節度 / 144453

mixi

疑問
mixiって悪口書く所なんですか

というメッセージがやってきた。

「悪口」が、もし根拠無き誹謗中傷の事だとするならば、
全く「悪口」なんて書いた覚えは無いのだけれど。

そして、言っておくならば、この疑問は「卑怯」である事も指摘したい。
なにかただ一つの目的しか持たない「場」などほとんどない。
それを何か一つ挙げて「mixiは悪口書く所なんですか」という「疑問」は
・悪口を書く所です。
と言っても、
・悪口を書く所ではありません。
と言っても、
どっちにしても、先に「疑問」を抱いた方が有利になるように仕組まれているのだ。
最初に、一元的に「xxの場」かどうかと問うという事によって。

そう言った事を考えながら、
僕はただ

あなたが書くべきでないと思うなら、書かなければよいのではないでしょうか。
そして、道徳やモラルといった権威を利用してそれを人に押しつけることなく、ご自身の規範として、ただ守ればよいのではないでしょうか。

あなたは、どう思われるんですか?

とだけ返した。

僕の頭の中には
正しく生きるとはどういうことかがあったのだった。

人は何かをする権利がある。
人は何かをしない権利がある。

だが、人から何かをされる権利・受動的な権利は持たないのだ、
と著者 池田 清彦は言う。

あなたは人に親切にする権利はあるが、
お礼を言ってもらう権利は無い。

あなたは人を愛する権利はあるが、
愛される権利は無い。

だから、「恩知らず」にあっても、自分はただしたいから「恩」を与えたのだと思えば良いし、
愛されなかったとて「ああ残念」と思えばいいのだ。
もともと、そんな権利は、ないんだから。

この本は、「正しく生きる」という言葉の含む“重さ”とは逆に、少し肩の荷が降りるような、そんな本だった。