- 頭の良さ/124917

 人は、「塊」で物事をとらえる。
バナナ、リンゴ、みかんがあります。
と言われれば、「ああ、果物があるのね」と思うし、
7, 14, 21, 28, 35 ... と言われれば、次は42だな、と思う。
前者は、そのバナナ、リンゴ、みかんの3者に通底する、同じ要素を見出し、
後者は、7×n という、法則を帰納する。

これらの「まとまりを作る力」は、言ってみれば、「関連性を見抜き」「より広くを俯瞰する」力だ。
この力は、「頭の良さ」と言われる要素の一つと言って差し支えないだろう。

例えば、「母国語を読む」とは、文字と文字、単語と単語、文章と文章、段落と段落を関係づけて、
全体の文脈での中でのその文章、全体のテキストの中でのその単語の意味を同定しながら読み進めていく事に他ならない。

英語の学習を想起してもらえば分かってもらえるだろうが、
例えば、
T + h + i + s というアルファベット一文字一文字を確認して、This(これ)という単語なのね、と理解するのが英語学習のもっとも初期のプロセスだとすれば、
This, That, It, These, whoなど、単語を一目見て、その単語であると「まとまりで理解する」事が、まずは英語力向上の第一歩となりうる。
アルファベット一文字 → 単語 へと、「まとまりの理解」が進んだわけだ。
そして、学習がより進めば、

Everybody, if I could have your attention please, I'd like to introduce the newest addition to our faculty.
というような文章も、
単語ごと、つまり、みんなが、もし、わたしが、かのうなら、えーと、あなたの...
というような理解ではなく、
「Everybody」
「if I could have your attention please」
「I'd like to introduce / the newest addition /to our faculty.」
のような、「まとまり」に分けて理解する事ができる。
(それを文法用語を使えば、「節」に分けて...と言えるだろう。)

自明な「関連性」ではなく、より広くの、より高くの、関連性を見いだせる力というのが、賢さだと思う。

だが、逆の視点から見れば、何かを教える際、伝える際の「わかりやすさ」とは、「まとまり」の事だとも言える。
一つは
・「まとまり」で説明する。
もう一つは
・「まとまり」を作るように指導する。

前者は、当たり前のことだし、よく実行されている事だが、
全体を俯瞰して説明→小項目に降りてきて説明。
というようなスタイルで、上手な先生は誰でも実行している。

後者はしかし、実行している人はそんなにいないのではないだろうか?
例えば、小学生の子供がいるなら、

32 - 6 × 4 + 3 - 16÷2 = ?

といった問題があったとき、プラスとマイナスを間違えて計算する、という事はよく見られるケースだ。
そして、保護者や教師は、往々にして「プラスやマイナスを強調しろ!」と指導を行う。
しかし、本当に意味があるのは、例えば、
「- 6 × 4」というまとまりで、あるいは、「- 16÷2」というまとまりなのだ。

よくある指導のように
32 「-」 6 × 4 + 3 「-」 16÷2 = ?
というのは、実は問題を分かりにくくしているだけではないだろうか?

それをやるのであれば、
32 「- 6 × 4」 + 3 「- 16÷2」 = ?
とか、
32 - 6 × 4 + 3 - 16÷2 = ?
とした方が、はるかに分かりやすくないだろうか?

こういった問題で、−、や÷「だけ」に○を入れて強調している子供を見て、少しそう思った。