一人の時間

 僕は「一人で居る時間」が必要なタイプの人間だ。一人で居る時間、一人で何かを行う時間、一人で思いついた事をする時間。この時間をきちんととらなければ、他の諸々のタスクに対するモチベーションと処理能力が異常に下がる。

 そこで、最近は夜22時以降を、できるだけ能動的にやりたい事をやる時間に充てている。そこでは、「(自分の意志と関係なく)やらなければならない事」も含めて、「やりたい事だけをやる」ようにしている。読書をする。ネットをする。ブログを書く。勉強をする。そうやって、自分の中に余裕を作る。

 「やらなければならない事を含めて」というのがミソだ。何かを行う為に、処理する為に、身に着ける為には、「好きな事を好きなように」やるのが一番効率いい。だが、それしか行わなければ、好きなことしかしないというのであれば,ひどく偏った人間になってしまいそうであるし、何より、期限内に仕事を終わらせることができない人間になってしまう。

 そこで、やるべきタスクを処理する時間や、学校に行ったり、サークルに出たり、日々を処理する為の時間をきちんととった上で、それとは別に無理をしてでも、自分の時間、自分の日を作る。自分の能力の向上や、自身の好奇心を充たす為だけの時間、だけの日を作る。そうして「用事:自分の時間」を作り、それをスケジュールに入れてしまう。

 それをしないでダラダラと日々の雑務をただ処理するよりも、格段に効率や、自身の能力アップというものはあるはずである。少なくとも僕はそうだ。

 昨今、コミュニケーションであるとか、コラボレーションであると言う事が喧伝されている。だが、コミュニケーション自体、コラボレーション自体にそれほどの価値があるとは思えない。

 大切なのは、以上のようなプロセスで、あるいは、以上のようでない別のプロセスで、自身の能力というものを向上させたり、新たなスキルを身につけたりした「個々人」とこそ、コミュニケーションし、コラボレーションする事で初めて価値が生まれるのではないだろうか。

 さもなくば、それこそ馬鹿が馬鹿を選ぶ選挙と同様で、ただ「合意した」というだけが唯一の価値の何物かが生まれるだけであろう。

 本当に大切なのは、「一つの頭の中」に、「関連するすべての事」が詰まっている状態ではないだろうか。Aという情報、Bという情報、Cという情報が、それぞれ3人に分散しているとき、それらは大して価値を持たない。3人がコミュニケーションし、コラボレーションする事によって、ABCが3人それぞれの頭の中に存在する事が大切な事で、一つの頭の中に情報やスキルが詰まっているから、何かをクリエイトできるのではなかろうか。