生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ(福岡伸一)

という本を読んだ。
科学の手法。日本とアメリカの研究者の生活。研究という競争の熾烈さ。
そして、生命の秩序美が編み込まれた一冊であった。
非常に面白く、興味深く、感動的ですらあった。

この本を読むと
・科学の手法とはどのようなものか?どういうロジックが「科学的か」
・科学者の歴史という「作られたお話」と「事実」の齟齬
・生物とは何か
・「大きさ」と「ながれ」と「かたち」の生命への寄与
などについて、一筋の光が見えよう。

さて、「生命とは何か?」(What Is Life?: The Physical Aspect of the Living Cell With Mind and Matter & Autobiographical Sketches)という本を著したのは1944年、「シュレディンガーの猫」などで有名なかの理論物理学者シュレディンガーであるが、「生命とは何か?」という疑問に、分子生物学福岡伸一はこう答える。

・生命とは、自己複製を行うシステムである。
・生命とは、動的平衡にある流れである。


以下、「生物と無生物のあいだ」を底本として、「理解しやすい生物」「wikipedia」を参考に、生命現象について私なりにまとめてみた。

1.自己複製

細菌(バクテリア)は、細胞を持つ。大きさは1マイクロメートル(1/1000ミリメートル)程度である。ウイルスは細胞を持たない。大きさは細菌よりもさらに小さい、100ナノメートル(1[μm]=1000[nm])程度である。(ちなみに、細胞で大きいのは数cm(ダチョウの卵など)で、特に小さいものは0.1マイクロメートル程度)

可視光の範囲は、1マイクロメートル程度であるから、顕微鏡でいくら拡大してみても、細菌は見えるがウイルスは見えない。ウイルスを「見る」には、電子でものを視る、電子顕微鏡の発明を待たねばならなかった。電子は、ウイルスよりも、はるかに、はるかに小さい。

細菌は、自己複製をおこなう。また、「個性」あるいは「個体差」を持つ。だが、ウイルスは個体差を持たない美しい結晶である。ウイルスは限りなく物質に近い何者かである。ウイルスは食事をせず、排泄をしない。だが、無機物と違い、自己複製をおこなう。ウイルスはDNAを持つのだ。

ウイルスはしかし、ウイルス単独では自己複製ができない。ウイルスは細胞に付着し、その持てるDNAを細胞内に注入する。DNAを注入された細胞は、そのDNA情報を元に、ウイルスを作り出す。

細菌は、細胞分裂を行い増殖する。
はじめ、細胞内の構成成分が二倍に増える。続いて核(細胞核)分裂が起こる。
核の中には遺伝情報が埋め込まれているDNAは、染色体と呼ばれる棒状の物質に巻かれる。染色体が分化し、二つに分かれ、それぞれが「鋳型」となって、分かれたもう一方の染色体と同じものを作る。

 これは、ある一定時間に一回行われるから、細菌の増え方は、2のn乗で増える。例えば、シャーレに10分で一回分裂増殖する細菌を1つ置き、理想的な環境に保ってやると、一時間で2の6乗(=64)に増え、一日で2の144乗(=2.23×10^43.(100兆を3回かけたくらい))になる。直径1マイクロメートルの球でも、これだけの数があれば、東京ドーム1000京個分以上を埋め尽くす。指数関数的増加の威力である。

 もちろん、現実にはこのような増え方はしない。分裂して、数が増えれば増えるほど、必要な酸素や、養分も指数関数的に増大する。十分に養分や酸素を得られなかった細胞は死滅していくから、やがて、増加と死滅が釣り合い、見掛け上、生きている細菌の数は変わらなくなる。これを「平衡状態」という。そして、環境がさらに悪化すると、そこから死滅期に入る。

 ウイルスは違う。細胞に自らのDNAを注入し、細胞に自らの複製を作らせる。その過程で、ウイルス自体も細胞に取り込まれ、分解される事がある。見掛け上、ウイルスが駆逐されたかのように見える期間がある。そして、その一時期を経て、大量のウイルスが一気に、つまり、「階段状」に放出され、世界に誕生する。


 さて、遺伝子の本体はDNAである。DNAとは、長い紐状の物質である。DNAには、アミノ酸の設計図が書き込まれている。DNAの構成要素はヌクレオチドである。ヌクレオチドとは、核酸塩基、糖、リン酸が結合したもので、DNAに含まれる核酸塩基には4種類しかない。すなわち、アデニン (Adenine)チミン (Tymine)グアニン (Guanine)シトシン (Cytosine)。頭文字をとって、ATGCの4文字である。

 対して、そこから作られるアミノ酸は20種類もある。アミノ酸とは、アミノ基(NH2:窒素分子一つと水素分子二つの化合物)とカルボキシル基(COOH:炭素1,酸素2,水素1)を持っている化合物を言う。アミノ酸が数個〜数千個結合してできたものを、タンパク質という(その結合の仕方をペプチド結合という)。タンパク質(プロテイン)は、生物体を作り、生命活動を支える物質である。蛋白質は、無限にその構造があるが、構造タンパク質、機能タンパク質の二種類に分けられ、前者は細胞や組織の構造(細胞骨格など)を作る蛋白質で、後者は細胞内のいたるところに分布し、酵素や受容体、ホルモンなどとして働く。

 それでは、たった4種類のDNAから、どうやって20種類のアミノ酸の設計ができるのだろうか?この疑問は、当時は難問であったが、デジタル社会に居るわれわれはもうその答えを知っている。コンピューターの中身が0と1だけですべてを表現しているのと同じで、たった4種類の文字でも、「すべて」を指定するのに、全く問題がないのである。

 それは、A,T,G,Cの4文字の組の、3つの組み合わせで表現される。3つ1組で、64のアミノ酸が指定できるわけだから、20種アミノ酸を設計するのに、それは十分な数だと言えよう。そして、この4文字の3つのうち「1つ」が変われば、そのシンプルさゆえに、指し示すアミノ酸も変わってしまう。これが、進化の一つの要。突然変異が起こるメカニズムである。

 DNAは、AとT、GとCの間に、相補性を持つ。すなわち、Aの逆側はT、Gの逆側はCである。従って、あるDNAの中のAとT、GとCの総量は等しい。そして、Aの逆側はT、Gの逆側はCということは、片方がもう片方の「鋳型」となりうる。Nature誌1953年4月25日号、ワトソンとクリックが「私たちが想定した特異的な塩基の対合が、そのまま 遺伝物質の 複製機構を示唆するものであることに気づいていないわけではない。」というのは正にこのことである。


生命とは、動的平衡にある流れである。

人間は、どうしてこんなにも大きいのか

 人体の70パーセントは水であるという。体積%なのか、質量%なのかは知らないが、どちらでもそんなに誤差はないだろう。今、体重60kgの人を考えると、42kgが水である。水分子1[mol](1モルは6.0×10^23個)は18.02 gであるから、われわれの体には、およそ2.0×10^27個の水分子が含まれている事になる。分子は、なぜこんなに小さいのだろう?いや、我々はなぜ、こんなにも大きいのだろう?

 小さい分子は、絶えず動き回っている。すなわち、熱運動をしている。すべての分子は飛び回り、動き回り、我々人間は、その動き方の激しさを、熱として感じる。だから、熱いものに触れれば激しく動く分子が皮膚の構造を壊し火傷を負う。また、あまりに冷たいものに触れれば、皮膚は活動に必要なエネルギーを失い壊死する。

 「絶対零度」という言葉を聞いたことのある人は多いだろう。絶対零度とは、分子の運動が止まる温度である。しかし、絶対零度(約-273度)まで冷やしたとて、分子はまだ動いている。これを零点振動という。この零点振動は不確定性原理による。

 分子レベル(微視的,ミクロ)の動きと、我々の知覚できる巨視的(マクロ)な動きを混同してはならない。例えば、熱せられた鉄の塊は、全体としてそこに静止してはいるが、その鉄分子は激しく振動している。風の速度は、巨視的な、全体としての空気の流れの速さの事である。その風の温度は、微視的な空気の中の分子の移動速度である。

 この熱運動は、ランダムな振動である。それゆえ、一か所に留まる事がない。例えば、水にインクを数滴入れると、その鮮やかな赤は水中を広がり、やがて薄紅色の、一様に透明な水になる。これは、熱力学ではエントロピー(無秩序さ)増大の法則と言われる。

 さて、ランダムな熱運動を行っている分子でも、個々の分子の合計。つまり、「平均的」なふるまい、は、我々の巨視的世界に現れ出てくる。例えばコップを机から落としてみよう。ある瞬間のコップは、下に移動している。だが、その分子一つ一つを見ると、上下左右ランダムに移動している。重力があるから、多くは下に行くが、一瞬だけみると、重力に逆らって上向きに移動している分子も必ず存在する。

 この「誤差率」はどのくらいなのだろう?物体が全体として下に向かうのに、上に行こうとしている分子の割合は。

 統計学的には、それはルートnで表わされる。100個の粒子であれば10個の粒子が。10000個の粒子であれば100個の粒子が。前者は誤差率10%であるが、後者は1%である。
誤差率が10%というのは、高度な秩序を要する生命活動にとって、致命的な「誤差」・「例外的ふるまい」である。先ほど、人間の中の水分子が2.0×10^27個だと言った。その場合の誤差率は、2.23×10^(-12)%ほとんど、限りなく、ゼロに等しい。我々がこれほど大きいのは、生命現象に必要な、精度を上げる為だったのだ。

動的平衡とは何か

 人間は、生物は、単なる「流れ」に過ぎない。われわれは、爪や髪の毛が、絶えず新生し、更新されていく事を知っている。だが、これは何も爪や髪の毛に限った話ではない。骨や歯から、心臓、脳細胞に至るまで、ありとあらゆるところで、合成と分解が繰り返されている。それも、タンパク質やアミノ酸のレベルではなく、さらに細かい、分子レベルで。

 現在、多くの人は、脂肪を「貯蔵庫」のように思っている。1940年以前、生物学者でさえもそう思っていた。だが、必要なエネルギーと、消費するエネルギーが一致する時でさえ、生物は外部から取り入れた分子から脂肪を構成し、古くなった脂肪を分解し、排泄する。『脂肪組織は驚くべき速さで、その中身を入れ替えながら、見かけ上、溜めているふうを装っているのだ。すべての原子は生命体の中を流れ、通り抜けていたのである。』その速さは、人間であれば、半年から一年もたてば、体中の「全」原子は、まったく入れ替わっている!

 この事を裏付けるに決定的な実験を行った、ルドルフ・シェーンマンはこのように述べている。『生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質も、ともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。』

 鴨長明方丈記にて『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。』と詠んだかの洞察は、まったく正しかったのだ。

 脳細胞のDNAは、特殊な例外を除き、分裂も増殖もしないことを、今日の生物学は知っている。だが、そのDNAを構成する原子ひとつひとつは、むしろ、分裂増殖する細胞よりもすばやく置き換わっている。常に、部分的な分解と再構成がなされている。これにより――生命は、「秩序」を保つ

 どういうことか?先ほど、エントロピー増大の法則の話をした。エントロピーとは、無秩序さの事であった。この法則は、『容赦なく、生体を構成する分子にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷を受け、変性する』これに対抗しうる唯一の策が、『やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積するよりも早く、常に再構成を行う』ことなのだ。つまり『流れこそが、エントロピー排出の機能を担っている。』