やわらかい「なぜ」を探す。/211426

「Why!?」という言葉がある。

なぜ、どうして?
理由を問う言葉だ。


Whyを突き詰めて、真因を究明していくのは、およそ何か問題を解決するためには避けては通れないプロセスのひとつだ。

だが、この日本において、恐らく「なぜ」は厳しい言葉だ。責める言葉だ。

なぜなら、何か失敗をしてしまったとき。何かやってはならない事をしてしまったとき。
そういう時にだけ、この言葉が使われるケースが多いからだ。

「どうして、そういうことをしたの」
「なぜ、そんなことするんだ」

これは、原因追求のWhyではなく、真因究明のWhyでもなく、
単に、「責めるためのWhy」だ。

このWhyが暗示するのは、
「きちんと考えられないやつめ」とか
「マジでやめてくれ」とか、そういうことだ。
そういう拒絶のための、叱責のためのWhyだ。


そして往々にして、
「なぜ成功したの?」
「なぜ上手くいったの?」
「どうしてそんなに素晴らしいの?」

と言った事は問われない。
成功することは稀であり、その稀なことにこそ、Whyが問われるべきであるのに!


だから、
この国の人は、「なぜ」「どうして」を問われると、緊張する。
この言葉には、人を、真因究明よりも、言い訳や保身へとドライブする傾向がある。

そんなわけで、
相手が失敗したとき、あるいは、相手が失敗したと思っているとき、
「その“失敗”を責めているのではなく、ただただ、その改善を手助けしたいのですよ。
その改善というのは、具体的な行動を変え、異なる結果を創り出す事で、責任を追及したいのではないんですよ。
そのためには、あなたの思考や行動のプロセスを知る必要があって、良かったら、どんな風に考えたのかを教えてほしいんですけどー」

という、意味を込めて「なぜ」を問う必要がある。
しかし、その意味を込めても、この「なぜ」は「叱責」にとられる事が多い。
例えば、「なぜ」に対し、理由の説明ではなく、謝罪が返ってきたり。


だから、
「Whyの言い方」が一つのテーマになる。
「なぜ」を遠まわしに聞く必要がある。

・どうしたらもっと、上手くいくんだろう とか
・どこが原因で、上手くいかなかったんだろう とか
・目標と現実を整理してみよう とか。


そんな、やわらかい「なぜ」を探している。