて、キャラクターづくりをして、それも上手く行かなくてやめたりしたっけ。

ビジネスのイロハも知らない仲間たちで、大学受験をサポートするサービスを立ち上げて、ひとりの顧客も獲れずに撤退したこと。最初のたった3人でもう、コミュニケーション不全に陥っていた愛すべき馬鹿の自分たち。中学受験にシフトして、ようよう反応があった感覚。信じてくれた顧客を裏切る結果になった日のこと。顧客が増えて、人が増えて、顧客への「貢献」ということを、すこし実感できるようになった頃。

思い立って、Stanfordの教授にメールを送って、ひとりで飛行機に飛び乗って、StanfordのME317を受講して、d.schoolを見て、サドベリースクールに行って、Googleをひと目見ようと辿りつけずHOPE/Church通りに迷い込んだことだって。終バスの時刻もバス停の場所も分からず、走った夜。次の梅雨の季節、教授の訃報が届いたこと。

賞を獲ると決めて卒論に向かって、賞を貰った卒業式のこと。それより練習を繰り返した発表を終え「見事だったね」という言葉を貰ったあの日のこと。それでも軽い気持ちでぼんやりと大学院に進学して、多大な迷惑をかけて、そして辞めたこと。

あなたと笑いあった日々、泣かせた日のこと、喧嘩した日々、手探りだったとき、見当違いに頑張って、格好をつけてたあの頃。

大学院を辞めた代わりに、イキゴトという会社にコミットしたこと。それでも上手く行かなかった時期のこと。顧客への貢献といいながら、いつのまにか自分自身だけを見ていたことに、気づけたこと。気づいたら「頭のつかえ」がとれて、少しづつちゃんと貢献ができるようになってきたこと。

 

人生の記憶に残るような、濃密で生々しいリアルなシーンが、人生のリソースになっている。人は体験を選ぶことができ、体験によって人はつくられる。

記憶に残るような、激しい、燃えさかるような日々をつくりたい。記憶に留めておきたくなる、穏やかで上質な、あたたかい日々を送りたい。

 

だから、僕の目指す「会社のブランディング」は、クライアント企業が「お客様の人生の記憶に残る会社になること」なのです。

 

せめて、僕の眼がとらえたように

  • 違う世界を、みているというのに。
 僕らはみな、違うように世界をみている。同じ世界を、違うようにみているのか。似た世界を、違うようにみているのか。それはわからない。わからない中で確実なのは、僕がどのように世界をみているか伝える手段は無いのだし、他でもないあなたが、どのように世界をみているか知る手段を持たないということ。
 
 人によっては人工物のレンズを使って、虹彩で光量を絞り、水晶体でピントを合わせ網膜に結像させる。光は電気信号へとエンコードされ、脳に送られ視覚野で解釈される。人工物のレンズ以外は、きっと世界中に2つと同じ形はなく。従って同じ世界をきっと見てはいないだろう。他でもない僕が、他でもないあなたと、どのくらいその差異があるかはいつまでも分からないけれど。
 
 視覚の話だけではもちろん、なくて。同じ物を見たようで解釈は異なるし、人と人との間のズレは、ときに破局へとその姿を還るものだし。分かりあえたようでも現実には以心伝心ではないから、ひとは、ふたつのアプローチをとる。
 
  • 真実には眼を瞑るのか。真実をせめてみようとするのか。
 分かったことにしたいし、分かりあえたことにしたい。鈍感になっていく。無感覚になっていく。迎合していくほうへ、ひとは時に駆動される。「私の感じた真実」よりも、目の前の人と「分かりあえたことにする」のが大切なのだと。真実にはしばし、まどろんでいてもらおう。痺れるような甘美なひとときのために。
 
 僕の中の真実が眼を瞑ろうとしないなら、違いを、自分の感覚を、大切にするよりなくて。その感覚を、言葉を尽くして話すのだろうししたためるのだろうし、つくるのだろうし、表現するのだろうし。わかろうと聴くのだろうし、視るのだろうし、息遣いを表情をとらえようと想うのだろうし、味わおうと感じようとするのだろうし。
 
この両極端の狭間で、あっけらかんともどかしさの間で、危うくもひとは揺れている。ふつうに生きていくには前者が良くて。たいせつな時には後者でありたくて。その間合いのあわない二人はなんとも間抜けで難しい。
 
  • 新しいカメラを買った。


 もう2週間も前になるけれど、SIGMA社のDP2xという単焦点カメラを買った。「ちょっと縁があってSIGMAを」という所も正直なところあるのだけれど、せめて、僕の眼がとらえた真実が、まっすぐに伝わるカメラが欲しかった。自分がいいなと思ったものの、せめて見た目が空気感が、伝わるといいなって。

 きっかけは、こうだ。Facebookで1,2ヶ月くらい前から、ちょくちょく美味しいご飯の写真をアップしている。まあこれが、残念なことに、美味しさがあんまり伝わらないのだ。いい雰囲気の飲食店は、人間の目にはちょうどよくて、ケータイのカメラの目にはちょっと暗すぎる。これじゃあ何も、伝わらないのだ。
 

  • 難しいカメラだった。

 ネット上のあらゆるレビューを読んでから買ったので「知っていた」のだけれど、気難しいカメラだった。パチパチ撮って、そこそこ出来の良い、お手軽なカメラではない。手ブレ補正もついていない。操作性もそう高くない。顔認識なんて無い。単焦点だから当然、ズームも無い。

 でも、光への誠意が感じられるカメラだなと思って買った。RGB全色を捉えるFOVEONセンサーと、そして国内工場で営々と60年レンズをつくり続けたSIGMAのカメラだったから。

 初日には、ひどい写真しか撮れなかったけれど、あらかじめ知らなかったことが徐々にわかってきた。他人に委ねられないカメラだと思った。枚数を撮っていいものを選ぶのではなく、ゆったりと身構えてしっかりと呼吸を整えて「この瞬間」を切り撮るような撮りかたが必要なカメラだと思った。

 

 同じ場所に居て、同じものを、同じように見ているようでいて、僕らは世界をきっと、違うように視ている。違うように視ているから誤解も生まれるし、わかりあうことは難しい。わかりあうことが難しいのは、もどかしいことだけれど、そこに伝える余白がうまれる。表現の余地がうまれる。言葉を尽くして書き、話し、撮り、編集し、仕上げをする。

「分かったつもり」になれる効率のいい平和で便利なコミュニケーションもいいけれど。時間の掛かる一歩一歩な、だけど真摯で豊かな時間。それを持つということを取り戻すのもいいなと僕は思ったのだった。いい写真を撮ることではなく、もどかしくも伝えようとした一枚を撮るという時間そのものを、たいせつにしたい。