人が知りたい /250050

やっぱり、人が好きだ。
人の話を聴きたい、人を知りたい、理解したい。
と、想うようになりました。


そこで、知り合いや、友人に、時間をとってもらって、
一人2時間以上かけて、ゆっくりと、「あなたのこと」を教えて貰いました。

まだ、4人ですが、そこで見えてきたものがあります。

否定せず、余計な、言いたくなってしまうアドバイスをせず、
きちんと聴く。
そして、ただ知りたいと思った事を、先入観抜きで掘り下げていく。


そうすると、これまで知らなかった
「ふつうの」人の、背景が、人生が、ストーリーが、胸を打ちました。

「ふつうの」人の中に、膨大な物語、考え方、転機があって、
きっと誰かを「浅い」と思ったなら、それは、聴き方が浅かったのだなあ、
と思うようになりました。


そのような中で、視えてきたもののなかに「冷静と情熱の間」があります。
皆さんにも、少し、シェアをさせてください。人の話を聴く中で、見えてきたものです。


「言霊」というものがあります。
面接などで受け答えする中で、「言霊が載った」時は、とても上手く行きます。



私自身が常に言霊を吐けるか、と自問自答した時、
時には吐けるが、時には吐けない。そう感じていました。

言霊を吐くには、信じる熱意が必要です。


しかし、

自分の思考が、疑いうるものであり、仮説に過ぎない、
今の自分の狭い狭い視野から見た妄想にすぎない、という理解は、
思索を前に進める為には絶対に必要です。
いやむしろ、これまでの自分の思考や信念に、逆らっていく事こそが
思考であるとすら考えます。

思考が疑いうるものだ、現時点の仮説に過ぎない。
私が吐く言葉は、将来は変わるだろうし、変わって居なければややもすると成長が止まっている。
その理解があって、それでも、「信じて、言葉に言霊を載せる」ができるのだろうか。
その強さが私にあるだろうか。

といった事を考えました。


疑いを経ず、検証を経ず、想いを載せると、
タダのアツくてバカなやつになってしまう。

疑って、穿って見て、懐疑し思考すると、
今度は自信も熱意も無いやつになってしまう。

僕は、前者から後者へ、後者から前者への
螺旋階段を登っていて、

今現在、ほどほどに、ちょうどよい、
後者から前者の、中途に居る。と思っています。

そして、
この後、前者にもう少し振れて、また後者に戻っていくのだろう。と。



ここに至り、相対する二人の、
登った螺旋階段の高さと、冷静と情熱でどの位置に居るかが、
お互いへの見方に影響を与えるのでは、と考えます。


インタビューの時、ある男性はこう言いました。
「大学一年生で、この団体に入ろうって思ったのは、
こんなビジョンがあります、とプレゼンしている団体の代表が、
熱意や壮大な夢を語りながらも、なんだかもがいている所があって。
それで、何か自分も一緒になってやっていけるかも、と思ったんですよね」
と。

そこにはきっと、当時「冷静タイプ」だった彼の心を掴む何かが、あったのです。


冷静タイプに振れている時、情熱タイプに振れている人を見ると、
バカだと思えます。あろうことか、足を引っ張りたくさえなります。

情熱タイプに振れている時、冷静タイプに振れている人を見ると、
どうしてここまでネガティブになれるのか、理解すらできなくなります。

更には、華々しい成功を収めると、情熱タイプに振れていき、
地獄の失敗を味わい内省する時、冷静タイプに振れていくように感じます。

行動して、覚悟を決めて、積極性100で前に出て、
成功して、失敗して、内省して、改善して、というサイクルを、
冷静に情熱にとダイナミックに回りながら、成熟していく。

そしてこの事を、メタで捉えられていれば、
情熱家には、成功の為の視点を提示したり、
冷静家には、行動の為の一歩を提案したり、
できるんじゃないだろうか、と。
そしてこれがきっと、心の中の平和。
似てる/似ていない、という箱から出たということ。

相手の状況を捉えて、どこに居るのかを理解しようとして、
そしてもう一周、を支援できるだろうということ。


このようなサイクルを、人間と言うものを、知る事が、
冷静と情熱の変曲点を乗り越える事を支援することこそが、
もしかすると、僕のやりたい事かもしれない、と思うようになりました。