みらい04―ダニエル・ピンク『ハイ・コンセプト』/206370
ダニエル・ピンク著『ハイ・コンセプト』を読んだ。
『ハイ・コンセプト』とあるが、原題は"A Whole New Mind"(新しい全体的思考)である。著者ダニエル・ピンクは「フリーエージェント社会の到来」などでも有名であり、農業の時代、工業の時代、情報化社会の「三つの波」の次に来る第四の波:「コンセプト社会」の到来を告げる。
次の三タイプの人は成功する可能性が大だということだ。それは、「境界を超えられる人」「発明できる人」「比喩を作れる人」である。
(p212)
- 未来の社会・未来の経済はどうなるか?
コンセプトの時代になる。
コンセプトの時代とは、
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- ほかの国で安くやれない
- コンピューターではできない(反復的でない)
- 豊かな時代の中でも需要がある
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ようなもの、すなわち【コンセプト】を産み出す時代ということだ。
豊かさによって、アジアの安価な労働力によって、またコンピューターのオートメーションによって、これまでの仕事はより競争が激しくなり、単純な仕事から置き換えられる。
既に、弁護士の仕事、医師の仕事のうちの一部はソフトウェアに置き換えられつつある。
筆者はこのようなコンセプトの時代にあって、【ハイ・コンセプト】と【ハイ・タッチ】すなわち
ハイ・コンセプトとは、芸術的・感情的な美を創造する能力、パターンやチャンスを見出す能力、相手を満足させる話ができる能力、見たところ関連性のないアイデアを組み合わせて斬新な新しいものを生み出す能力、などである。
ハイ・タッチとは、他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取れる能力、自分自身の中に喜びを見出し、他人にもその手助けをしてやれる能力、ありふれた日常生活の向こうに目的と意義を追求できる能力、など
(p103)
が重要であるという。
例えば「ハイ・コンセプト」な医師を育てるためコロンビア大学医学部では学生は「物語医学」を学び、イェール大学医学部ではイェール・イギリス美術センターで絵画を学ぶ。前者は、診断における重要な部分は「患者が語る物語」に隠されているという気付きからきたもの、後者は絵画を学ぶ学生は患者のコンディションのごく細かい部分まで気づく能力に長けているという気付きからきたものである。
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- 未来の社会が要求する6つの感性とは
- 機能だけではなく「デザイン」
- 未来の社会が要求する6つの感性とは
機能が「実用性」であるとすれば、デザインは「有意性」と「実用性」の組み合わせである。良いデザインのものを見つけたら記録しよう。
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- 議論よりは「物語」
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「物語」は思考の根本的な道具。
「英雄の旅」「神話モデル」の物語は
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- 旅立ち
- 新たな世界に入る「イニシエーション」
- 帰還
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この3つの部分から成る。
小さな短編物語を描いてみよう。質のいい短編を読もう。
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- 個別よりも「全体の調和」
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調和とは、バラバラの断片を繋ぎ合わせる力。分析の逆、統合の力のこと。
「境界を超える」「発明する」「比喩を巧みに使う」ことはこの調和の力による。調和を奏でられる卓越した人は、パターン認識に優れ、全体像を見据え、繋がりを考える。
調和の力を身につけるために、「みたまま」の絵を描いてみよう。象徴的なイメージ、記号として左脳で記憶されたものの採用ではなく、見たままを。他には、優れた交響曲を聞くこと、普段絶対に読まない雑誌から学ぶこと、いいたとえ話を書き留めること、などがあげられる。
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- 論理ではなく「共感」
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共感は、コンピューターには真似ができない(いまだ2人の顔を見分けることすら難しい)。コンセプトの時代にあっては、論理力に加え、共感が重要である。共感は生きるための倫理であり、国や文化を超えて人々を結びつける普遍的な言語である。
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- まじめだけでなく「遊び心」
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「何事も楽しんでやらなければ、まず成功しない」サウスウェスト航空の綱領にこうある。遊びは、ゲーム・ユーモア・喜びに代表される。ゲームを遊ぶ子供たちは教室よりはるかに効果的に学びを体験する。ユーモアは人間特有の洗練された知能の表れである。
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- モノよりも「生きがい」
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人が追求せずにはいられない、幸福の形、それが意義の追求だ。
90歳になったとき、自分は何を達成しているか、何に貢献したのか、そして何を公開しているか考えてみよう。あるいは、今あなたが20億円持っていて、残りの人生は10年しかないとして、今やっていることをやり続けるだろうか、と。
これら6つの「感性」が必要だと言う。
また、これらを違う観点からとらえれば、以下の2つが、これからの時代に求められる資質だということができる。すなわち、
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- エキスパート思考
決まった解決策が存在しない新しい問題を解決する事
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- 複雑なコミュニケーション
説得、説明、その他の手段で情報についての特定の解釈を伝えること。
だと言う。
“左脳偏重”の学校教育を受けてきた、すなわち、コンピューターに入れれば一瞬で解けるような算数や数学の授業を受け続け、検索すれば一瞬で答えがでるような事項を暗記させられてきた我々は、それらの力に加え、確かに「デザイン・物語・共感」の力を磨く必要があるように思う。
ビジネスとは顧客の問題解決であるとすれば、“惻隠の情”―共感の力は、確かに、たしかに顧客の問題に気づくための最初の一歩でありうるだろう。
◆編集後記
Re:伸びる学生・伸びない学生
http://mind-set.jp/contents/blog/2009/05/post-51.htm
責任感が高い人は、それまで悶々と過ごしていても、
一歩アクションに移すととたんに伸びていく気がする。その責任感というのは別にたいそうなものじゃなくて、
期日を守る、とか、途中で投げ出さない、とかそういうレベルで良い。
特に派手な技能や才能が一見なくても、そういう人はグンと伸びる。一方で、簡単に期日を破れてしまう人、
途中で投げ出して言い訳や現実逃避する人、
しょぼいアウトプットでも自分を許せる人、
こういう人は色々やってもあんまり変わらない。よく"意識が高い"学生とかいうけれど、
意識が高くても責任感が低い人は不思議と伸びていない。
責任感は、
・いかにownership(=これは自分の立ち向かう問題だ)を持てるか。『自分ごと』として捉えられるか、に依存するように思う。
「(他の誰でもない私が)嫌われたくない」とか「お金が貰える」、というのは、ある意味では「自分ごと」として捉える手段:すなわち、自分の具体的な不利益や利益と、目の前のタスクを結び付ける、ということが、「自分ごと」を引き出しうる。
もう一つ、
「そういう立場になる」こと。まさにあなたがタスクやプロジェクトのオーナーになる、ということ。そういう機会や立場が与えられること、自分で勝ち取ること、宣言すること。これらがオーナーシップと責任感を生み出す。
翻って、責任感の無い人、責任感の乏しいと見られる人は、他人と協同するプロジェクトにおいて、プロジェクトのオーナーシップより、「自分だけの問題」を優先することが多い。ように思う。
そしてそれはきっと、「いま」の誘惑や、「キリのよいところまで」の誘惑に弱いせいじゃないだろうか。「いま」自分がこれをやり続けていたいから、次の約束に遅れてしまう。自分が「キリの良いところまで仕上げたい」から、ざっくりとした情報でもよいから、という相手の要望を無視して、「仕上がるまで時間をかけて」しまう。
責任感のある人は、今を見つつも、プロジェクトのゴールを。自分のことをしながら、他人との約束も。両方を見ている。
何より、目的に優先順位をつけるのが巧い。行動に移すのが速い。窮地でも逃げない。犯人探しより価値創造が、言い訳より対策立案が浮かぶ。そのように自己改造できる。
僕は自分が「Ownershipを持つと決めた」ものについてはそうありたいし、そういう人と協働したい。