教育と東大

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080308
ここを見て思ったことをつらつらと。(本当にとりとめなく思った事を「反応」)

東大の先生は全部超一流だから、逆に生徒たちはそれぞれの先生のすごさが解らない。"すごい"という感覚が麻痺してる」

麻痺とかじゃなくて、本当に凄くないやつが多い。(と、僕は僭越ながら感じる。)工学部なんて本当に企業からの天下り天国。

こんな感じ↓

あ、あなたも元NTTですか(笑)

その上、バカ教授が3人いたら、もう一人バカを連れてくる。
バカバカバカが、バカバカバカバカになる。

特に、「教育者」としてはあんまりやる気無い。教える気が無いならこっちも自分で勝手に好きな事を学ぶから、単位制度とかやめちまえ。あれ、俺が大学辞めればいいのか?

以前「話の分かる」“ちゃんとした”教授と飲んだ。(うちの学科には僕が教育者としていいなと思う先生が5人居る。彼らにはもっと多くを学びたい)彼は東大を出た後、MITでトップの成績をとって、日本に帰ってきた、らしい。

その優秀な彼が今、東大にやらされているのが何か?
某東大内の新設施設の予算決めである。

楽しいのかな?



そんなカスな東大ですが、御蔭様で

おれがたぶん最初に言うのはね、"リーダーになりたかったら今すぐ大学やめてなにかやれ"ってことくらいだよ。少なくとも"おとなしく授業聞いててもトップにはなれない"ってことかな。

こういう事は割と肌感覚で理解できてきた。

仲間とともに何かを成し遂げた時の学び、
自分で楽しいと思って読書や、コードを書いた時の学び、
経験豊富な大人たちとの対話から生まれる学び、
顧客を「変える」事ができた時の喜び、それに追随する学び、

それらと、座学では格が違いすぎる。
―というより、殆どの先生は、「何故自分がこの科目を教えているか」よく分っていないようにみえる。
(ある准教授の、「チームで、実際に光の速さを測定する」というプロジェクトは非常に上手に設計されており、こういう事の一部が学べてそこはすごく良かった)

学生が満足しているかどうかじゃなくて、学生がそれによって何を成し遂げたかという評価指標が必要なんだよ

これはかなり同意なんだけれど、何かを成し遂げた学生と、それに対する教師の寄与分を分離するのはきっとすごく難しい。

なにせ

「だからさ、楠さん、そんなこと言ったって、そいつらはほっといても育つよ」

なんだから。

学生にアンケートをとって、満足度が高かった?それがどうした。我々はそんなものを望んでいるんじゃない。国立大学がサービス業をやってどうする。我々は次世代を担う真のエリートを育てるために、忙しい時間を裂いて、優秀な人材を講師として大学に送り込んでいるんだ。それで学生が満足したからといって、なんだというのだ

このあたりはアツくてイイ。
でも、

次世代を担う真のエリート

って、一体何なんだろう。ここをもっともっと具体化しないことには、言葉遊びで終わってしまう気がする。「真の」「本当の」って言葉は実は危ない言葉だ、と僕は思う。