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 僕は、「合格」というものをいささか過小評価していたのかもしれない。
あの落ち込み様から、合格などで、一体どこまで回復できるというのだ―と、僕は思っていた。
だが、事実は違った。
僕の内に在って、僕を悲しみへと篭絡していたもの、すなわち、恐れ、不安、挫折、絶望、悲しみ、憤懣、虚勢。
このうちの不安に関しては、恐れに関しては、東京大学の合格の未確定という要素も関与していたのだろう。
合格という事実が、ほんの少しだけ、嬉しかった。
「おめでとう」と言ってくれる人、「よかったね」と言ってくれる人の存在が嬉しかった。
「ありがとう」。
まだ、悲しみの残滓というものがそこはかとなくこびりついている。
だけど、だけど、乗り越えられそうな気がする。

 合格発表を見に行って、合格を確認した。
はじめに、祖父母に電話した。次に、母にメールを送った。
その後、駿台のクラス担任に会った。彼の方から話しかけてきたのだ。
「あ、受かってましたよ。」僕は答えた。僕の表情はやはり沈んだままだったのだろう。
「え、ほんとに!?」彼は安堵よりもむしろ、どうして喜ばないのだ、と訝しがるかのように聞き返した。
「はい。」気分はともかく、事実は合格であったのだった。
「では、写真を撮りましょう。」彼はそういって、カメラを構え―
「自分の番号を指さしてくださいね」と言う。
僕は、そのようにした。
このカメラという視線の中で、被写体である僕は、悲しみよりも嬉しさを体現したかった。
真っ直ぐ前を向いて、唇を笑顔の形へと持っていく。
フラッシュが、光る。
「もう一度撮りましょう」と彼は言って、僕は自分の受験番号を改めて指差して。
今度はもう少し、いくぶん、笑顔で。
「あ、ありがとうございました」と、担任は言って、その場を去る。
そして僕もその場を離れようと、生協の“合格袋”をもらいに行こうとした刹那―
 サークルの勧誘攻勢に遭った。
サークルの説明を受けながら―去年、神戸大学医学部に受かった友達が、
『みんなも合格したらオレみたいなヤツが怪しい笑顔で近づくから気をつけてくれ』
なんて言っていたのを思い出しながらも、合格の実感というものが、高まっていった。
嬉しかったんだろう、って思う。冷静に、自分が嬉しい状態にある事を受け止めた。
いくつかのサークルの勧誘後、生協で登録して、袋を貰って。
そして、赤門から外へ出るまで、また、サークルの攻勢をかいくぐって。
結局、僕は、21枚のサークルのチラシを貰ったのだった。
本郷の目の前のホテルにすぐに戻って、ロビーのインターネット用パソコンから自分のページを開き、更新した。
以前から作ってあったはてなダイアリーにリンクを貼り、そして、合格、と書いた。
僕がしたのはそれだけだった。友人から聞かれたら、合格と答えた。

 それから、駿台に行って。
お世話になった先生の、大学生準備講座を受けた。
森下師―「量子力学」―。
授業後、その後文系の友達に会った。
彼は一橋と早大と、どちらに進学すべきか、という贅沢な悩みを持っていた。
彼と本屋に行って、学部選びの本のコーナーあたりを一緒に見て、
彼はこの後お茶会があるらしく、本屋で別れた。
僕は、食事を摂ろうと歩いていると、いきなり呼び止められた。
理系の友達に会った。
五右衛門というスパゲティ屋で、食事をした。
ビリヤードに行った。二時間。
カラオケに行った。一時間半。
彼とも別れ、本郷のホテルへと戻る。
ホテルに戻って、深夜12時、Tから電話があった。
「うん。」
「うんちゃうねん。どうやってん。」
「受かってたよ。」
「・・・知ってる。」
僕は彼にも自分から受かったとは言わなかったから、
「なんでさっさといわへんのや」
と言って、怒られてしまった。
悲しみの残滓!それは確かにそこにあったが、少しずつ、じわじわと、消失していっている気がする。
まだ、他人に希望を持ってもいいのかもしれない、って。そう思う。

 それでも、まだやはり一人の夜は怖い。
ベッドに入ってすぐにまどろみへと落ちて行けないとき、
それは暗闇の中、自分の心との対談を余儀なくされる。
それはとてもとても辛い作業なのだ。
思考の、延々ループ。あの時ああしていればよかったんじゃないのか。
もっと早くアクションを起こしていれば今頃は―。
考えても仕方が無いことを、考えずにはいられない。