みらい01―P・F・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』/202718
「未来を読む」一冊目は、ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』〜歴史が見たことのない未来がはじまる〜
7年前・2002年に発売された本書は、1997年〜2001年。いずれも9.11前にハーバード・ビジネス・レビューなどに投稿された論文のうち、社会に関連するものをまとめたものであるが、未だなおその輝きを失わない。
知識労働者は、自らの専門領域によって自己規定する。人類学者です、理学療法士です、と名乗る。たとえ働いている企業、大学、政府機関を誇りにしていたとしても、本当に属しているのはそれらの組織ではない。彼らは同じ組織にいる他の分野の者よりも、他の組織にいる同じ分野の者との間により多くの共通点をもつ。
知識とは、専門化である。彼らは自らの専門分野では高度の流動性をもつ。大学、企業、政府機関を変わることに抵抗がない。今日、知識労働者の帰属意識の回復が論じられている。しかし、そのような試みはほとんど無益である。彼らといえども組織への愛着はもつ。居心地のよさも感じる。だが、その忠誠は自らの専門分野にある。
知識に上下はない。状況への関連の有無しかない。心臓外科医は言語療法士よりも高給であって敬意を払われるかもしれないが、脳溢血患者のリハビリに成果をあげるのは言語療法士のほうである。知識労働者が自らを誰かの部下ではなく自立した存在とみなし、かつそのように遇されることを求めるのはそのためである。
知識労働者にとっても、他のあらゆる人間にとってと同様、金は重要である。しかし、彼らは金を絶対的な価値とはしない。自らの成果や自己実現の代替とは認めない。仕事が生計の資だった肉体労働者と違い、知識労働者にとって仕事は生きがいである。
p25-26
- 未来の社会・未来の経済はどうなるか?
ネクスト・ソサエティの3特質
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- 境界が無い ←知識は資金よりも容易に移動(IT)
- 上層への移動が自由 ←万人に教育の機会
- 成功と失敗の併存 ←万人が生産手段としての知識を入手
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⇒ネクスト・ソサエティは高度に競争的な社会になる。
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- 未来の社会を左右する大きな要因(プレイヤー)は何か?
- 知識労働者(仕事に正規の高等教育を必要とする者)
- 未来の社会を左右する大きな要因(プレイヤー)は何か?
知識を基盤とする知識経済になる。
知識労働者は新種の資本家。知識社会と知識経済における主たる生産手段である知識=資本を所有する。
知識労働者は組織と対等である。教師は成果をあげるために中学校を必要とするが、中学校も教師を必要とする。
知識労働者は、1.知識を身につけるための学校教育。2.知識を最新に保つための継続教育を必要とする。
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- 人口構造の変化
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予測しがたく、管理しがたい要因でかつ、もっとも重要な要因である。
人口構造の変化が文化と市場の多様化をもたらす。市場は多様化に向かっている。
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- 今あるもので、無くなるものは何か?
- 製造業の凋落
- 今あるもので、無くなるものは何か?
かつての農業がそうであったように、製造業が縮小するにつれ、保護主義的色彩を強める。だが、保護には意味がない。
過剰雇用の成熟産業にカネを注ぎ込むのではなく、一時解雇された高年者を助け、若年者を再教育し再雇用するために使うべきだ。
- そんな未来を生き抜くのに必要な力は何か
- 個人としての力
- 強みは何か。どのような強みを発揮できるか。
- 何を期待してもらい、いつまでに結果を出すか。
- その為に自分が必要とする情報は何か。どのような情報をアウトプットするか。
- 個人としての力
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- 未来組織のトップ・マネジメント
- 組織の経済機関・人的機関・社会機関としての側面をバランスさせねばならない
- 価値・使命・ビジョンの確立
- 変化を観察せよ。本物の変化は人が行うこと。一時の変化は人が言うこと。
- 未来組織のトップ・マネジメント
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- 知識労働者のマネジメント
- 組織が何をしており、どこへ行こうとしているかを知らせる
- 責任を与え、自己実現できるようにする
- 継続学習の機会を与える
- 彼ら自身とその専門分野に敬意を払うこと
- 知識労働者のマネジメント
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- 起業家・成功のわな
- 成功の拒否:想定していなかった成功を見捨ててしまう。
- 利益志向:利益よりもキャッシュフローに目を向けろ。
- マネジメントチームの欠如:急に忙しくなる。マネジメント能力が追い付かない。
- 役割の喪失:自分は何をしたいかではなく、「この段階で事業に必要なことは何か」「自分はそれをできるか」を考えよ。
- 起業家・成功のわな
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- 新しい働き方
仕事で何らかの成功をおさめた人たちは、パラレル・キャリア(第二の仕事)を求めている。
◆編集後記
仕事とは、生計の資のみならず、生きがいとなった。
知識という資本は、私の頭の中にある。私は生産工場を保有する。
はたしてこの工場を、誰のために、誰とともに活かすべきか。