レールを梯子に変えて。/130772

 大学という所は、レールを持っている。それは、専門化という塹壕への道である。

 実はそれは、自身の目的地を知らず、走らされる事に他ならないのではないか。教授方は、てんでバラバラに「こうあるべき像」を持っている。しかも、それは伏せたままでそれに則った授業が行われる。「大事だ」と言いながら。


 だが、目的意識や、意義が分からないままの学習は、効率が非常に悪い。たまたま面白いな、と思えたものや、単位を取得する必要に駆られた授業を受けて行くのが、教育機関としての大学のシステムである。確かに最先端の研究をしている人とじかに触れ合えたり、高価な実験装置を使えたり、世界の一端を見れるという意味では大学の存在価値はあるのだが。


 はたして、それでいいのだろうか?大学の授業を受けているよりも、独学する方が何倍も濃い時間を過ごせるような「ヒドい」授業が多々ある。僕は塹壕にむかうよりも、むしろレールを梯子に変えて、もっと広くを俯瞰できる能力を身につけたい。

 今必要なのは、塹壕をより深く掘れる人間ではなく、塹壕同士の連携が出来る人と、より速く色んなレールを走らせてあげられる人(=教授方法の上手な人)なんじゃあ、ないかなあ。

 塹壕をより深く掘る事による発見よりも、掘られた塹壕の連係から生まれる発見の方が、当面では大きいはずだ。