みらい06―ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る』/215014

それは、私が建国のために力を尽くそうと願っていたバングラディシュではなかった。無用の死がバングラディシュを荒廃させているというのに、大学の教室でエレガントな経済理論や自由市場のほぼ完璧な作用といったものを教える事が、次第に難しくなってくるのがわかった。
圧倒的な飢餓と貧困に直面して、私には突然、そんな理論が空虚に感じられるようになった。私は、自分の周りにいる人々が、あとほんの少しだけでも多くの希望を持って、さらなる一日を乗り越えられるよう、何かすぐにできることをしたかったのだ。
(p89)

私にとって、開発の本質は、(世界)人口の半分を占める貧しい人々の「人生の質」を変えることである。その「クオリティ」は、消費量の大きさによって定義されるべきものではない。また、そこには個人が自身の創造的な可能性を切り開くことができる環境を含んでいなければならない。これは、収入や消費額をただ測定するよりもずっと重要なことだ。
マイクロクレジットは、社会の打ち捨てられた人々の間で、経済的なエンジンのスイッチを入れる。たくさんの数の小さなエンジンがいったん動き始めれば、大きなことが起こる準備は整うのだ。
(p108)

貧困は、人々に困難と不幸の中で生きる事を強いるだけではない。生命の危機に人々をさらしかねないのだ。貧困は運命をコントロールしようとするあらゆるものを人々から奪うため、人権の究極の否定になる。言論や信教の自由がどこかの国で侵害されたときに、世界的な反対運動が組織されることはよくある。
しかし、貧困が世界の半分の人口の人権を侵害しても、私たちの大部分は、その考えを頭から振り払って人生を続けていくのだ。
(p176)

私は、すべての人間は生まれつきの、しかし、一般に認識されていない「技能」を持ち合わせていると堅く信じている。それは、生存のための技能である。貧しい人々が「生きている」というまさしくその事実は、彼らにはこの技能があるという明白な証拠なのである。彼らには、私たちに生きる方法を教えてもらう必要などない――彼らはすでにそれを知っているからだ! そこで、彼らに新しい技能を教えて時間を浪費するよりも、彼らがすでに持ち合わせている技能をできるかぎり発揮するのを助けることに、私は焦点を合わせたのだ。
(p189)

ここ数日間、私の頭を占めているフレーズがある。"Creating a World Without Poverty" この書のタイトルである。
貧困のない、世界を創る。しかしどうやって?
この本は、その理想の為に人生を賭け闘った、そして今も戦い続けている著者ムハマド・ユヌス自身の取り組みを表した書である。
ユヌスと、彼が創った「ソーシャル・ビジネス」の第一号グラミン銀行は、2006年ノーベル平和賞に輝いた。

本書から読み取れるユヌスは、いわゆる慈善事業家ではない。読み取れるのは、高邁な理想を掲げ、静かな怒りを湛え、そして、経済学の博士号を取るに至る市場の理解とビジネスの経営者としてのユヌスである。

ユヌスがグラミン銀行そして、グラミン・グループの豊富な実例を以て本書で語るのが、ソーシャル・ビジネスである。

  • ソーシャル・ビジネス

それでは、ソーシャル・ビジネスとは何か。ソーシャル・ビジネスとは、社会的な目的(栄養不良の子供たちへの安価高栄養価食品の提供、廃棄物のリサイクル、良質な教育の提供etc...)の最大化ゴールとする会社である。同じく社会的な目的の為に設立されるNPONGO、行われるチャリティとの違いは、ソーシャルビジネスがその名の通り、ビジネスであるという一点である。

ビジネスであるという事は、そこにマネジメントがあり、通常のビジネスと同じようにコストがあって利益があり、利益によってすべてのコストを回収する。すなわち、寄付や助成金などの外部財源に頼らず、自己持続型の組織の事を言う。

それでは、通常の【利益最大化】ビジネスと、ソーシャル・ビジネスは何がどう違うのか。
もちろん、これまで通りの【利益最大化】ビジネスも社会的な目的を多くの場合は達成している。会社の目的は顧客の創造であり、これまでのビジネスによって、多くの人が豊かさを手に入れてきた。
ユヌスは、その違いを以下のように説明する。

  • ソーシャルビジネスの2形態

第一の形態は、投資家や株主は一切の配当を受け取らないというモデルである。ソーシャル・ビジネスによって、投資家は、投資分のお金を全て取り戻すが、それ以上の利益は得ない。利益はソーシャルビジネスを行う企業の中に貯えられ、そのサービスや商品をより安価で提供するために、あるいは、拡大し、より多くの人がそのサービスを享受できるようにする。

第二の形態は、まさに貧困者によってソーシャルビジネスが所有されているという形態である。この形態では、利益は株主・所有者である貧困層に分配され、それ自体が社会的便益を産み出す。その企業の提供するサービスは、社会的な利益の最大化を目標とすることもあれば、そうでないこともある。

このようなソーシャル・ビジネスを、より多くの人が起こすことを、かかわる事を、投資することをユヌスは希求している。

そうしてユヌスは、貧困の無い世界の創造を願う。マイクロクレジットは、事実一億人以上がその恩恵を受け、貧しい人々を自立に誘っている。彼と、持たざるものたちのグラミン銀行は、利益を上げ続け、ビジネスとして軌道に乗っている。

私たちは自分たちが欲しいと思うもの、あるいは拒まないものを得ます。私たちの周囲には常に貧しい人々がおり、貧困は人間の運命の一部であるという事実を、私たちは受け入れてしまっているのです。これこそが、まさに私たちの周囲に常に貧しい人々が存在し続ける理由なのです。もし、貧困など到底受け入れられるものではなく、文明社会に存在するべきものではないと堅く信じていれば、私たちは、貧困なき世界を創るために、ふさわしい組織や方針を築きあげてきたはずです。
月に行きたいと思ったから、人間は月に行った。私たちは達成したいと思う事を達成するのです。私たちが何かを達成していないのは、そこに心を置いていないからです。私たちは、自らが欲しいと願うものを創造するのです。
(p376)


そんな、ユヌスの、グラミンと関わる好機を私は得た。

8月頭から、
Grameen Change Makers Program
http://www.gcm-p.com/
に参加する。

ITを用いて、バングラディッシュの村と『世界』を繋ぐ
"One Village One Portal"プロジェクト。

村民は、ウェブサイトを通じて、
村の情報の送り手になる。

一方的な「支援者―受け手」というモデルではなく
双方向かつ健全な開発へ。


そのために、現場バングラディシュ農村へ行き、
フィールドワーク調査・問題発見・問題解決を行う。


世界の最貧困国の1であるバングラディシュで、
その圧倒的な現実を前に、
私は何ができるのだろうか。何をしうるだろうか。



生きる事は、問題を解決することの連続だ。
ビジネスとは顧客の問題解決の対価を得ることに他ならないし、
国や政府は、ビジネスでは解決できないような問題に取り組む。

そして、社会企業(Social Enterprise)は、
世界や社会の絶望と欠乏に対し、
持続可能な、具体的なソリューションを提供する。

その最先端をひた走るグラミン銀行
持たざる者のための銀行。
その取り組みは2006年、ノーベル賞に輝き、
貧困の悪循環を断ち切る初めの一歩を、
今も提供し続けている。


そんな、世界へ変革を齎したグラミン・グループの
しかし、小さな1プロジェクトの中で、
私は何ができるだろうか。



変革を産めなければ、選ばれた意味が無い。
少ない人数が相手でも、少しだけでも、
貢献できなくては、訪れる価値がない。
そして、貢献を通じて、
わたしはわたしの、価値提供能力を増強する。



世界には、多くの問題がある。
グラミン・グループが取り組むのは貧困という問題である。

山積された問題を前に、
問題解決力のある人材が必要だ。


その中では何より、
「問題発見」という力が必要だ、と僕は思う。
世界には、問題が、発見されるのを待って眠っている。

その問題は、不満や、不遇や、
あるいは「仕方がない」の中に隠れている。


耳を、心を澄ませて、現場の声を聞きに行こう。
問題発見能力はきっと、惻隠の情の中にある。