そろそろ自分を読もうじゃないか〜『教材設計マニュアル』を肴に〜/181964

はじまりは、1通のメールからだった。

このメールは、

・分厚い書籍がずっと手つかずになっている方
・読書量よりも積読量のほうが多くなっている方
・1日に1冊の本を読んでいきたいと思っている方
・amazonから届いた本が箱のまま放置されている方
・書籍に読まれるのではなく、自分を読むことに関心がある方
・1時間で「ビジョナリカンパニー」「イノベーションの解」「影響力の武器」などを読めるようになりたい方

にお送りしています。

もし1つも当てはまるものがなかった場合は、
このメールをゴミ箱にいれてしまってください。

1つでも当てはまった方は、以下をお読みください!

▼第1回「読自祭 - 本を読んだら、今度は「自分」を読め -」▼

開祭日時:3月7日(土)8:30〜10:30

祭場 (現地集合):

費用(ドリンク放題,会議室代金):
1000-1500円(参加人数により変動します)

―持ち物―

・好奇心
・書籍(1時間では無理だろって本を持ってくると楽しい)
・ノートパソコン(ホワイトボードでもプレゼン可能)


▼開祭内容 ▼

ミッション:60分間で書評せよ!

・チャート1枚にまとめよ 60分間
・プレゼン&ディスカッション 10分間/人

以上、シンプルな構成になっております。

プレゼン資料は、
テキスト,マトリクス,フローチャート,マンガ etc

何でも構いません!

大事なのは、書籍内容を網羅的にまとめるのではなく、
書籍からインスパイアされたこと、
あなたが思考してしまったことを表現することです。

つまり、

書籍を踏み台にしてあなたの思考を共有することがミッションになります。

これまでに読自祭は、数度の実験をおこなってきました。

実験に参加した方から聞いた参加メリットは、

・積本を読破することでストレスが解消され、達成感が得られること
・朝一番にアウトプットを行うことで、幸先のよい一日が送られること
・他人のアウトプット(フレームワーク)を共有できること

の3点です。

現在私は1日1冊書評する事を習慣にしています。
もちろん1日中書籍を読んでいるわけではなく、長くても2時間です。

読書が習慣になっていない方は「1日1冊読むこと」に驚きをもたれますが、
読書が習慣になっている方は「1冊ごとにチャート化すること」に驚かれます。

具体的には、450Pの書籍を1時間図解することに関心をもつようです。

私は、フォトリーディングや速読教室や眼球トレーニングなどは行っておらず、
いたってフツウの読書をしています。

色々な方から質問をうけるので、思索をしてみた結果。

たった1つだけ違いを発見することが出来ました。

それは、私が「読自論」を習慣として獲得していることでした。



▼開祭背景 - なぜ読自が必要なのか? -▼


現在日本では毎日200冊の出版物が刊行されています。
つまり、年間7万冊超の出版物が刊行されていることになります。

この刊行スペースでは、
いくら熱心な読書家 でも新刊の1%も読むことはできません。

読書に関する本も比例的に売れています。

「本を読む本」 という真っ当な読書論や、本田直之さんの「レバレッジ・リーディング」 、
成毛眞さんの「本は10冊同時に読め」 などの用書論が筆頭にあげられるでしょう。

上記のような読書論,用書論はあらゆるメディアで語られています。

私はその状況を楽しむと同時に、半ば憂いております。

なぜなら、読書の根本である「読自」についてほとんど語られていないからです。

「読自」とは何か?

それは文字どうり、自分を読むということです。
自己分析と違う点は、(読書を通じて)自分を読むということでしょう。

この考えを言語化するきっかけを与えてくれたのが、
「読んでいない本について堂々と語る本」 です。


この本を3行でまとめると、

・われわれはたいていの場合、「読んでいる」と「読んでいない」の中間領域にいる。


・ある本について的確に語ろうとするなら、ときによっては、それを全部は読んでいないほうがいい。

・本を読まないことも、厖大な書物の海に呑み込まれないように自己を律するための立派な活動なのだ。

つまり、われわれは常に未読状態であり、
未読状態においては「堂々と語る」ことが非常に大切である。
そして「堂々と語る」ためには「読自論」が必要なのです。

ということです。(6行になってしまいましたね。笑)

上記を読んで、

・未読状態とは何か?

・堂々と語ることがなぜ大事なのか?

・読自論とは何か?

という問いが浮かんだ方もいると思います。
この3つの問いは非常に難しいですが、簡単に答えたいと思います。

まず認識してほしいのが、

われわれは、常に「5つの未読状態」にあり、
読書に対して「3つの強迫観念」をもっているということです。
そして、その強迫観念への対処法(4つのコメント法)が習慣となっていないことです。

では、3つの強迫観念とはなんでしょうか?


それは、

・本を読まねばならない読書義務
・読むなら全部読まねばならない通読義務
・語るためには読んでいなければいけないという規範

です。

そして5つの未読状態とは、


・ぜんぜん読んだことがない本
・ざっと読んだことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本
・読んだことすら忘れてしまった本

を指します。

対処法としての4つの未読本コメントとは


・気後れしない
・自分の考えを押しつける
・本をでっち上げる
・自分自身について語る

となります。

これらの詳細に関しては長くなりますので、
参加者だけにお伝えしたいと思います!


ということを、前回の
読書祭(an anまとめ)を踏み台として、

自分を読む――「読自祭」をやってきました!



僕が持っていったのは
「教材設計マニュアル〜独学を支援するために〜」という本。

独学を支援できるような教材(釣りが上手くなる方法マニュアルとか)を
うまく作る方法をインストラクショナル・デザイン(ID)理論に基づいて解説している本です。

これを10分×6セットの中で、読み、発表資料を作り、「自分」の思考、「自分」のインスパイアをまとめます。

まとめた資料はこちら:
http://mod.mods.jp/selfreading1_090307.pdf

この本に対して立てた問いは:
この本は教材を設計する側(教える/学ばせる側)の為に書かれた本だが、
私が学び手として、「世界」からよりよく学ぶには:

すなわち
『世界を「わたし」の独学教材にする方法は?』
という問いを立てて考えてみた。

・世界→教材という翻訳
・世界=教材 ⇔ わたし というインタラクション
の二つがある事がわかる。

しかし、世界が教材だと言ったところで、実際には世界は人にとって、単なる刺激でしかない。
刺激に意味づけを行う主体こそがわれわれ人であって、
そのためには、後者の「インタラクション」が重要なのではないか?

世界と「インタラクション:交流」があるからこそ、人は学べるのではないか?
そういった所まで考えたところで、書籍にヒントを探す。あった。

IDには「ガニェの9教授事象」というのがある。

  • 1 学習者の注意を獲得する
  • 2 授業の目標を知らせる
  • 3 前提条件を思い出させる
  • 4 新しい事項を提示する
  • 5 学習の指針を与える
  • 6 練習の機会をつくる
  • 7 フィードバックを与える
  • 8 学習の成果を評価する
  • 9 保持と転移を高める

この、教える側の9つの言葉から、
学び手としての言葉へ翻訳すると

注意喚起/目標認知/問題想起
新事項認識/指針導出/練習を積む
フィードバックを得る/自分で評価する/保持と転移を高める
のようになる。

最初の3つとその次の3つがそれぞれ
自分を知る:注意喚起/目標認知/問題想起
世界とインタラクションする:新事項認識/指針導出/練習を積む

に関係がありそうだ。


ここで2軸で整理。



自分を知らず、世界も無視するのを「死没者」
自分を知るが、世界を無視するのを自己に没頭する「没自者」
自分を知らず、世界とはかかわる「傍観者」

そして、自分を知り、世界とも関わる「読自者」たることが、
『世界を「わたし」の教材とする手法だ―』

というような「自己主張」をしてきた。
読自祭というタイトルから、「読自者を目指せ」という、
いささか予定調和的に収束したが、

「絶対に時間内に読み切れない本」
「10分ごとのタイムプレッシャー」
「知識の習得でなく、自分の思考」
「他人の思考を共有して貰える」
「自分の60分の思考にFBが貰える」

と、中々濃い2時間を過ごせたように思う。