ナショナリズムについて

・ナショナリズムを考えるために。
 ナショナリズムを考える上で、人の“われわれ”という意識は思考の対象から外しえない。人は社会的動物であるが、人が存在すればそこには必ず「われわれ」が存在する。家族というグループから、少人数の仲良しグループ、高校の同窓、サークル所属、行政区域レベルでは●●県人、国家レベルとなれば●●国民、そして、他の動物と比較対象する時は、「ヒト科ヒト」という“われわれ”である。
 その意味では、他の家庭より自分の家庭が大切である、とか、他のサークルよりも自分の所属するサークルの方が大切である、という文脈と同じ文脈において、我が国の方が他の国よりも大切である、と言うことは人間の自然な本性であろうと思う。我々は親しいものに人情篤く、親しくないものにはそうではない。親しさ、とは距離とも相関する。これが善いとか悪いとか言っているのではなく、事実としてそうであろう。外に向かうにつれて、我々の親しみや篤さは下降曲線を描く。
 問題は、「外」に向かうにつれて描かれるその曲線の緩急、そして同一国家内での民族差別など「内と外」をどこで区切るかである。どうしていま、家族愛、でも、愛郷土心、でもなく、「愛国心」が問題となっているのだろうか。国と地域、あるいは国と家庭の大きな違いとはなんだろうか。今回は、日本の「ネット右翼」というものを題材にして、「愛国心」に対する分析を加えてみたい。

ネット右翼とは。
 世の中には左翼も居れば右翼も居る。どちらも“楽”なのだ。共産主義者は現実を度外視してでも、全体や弱者の事を考えるヒーローになれるし、右翼は自国の事を考える素晴らしい(特に戦時中は)ヒーローになれる。
 しかし、現在ネット右翼と目される存在は、どうもそのような原理で動いていないように思われる。ネット右翼を二種類に大別するとすれば、「保守主義・愛国者」と「反;反日・反;左翼」である。前者は緩やかな増加を見せるが、後者は急激な増加を見せる。何故差があるのか。後者の方が“面白い”からである。前者に対しては先述の「右翼も楽」という論理である程度は捉えられる為、ここでは、後者に対する分析を加えたい。
 「ネット右翼」と呼ばれる存在は非常に曖昧模糊とした存在だ。彼らは立場的には「右」でありながら従来の右翼組織とは違い、指揮者もなく、組織命令系統もない、自発的な個人の集合体である。互いにスタンドアローンでありながら、共通点と言えばネットに長けたくらいしかなく、それでもなお右側という方向性を“総意”として持つ。そして彼らの多くは恐らくは“普通の”若者だ。普通に「自虐史観」と呼ぶ人もある歴史教育を受け、普通に日本人なりの裕福さを持ち、普通にインターネットをし、ある日ネット右翼となる。
 なぜこういったネット右翼という存在が台頭しえたのか。実は彼らが抱く「思想」は、主義主張右翼左翼の問題ではなく、「真実はどうだったか」という問題に還元される。というのは、インターネットの台頭によって、情報権力者として君臨していたマスメディアの実効支配が薄れ始めた。以前は簡単に出来た情報操作が、“真実”がネットを通して知れ渡るにつれ、不可能になってきている。「真実は捏造よりも強し」なのである。そう、「真実」や様々な情報に触れるにつれて、「なにかおかしいぞ。“われわれ”は騙されてきたのでは」という意識が、“ネット右翼”達の間で高まってきた。
 だが、「真実」とはなんだろうか。「真実」はどのように「嘘」を打ち破ったのだろうか。具体例を挙げよう。例えば、以前は日本の戦争責任問題で「ドイツは戦後保障をきちんとしたが、日本はそうではない」という“神話”があった。姜尚中先生自身もマガジン9条などで「ドイツは歴史の清算をきちんとやりました。」と言っているが、それは大きな誤解だ。そもそも今のところ『ドイツの補償はナチス犯罪に対する補償』でしかなく、戦争犯罪=『戦争法規、または戦争慣例の違反』への補償ではない。ドイツは日本の約10倍のお金を戦後の賠償に用いているが、ユダヤ人600万人虐殺などというような犯罪を日本は犯していない為、補償金額の多寡を比較すること自体、無意味である。そして、ドイツはユダヤ人虐殺以外の戦時賠償をいまだ完了しておらず、これからの段階である。対する日本は北朝鮮以外のすべての関係国と講和条約、平和条約を結び、正式に国家賠償が完了している。
 まだ不足だろうか。2004年8月10日の毎日新聞の記事を挙げよう。『第二次世界大戦をきっかけに、ポーランドやリトアニアの居住区を追われたドイツ人やポーランド人が、ポ
ーランドやリトアニア政府を相手取り、残してきた財産の返還を求める訴訟を準備している。独・ポーランド両国は、「追放」を受けた国民への金銭的補償を既に行っているが、一部強硬派はあくまで財産返還を求める構え。』だという。
 日本に置き換えればこれは、日本人が朝鮮や満州に残してきた財産の補償を中国、韓国政府に請求する事と同じ事であるが、日本は条約で個人請求権は放棄済みであり、代わりに相手国の個人請求権も放棄させた。日本は国家間での補償で全ての決着を着けた。ドイツはまだ決着がついていないのだ。
 また、日韓基本条約によって、当時の韓国の国家予算は3.5億ドルの時代に、無償金3億ドル、円有償金2億ドル、民間借款3億ドル、を供与もしくは貸付し、軍事資産を除いた、朝鮮に遺棄した財産や資産計53億ドルを請求しなかった(大蔵省財政史室編『昭和財政史。終戦から講和まで』による)が、韓国はその多くを個人補償ではなく、経済発展に用い、その成長ぶりを「漢江の奇跡」と呼んだが、その為に今日の戦後の賠償が不完全であるという“デマゴーグ”が形成されるに至った。(なお、条約を一旦破棄する場合はその条約で既に支払われた補償金を全て返さなくてはならない。初め日本が提案したのが個人補償であったが韓国政府がそれを拒否した事も現在では広く知られる)

 このような事実がネットを通じて広まるにつれ、左派メディアの「嘘」がバレ始めてきた。“ネット右翼”と目される人々の中には、天皇の為なら死ねるという人間も、国益至上主義者も殆どいない。なぜなら、彼らはただドイツの「神話」にしても、他の事についても“それはおかしいだろう”“それは嘘だろう”と言っているだけである事が多いからだ。そして、反論する相手が「左」であるから、「右」と目され、ネット“右”翼の称号を得る。
 もちろん、その過程で“ナショナリズム”は強化されてゆく、という事を忘れてはいけない、すなわち、虚偽への単なる反応であって、ナショナリズムが高揚されていないと言えば嘘になる。左翼の虚偽への反応の過程で、ナショナリズムへの指向が生ずるのだ。すなわち、左派の捏造を交えたアジテーションが、逆効果となる時代が到来したのだ。
 はじめに、「反;反日・反;左翼」が“面白い”から増加すると書いた。“面白さ”という観点から現状への分析を加えたい。一体、なにがどのように面白いのか。反;反日・反;左翼が台頭する土壌、すなわち反日と左翼の蔓延が既に旧来の日本社会に於いてあった、という事実を踏まえて読んで貰いたい。
 左派メディアの代表格として、ここでは朝日新聞の例を挙げよう。朝日新聞は昭和46年12月26日、「チュチェの国北朝鮮」であるとか「祖国選んだ九万人― 一切保障された職と生活 ―」などと、北朝鮮の「地上の楽園」性を示す記事を書いた。ネットの発達していなかった当時である。購読者の多く、北朝鮮について殆ど何も知らない人々は北朝鮮が“良い”国であること、地上の楽園である事を信じたのではないだろうか。帰国事業は朝日新聞によって加速させられた面は多いにある。ところが、同じ朝日新聞では2003年1月31日の記事では「脱北日本人 44年間翻弄され続けて」という題で「あの帰国事業とは何だったのか。脱出者が相次ぐ北朝鮮の体制とどう向き合うのか。祖国にたどり着いた女性の軌跡が投げかける問いは、実に重い。」と書いた。“ネット右翼”の集まる掲示板やブログでは、例えばこのように「それはおかしいではないか」と、メディアが検証される。第四の権力者であったマスメディアの嘘やダブルスタンダードが白日の下に曝されるのはどう考えても“面白い”。
 もっと“面白い”例は幾つもある。2003(平成15)年4月20日、朝日新聞 東京版朝刊第2面に掲載された、"有事法制ここが分からない「武力攻撃事態」って何"という記事がある。その中で、
Q:ミサイルが飛んできたら。
A:武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない。
という伝説的な文句がある。この「感覚のズレっぷり(=北朝鮮の擁護ぶり)」は、どう考えても“面白い”。この文句は爆発的に広まった。「1発だけなら 誤射かもしれない」でGoogle検索をかけると、21,800件のヒットがあるほどである。
 「面白い」ものは急速に広まる。駒場でも“面白い”と評された講義は多くの人間を集めるし、インターネットを介した場合はその拡大は爆発的だ。“ネット右翼的”記事はその真偽や信憑性はともかく面白いものが多い。左派のダブルスタンダードや、左派の「おかしいところ」を面白おかしく ―いわば、2ch風に― 揶揄する。朝日新聞が“ジャーナリスト宣言”という宣伝をした後に、社長の息子が大麻で逮捕されるという事件があれば、朝日新聞と他メディアの報道と比較(他メディアでは「自称」ジャーナリストとなっているが、朝日では自称がついていない、など)が即座に成され、“カンナビスト宣言”(カンナビスト:“現在の不当に厳しい大麻取り締まり”の見直しを求めて活動している非営利の市民団体)というジャーナリスト宣言のパロディ画像が出回る。
 他にも“面白い”ものは色々とある。無防備都市宣言という政治運動があるが、その一環として“まんが『無防備マン』が行く!”という漫画があった。あるネット右翼系ブログでは『「春暁」ガス田に中国軍艦 海自、初めて確認』という新聞記事を引用した後に一言「助けて、無防備マン!!!」。と書き、そのエントリには100を超える賛同コメントがよせられた。
 また、2005年12月19日大津市議会総務委員会で「平和・無防備都市条例」の審議の際、政新会の園田寛市議が「無防備宣言した町があれば攻撃してみたい」と発言した。議員としてはこの好戦さは決して褒められたものではないし、非常に危険な考え方だ。が、世の中には確実にそういった好戦的な国のトップは存在するという事を身を持って示し、かつ、この一言で『国際法上、武器を捨て白旗を掲げた都市を攻撃してはならないことになっている。従って、自分の市だけでも無防備都市宣言を行えば死なずに済む』とする無防備都市宣言の基本的考え方をたった一言で崩したという点で“面白い”。
 だが、ネット右翼達は面白い記事を引用するだけではなく、例えば『無防備地域宣言運動への反論(http://xdl.jp/hantaitouron/)』を引用したり直截に読んだりするなどの形で、無防備地域宣言の無効性、無意味さを知る。ちなみに、wikipedia無防備地域宣言の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/無防備地域宣言)によると、無防備宣言の無意味さをあらわすもっとも顕著な例は、『第二次世界大戦下のドイツ、ドレスデンが挙げられる。この都市は無防備都市宣言を行った後、アメリカ、イギリスの爆撃機より投下された六万五千発の焼夷弾によって灰燼と帰し(ドレスデン爆撃)、3 - 15万人(25万人説もあり)が犠牲になった。』という。ネットを介せばこのような情報も瞬時に入手でき、様々な情報に触れる事でより多面的な物事の見方ができよう。

 ネット右翼たちは、ネットに触れる上で様々な情報を得る。誰がどのような情報を得ているとは一概には言えない。人それぞれの好悪もあるし、下手な左翼よりも左翼系ブログや記事に目を光らせているネット右翼もいる。彼らの触れる情報の海、そこには、虚偽も混じれば捏造や「面白く」する為のネタも混じるが真実も混じる。だが、「真実」というものは大抵の捏造よりは強いものだ。後付の「捏造」はすっきりとした論理が通らない事が多いし、不自然である事が多いからだ。例えば、「左派」の主張してきた嘘のひとつに「日本軍の100人切り競争」というのがある。だが、日本刀で人間を100人斬ることは物理的に不可能だ。「日本軍の非道さ」を煽ろうとした結果、嘘がバレはじめ、ネット右翼の一部は「日本軍は非道な事などしなかった」と考えるようになってきているのは皮肉であるが、同時に恐ろしい事である。反ナショナリズム・反日本のプロパガンダが逆に現在のナショナリズムを、恐らくは危険な方向に煽る結果となっているからだ。現にネット右翼の一部には、日本核武装論を唱える者まで要る。(同時に同じネット右翼でも、核武装に反対する者も居る。)

・まとめ
 以上のように、左派の嘘や捏造への反動としての“ネット右翼”及びその帰結としての“ナショナリズム形成”を見てきた。このナショナリズムは在日外国人の蔑視や排斥のナショナリズムに簡単に繋がりうる。“われわれ”は、日本国内に居る“非・われわれ”を排斥の方向に向かっている。だがしかし、そのナショナリズムの形成される過程は、「反ナショナリズムの嘘」に触れる事によって形成される。
 左派と目されるメディアが、真実のみを報じる事。飛躍した論理を持たぬ事。結論を決めてから物事を分析しないなど、まずは虚偽の主張をやめること、誤報と虚報を謝罪する事 からこの右傾化の解消が始まるのではないか。現在、日本人は、ネット右翼は、反動としての右傾化を見せるが、それはとりもなおさず、やっと日本人がメディアリテラシーを得たという一筋の光明の裏返しでもあろう。
 ――もう、嘘は要らない。