id:scherzo_xenon さんの日記が結構面白い。僕には、頭の良さのというものが一体何であるか、ちっともわからない。『「自ら問いを立てる能力」「それをどうやって解決すればいいか考えられる能力」「自分がいまどこにいるのかを客観的に把握できる能力」』こんなものを高校で習った覚えは無い。 そんなものは、自分で身につけるものだ。 「身についている」ものだと言った方が正確かもしれない。自ら問いを立てる能力というのは、小さい頃から持っていた好奇心をまだ、失っていませんか?という質問と等価であるし、 どうやって解決したらいいかというのは、興味を持ったことについて、それをきちんと調べたり考えたりしていく過程で自然に鍛えられる。

 僕は物理以外の科目を高校に頼ったことは無い(というか、サボりすぎてほとんど全部寝てた)ので、成績では学校で最下位に近い事は把握していた。しかし、“本当の”能力というものは畢竟、相対的なものではないように思われる。 すなわち、把握すべきは自分がどれだけ自分に満足しているか、自分がどれだけ自分自身を許せるか、という意味での「位置」である。 僕は中高6年間を楽しく過ごしきった自信がある。僕は、「もしも世界が100人の村だったら」というあの自分が世界の中で何%の裕福者だ、とか、そういう上や下を見た言い方が大嫌いだ。『○○人より幸せです―』 別に、幸せってそういうものじゃない。幸せってほら、例えば二人で過ごす日常とか、つまりはそういうもの。把握すべきは、何が自分にとって幸せなのか、ということだ。

 話をここで変えてしまおう。「幸せでいる」、というのは、実際勇気の居ることだ。 今掴んだ幸せの記憶というものは、未来の私を間違いなく、苛む。 「しあわせから逃げない勇気」というものは、かなり大変な勇気であるように思われる。 だから、「幸せとの距離感」なるものをつかめる能力(要するに未来と現在と過去の自分を把握する能力)は幸せに生きていくのに大変重要なんじゃないかな、と思う。