- 試験が近づいてきた。

 試験が近づいてきた。 東大生というレッテルは往々にして、「頭がいい」だとか、「試験秀才である」とか、「才能がある」だとか、そういったレッテルと類似したところがある。では、東大の試験なんて楽勝か。―否!はじめに、僕は後述するとおり、試験なんてものはクソ食らえであって、そんなもので学問など諮れぬと思っている。それに、東大に入った今度は、試験秀才ではない私は、試験秀才どもと渡り合わねばならぬのだ!

 そんななか、点数を確保するには戦略が必要だ。とりあえず、「レッテル」の中身を検分する事から初めよう。まず、頭がいいというのはどういうことかについては、2004/5/18の日記で論述したとおり、大富豪に強い、という事である(浪人中から成長しない考え)と僕は思っている。

 「試験秀才」については、僕は決して試験秀才などにはなれなかった。中学1年の入学した手のころから高3夏まで、学年で下から数えた方がはやかった。いや、早いなんてもんじゃない。下から十番。凄い時でも20番(手と足の指の本数で足りてしまう!だけど僕は足で数が数えられない!!)。

 だから試験に関する限り「才能」なんてものは僕には無かった。初めからそんなものはもっていなかった。だから僕は、高3夏、これでもか!という程勉強した。量より質だ、などという甘言に惑わされぬように、量と質の両立を目指した。

 すると、段々と分かってくる。自分にとって効率のよい勉強の方法なんてものは、自分でまず『量』をこなして初めて、試行錯誤をして初めて、身につくものであるのだと。一つの方法に固執せずに、しかし、途中で諦めたり投げ出したりする事は無く、とにかくやった。

 僕には決して、努力さえせずに試験でよい点数を取るなんていう才能は無かった。今でもない。だから、今から、きちんと勉強していかなければならないのだろう。短期間で一気呵成に自分の興味惹かれる範囲について自己の能力を研鑽させるのは僕の得意分野だ。友人はそれを評して「ロケットエンジンを持っている」と言ったが、果たして我がロケットエンジンの性能やいかに。

 結局、進振りシステムの前で、自分の可能性を狭めぬためには、努力するよりない。人生なんてそんなもの。