感動を、どこか求めて

 
  • みらいを、ひらく。

感動できるくらい、美味しいものを食べたい。 大切なのはそう、感動。 感情が動くような味を、舌触りを、温かさを、求めている。 会話が弾むのではない、むしろ会話を忘れるような、深くためいきの出るような。 そこでは人は、同じ感動を目撃した同志になる。

そういう、味蕾がひらかれるような食を、求めている。

 

  • 邂逅、そして

 美味しいものを食べるのは、昔からすきだった。 美味しい物をお腹いっぱい食べるのが好きだった。 でも感動を求め始めたのは最近だ。感動があれば、お腹いっぱいにならなくてもよかった。感動を求め始めて、せいぜい1年。キャリアが短い。 いろんな人に、教えてもらってばかりいる。ありがたい。

 ただ美味しいものを食べていた僕が、感動を求め始めたのは、感動と出逢ったからだ。

 

  • だって感情が動くのだから。

生の豊かさを変えてしまう何かがあるとすれば、そのひとつは感動だ。感動を味わうと、人生が豊かになる。感動のない人生は、きっと味気ないんだろう。 良いことばかりではない。中毒になる。もっと大きな刺激を求めるようになる。 次の感動を探すと、ハズレにだって、出あう。 でも、求めるために動くのは、いきものらしいと思う。

 

  • 感動を味わい、感動の紡ぎ手になる。

感動を、ひとつひとつの感動できる瞬間を機会を、味わい尽くしたい。そういう感受性を持っていたい。感動とは、こころが動くことだ。繊細に自身の、こころの動きを捉えられる自分でありたい。

感動の紡ぎ手になりたい。でもきっと「感動させてやろう」から感動は産まれない。こころを動かしたいなら、こころを込めて仕事をするしかない。