MONO/95704

 例えばそれは、小さな金属でできた円錐である。彼は手足を持たず、彼の移動手段は風に吹かれ転がるのみ。彼はただの、アルミニウムで出来た「モノ」だ。だが、このネットワーク化された現代には、モノはMONOとなり、地域を、もしかしたら、世界を、駆け抜ける。『ネットワークアート”MONO−放浪するアルミニウム”』である。

 MONOは「ここ」に居る。その情報は、Webに告知される。http://www010.upp.so-net.ne.jp/smi/info2.htm とか、 mixiのMONOコミュニティ、http://mixi.jp/view_community.pl?id=1841655 とかに。そうして、「次の人」は、MONOをその手にとりに行く。MONOが、次旅したい所まで連れて行ってやる。そうして、置いた場所をまた、ウェブに告知する。元は、Sumio Itoさんのアート・プロジェクトだったらしい。

 そして、MONOは、今、僕のてのひらの上に。

 このMONOプロジェクトを知ったのは4/12の朝、マイミクの中村理恵子さん、から届いた、一片のメッセージからだった。「MONOが東京大学安田講堂脇にある!」MONOが何か、僕にもよく分からなかったけれど、はたしてMONOはそこに居た。安田講堂の脇の、小さな穴にめり込んで。

 僕らは遺伝子のヴィークルだが、また、MONOのヴィークルにもなれる。MONOを主体としたこのモノガタリは、次は、一体、どんな場所に。

 僕は今日、MONOを手にし、街へ出かけた。渋谷に行って、小学校の同級生と逢った。彼らと東大の駒場キャンパスまで歩いて、駒場キャンパスの案内をした。そこでMONOを隠そうかとも思ったが、それはやめた。

 MONOを握って、世界を眺めると、また世界が、違ったふうに見えてくる。どこにMONOを隠そうか。どこだと、知らない人にゴミとして、捨てられてはしまわないか。どこだと…。

 駒場で友人たちと別れて、東京女子大に向かう。サークルの練習場所があるのだ。だけれども、僕はMONOを、東京女子大の中にも隠せず、吉祥寺にも隠せず、結局、MONOを家に持って帰ってきてしまった。

 MONOを手放すのが惜しくない、といえば嘘になる。もっとも、「所有」してしまえばMONOは意味を喪うのではあるのだけれども、とにかく、MONOは僕に、見えなかった風景を見せてくれる。この、たった数センチ四方の金属の円錐が、どんな旅をしてきたのか。どんな風景を視たのか。金属の中には、物語がある。そうして、モノガタリは、僕らを強烈に惹きつける。

 さあ、本当に…どこに隠そうか。この、風に吹かれてどこかへ消えてしまいそうな、小さな旅人を。