知識の量と質/148403

以前、知識の量が質に変化する瞬間、という話を読んだ。

多くの知識が、その知識と知識の繋がりによって、創造的なアイディアへと変貌を遂げる。

なるほど「知識・アイディア」の世界で本当に質が量に転化するかどうかは分からないが、物質の世界では、全ての質の違い(と、僕らが感じるもの)は量の差に過ぎない。

鉄と水素は違う質のモノのように我々は感じるが、原子の世界では、陽子や中性子や、電子の「量」の差に過ぎない。

もう一つ例えるとすれば、同じ温度、同じ雰囲気、同じ人の作ったホットケーキの「味の差」は、構成要素である、糖や、炭水化物や、脂肪の量の差に(そして、お望みなら、プラスそれらの相互作用に)還元できる、ように思う。

この二つの例で共通するのは、同じモノ(例:電子)を増やせば、同じモノの(電子自体の)質が変わると言うのではなく、それらと混ぜたもの(例:鉄や水素)の質が変わる、という事だ。

ふたたび「知識と創造性」に戻ろう。

「構成要素」の量が「結果」の質に転化するのではないか。

一段階「元になる」知識の増加が、結果の質を左右する。
すなわち、欲しい結果周辺の「モト」となる知識を学び、繋いでいけばよい。。。?

と、思ったけれど、これは当たり前に帰納法のやり方を逆に辿った、ってだけの話なんですよね。

もう少し考えよう。