みらい07―西水美恵子著『国をつくるという仕事』/215537


西水美恵子氏。世界銀行元アジア地域担当副総裁を務めた氏が、そこまでのキャリアを積み上げ、そして、権力者ではなく国民の側に立ち、実際に「国づくり」を支援して来れたのには、恐らく2つポイントが、ある。

それは、怒りと、リアリティ。

「喧嘩っ早い」という氏は、虐げられた民を思い、怒りをエンジンに行動し、為政者と戦い、何億ドルという融資額の力を楯に、アジアの国々の指導者と渡り合う。ある時は悪政を義し、ある時は国家の優れたリーダーから学び、共闘する。

その彼女の言葉と行動を支えるのは、実際に、23年間、貧困街を歩き、話し、寝泊まりし、手伝い、見聞きし、民の苦しみと生活とを実地で知る、圧倒的なリアリティ。


ちょうどプリンストンに職を得ていた彼女が、教職を辞したのも、怒りからだった。

街の路地で、ひとりの病む幼女に出会った。ナディアという名のその子を、看護に疲れきった母親から抱きとったとたん、羽毛のような軽さにどきっとした。緊急手配をした医者は間にあわず、ナディアは、私に抱かれたまま、静かに息をひきとった。
ナディアの病気は、下痢からくる脱水症状だった。安全な飲み水の供給と衛生教育さえしっかりしていれば、防げる下痢…。糖分と塩分を溶かすだけの誰でも簡単に作れる飲料水で、応急手当ができる脱水症状…。

 誰の神様でもいいから、ぶん殴りたかった。天を仰いで、まわりを見渡した途端、ナディアを殺した化け物を見た。きらびやかな都会がそこにある。最先端をいく技術と、優秀な才能と、膨大な富が溢れる都会がある。でも私の腕には、命尽きたナディアが眠る。悪統治。民の苦しみなど気にもかけない為政者の仕業と、直感した。

脊髄に火がついたような気がした。

彼女の原点はここだった。怒りは、リアリティから。
そのリアリティの力は、こんな所にも表れている。

狂人あつかいをされても、大げさなと一笑に付されても、この小さな国は海面上昇問題を国際世論に訴え続けてきた。温暖化現象を知る科学者さえ少なかった四半世紀も前から、地球にむけて半鐘を鳴らし続けてきた。
あの離島の子供たちには話せなかったけれど、空からモルディブを見た瞬間、その半鐘が胸に響いた。海面上昇問題を勉強していはいたが、現実問題として捉えていなかったことを恥じた。

背筋に冷たいものが走った。もしも今、交通事故にあったらどうなる。ダッカで入院させられたらどうなる。汚れた針で注射されるかもしれない。HIVに感染した輸血を受けるかもしれない。
心臓がコトリと鳴った。エイズは彼女たち売春婦も私も差別しない、と肌に感じた。その瞬間、ハッと気づいた。自分の頭とハートが、今の今までつながっていなかったのだ。エイズを自分自身の危機としてとらえていなかった。首脳たちの説得力に欠けたのは当たり前だ。

リアリティ。自分ごと、として捉えること。
自分ごととしての、問いをたてること。

本書で描かれる幾人ものリーダーたちは、みな、他者の貧しさ、困難を、自分ごととして捉えていた。

それはちょうど、

なぜなら、リーダーシップの原点とは、何よりも、人々に対する共感、だからである。
真のリーダーシップは、必ず、人々に対する共感を、原点としている。
それが職場であるならば、部下に対する共感。
それが企業であるならば、社員に対する共感。
それが国家であるならば、国民に対する共感。
その共感なしに、いかなるリーダーシップも存在しない。

このような解説にも書かれている。


翻って、私自身。
日々の生活からリアリティが欠けている、と思った。

何より我々すべてが共有する、唯一の帰結である「死」というものに対するリアリティが無い。
連日報道される事件も、どこか他人事。

いやむしろ、リアリティが覆われている節さえある。
自分ごと、を取り戻すこと。を、課題としたい。

そのためにもまずは、自分自身の感情について敏感になる、ことだろうか。Twitterで#kire(キレ)るところから、始めていきたい。