-漱石枕流/80712

友人がこんな文章を見つけてきたので、引用してみる。

何とか彼んとかして予備門へ入るには入ったが、惰けて居るのは甚だ好きで少しも勉強なんかしなかった。
(中略)
予科の方は三級、二級、一級となって居て、最初の三級は平均点の六十五点も貰ってやっとこさ通るには通ったが、矢張り怠けて居るから何にも出来ない。恰度僕が二級の時に工部大学と外国語学校が予備門へ合併したので、学校は非常にゴタゴタして随分大騒ぎだった。それがだんだん進歩して現今の高等学校になったのであるが、僕は其時腹膜炎をやって遂々二級の学年試験を受けることが出来なかった。追試験を願ったけれど、合併の混雑やなんかで忙しかったと見え、教務係の人は少しも取合って呉れないので、其処で僕は大いに考えたのである。学課の方はちっとも出来ないし、教務係の人が追試験を受けさせて呉れないのも、忙しい為もあろうが、第一自分に信用がないからだ。信用がなければ、世の中へ立った処で何事も出来ないから、先ず人の信用を得なければならない。信用を得るには何うしても勉強する必要がある。と、こう考えたので、今迄の様にうっかりして居ては駄目だから、寧そ初めからやり直した方がいいと思って、友達などが待って居て追試験を受けろと切りに勧めるのも聞かず、自分から落第して再び二級を繰返すことにしたのである。人間と云うものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しも分らなかったものも瞭然と分る様になる。
(中略)
こんな風に落第を機としていろんな改革をして勉強したのであるが、僕の一身にとって此落第は非常に薬になった様に思われる。若し其時落第せず、唯誤魔化して許り通って来たら今頃は何んな者になって居たか知れないと思う。

120年ほど前、同じ東京大学の教養課程で夏目漱石が落第した時、書いた文章である。
友人も言っていたが、お札になったような人にも受難の日々があったと言う事か。
あーあと、あれですね。120年前から鬼の教務(課)だったんですな。病気なんだから追試受けさせてやればいいのに。
まあ、世の中何が幸運に作用するかわからんこってす。
僕は今のところ留年の危機!なんてことは別にないのだけれど(外語の試験を寝ぶっちとかしなければ)、色んな体験を積んでおくといいのだろう。何か面白い事をやろう、と、いま企画している。

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