ウェブ人間論/84196

という本を読んだ。
梅田望夫平野啓一郎の対談本であるが、どうにもこの二人の齟齬、というか、乖離というかが、社会人的常識のオブラートに包まれているかのようで、やや奇妙な感じがした。

 平野啓一郎さんという人の本は読んだことが無い、が、僕が人文学系にあまり興味が無いせいか(それどころか、社会学や経済学などは、学問だとあまり思っていないせいか)、本人が前書きで書いているような「ペダンチシズム」が散見されたのには辟易した(いやもちろん、これは僕の無知を著者に転化しているだけなのかもしれないけれども)。
 本が全てネットに移行するか?というのは、「青空文庫」掲載日の前後の売れ行きデータを比較してみれば分かる、というか、形が見えてくるのではないだろうか、と思った。実際に今やってみようとは思わないが、出版社にパイプのあるであろう著者ならできるのでは。
 僕の仮説としては、むしろ売り上げは増えるのではないだろうか、と思う。実際僕も、御伽草子(太宰治)なんかを青空文庫で読んで、その後買って読む、というような事をしている。もちろん、将来、重さ20グラムの“ディスプレイ”(B5サイズ)が出て、高速無線LAN網が世界を覆い、ロスタイム無しでロードできるようになれば話は変わるかもしれないけれど、「実体」というものの有難さは、実体の有難さ無しに育つ世代、というものが誕生しない限り、取り除けないのではないだろうか。
 たとえば、自分でTeXで書いた文章を、自分で校閲する為に印刷する、そして赤ペンを持ってチェックする、という一事を鑑みても、「実体」というものが如何に捨てがたいか、思い知らされる。ダイヤの輝きを、3Dで表現できるようになったとして、ダイアの売れ行きが落ちるか?というのに、少し似ているだろうか。

以下エッセンス(と僕が思ったもの)である。

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ITとネットの発達により敷設された、能力向上の「高速道路」の先の渋滞を抜けるには「構造化能力」が必須。
翻訳については、結局人力が一番だろう。
ブログを書くことで、正のフィードバックがあり、成長が可能。
相変わらず向こう何十年も、リアルの経済の方が優勢だろう。
匿名でネット空間から本当にすごい事ができることはない。リアルへのバックがあってなんぼ。
グーグルで「開いているスペース」
膨大=ゼロに近い。cf.有名人と同じ名前の個人の特定は難しい。
「存在する」=「アクセスされる」 認知度をリアルでカネに変える。
徹底的に議論をしないと、未来を変えるような大きな商品は生まれない。
既存の産業の有り様を技術で変えようと思えば、狂気が必要。
付き合いたくない人とは付き合わない。
インプットの量が質に転化する。

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 結果的に、「考えさせてくれる」本だった。「ふーん、なるほどねえ」と読めてしまう本より、遥かに実りはあったのではないだろうか。思い返せばウェブ進化論も、「へぇ!+それならば・・・」という思考のできる本であった。平野啓一郎氏の小説も、一度読んでみたいと思った。

 「世界を変える」という野望は、“面白い”なあ。シリコンバレーに、僕も行ってみたい。