答えるに値する問いをつくる。/251372

現在、友人たちと新(ウェブ…になるのかな?)サービスのリリースを計画しています。それは、「僕が、イキイキと生きるには?」という聊か漠とした問いから、あるいは、「ちょっとしたミニワーク・ミニプロジェクトを支援するにはどうしたらいいんだろう」という問いから、生まれたものでした。

これまで、机上でディスカッションを何度となく重ね、エンジニアの仲間がエレガントなシステムを、デザイナーの仲間が明るくポップなデザインを行い、後は細部を詰めて、リリースするだけ、という所に至りました。

しかし、作ったサービスは、頭の中で思いついた時は上手くいきそうに思ったのですが、実際にモノが出来て、自分達で使ってみると、企画者の、発案者の、プログラマの、デザイナの、自分達ですら、「すぐ使わなくなる」事があきらかになりました。

そこで、描いていた理想を、取ろうとしていた手段を、もう一度問い直すべく、私たちは「人の声」に示唆を求め始めました。

「人が何かを【やれる】」とは、どういう事で、どういう時に可能なんだろう、という問いだけは胸に、人に興味を持って、12人のインタビュー協力者から、一人2時間以上も貰って、話を聞き続けました。興味と疑問に、率直に答えて貰いました。

今日のエントリは、その12人の人生から知恵を得たプロセスを、ご紹介したいと思います。以前 http://d.hatena.ne.jp/starbow/20090920/1253458969 で触れた、IDEOの手法を下敷きに、くらたまなぶの教えと、自分達の方法論を上乗せした。そんなプロセスです。

  • 前提確認・目的/流れの共有(30min)

プロジェクト全体の目的の中での、今回の会議の目的

宣言と応援によって、個人プロジェクトを支援するというコンセプトの元、作成したウェブサービスは、メンバーである我々自身にとっても、使いづらく、また、使わないものになってしまった。そこで、理想やコンセプトを取っ払い、ゼロベースで「顧客の声」を聞き、人というものを知ろうと、トータル12人の深いヒアリングを行った。
本会議では、このヒアリングで得られたデータを基に、声を聞いた他者を自分たちに「憑かせる」事を通じて、我々が取り組むべき使命を鮮やかに描き、サービスの核となるべきコンセプトを設定し、そこから、実現可能性と採算性を意識したサービス設計を行う。

と、

ゴール

各自が理想に感じる使命を発見し
意味あるサービスコンセプトを発明し
具体的なサービス設計が行えていること

を設定/共有し、
本日、どのような意図で、どのように会議を進めていくかを共有しました。

ちなみに、実際にかかった時間は以下の通り:

1. 前提確認・目的/流れの共有(30min)
2. 個々人が持つ情報の共有(200min)
3. 洞察と昼食休憩(100min)
4. テーマ出し(120min)
休憩(20min)
5. テーマの整理と構造化(90min)
休憩(20min)
6. コンセプト(90min)
休憩(20min)
7. コンセプトの説明と投票(40min)
休憩(20min)
8. 解決策のブレインストーミング(30min)

  • 個々人が持つ情報の共有(200min)

共有―Downloadと呼ばれるこのセクションでは、情報というよりも、インタビューに応えてくれた「人」についてのイメージを共有する、もっと言うならば、「自分の中に、インタビュイーをつくる」のが目的です。

今回は、インタビューのログを基に、インタビューをした人が、インタビュイーについて、どのような人で、どのような気持ちでどのような行動をとったか、という教えて貰った「ストーリー」を話し、聴き手がその人の事を「頭と心に入れ」ながら、ポストイットにその内容をメモする、というような形で進めました。

この時、「女子大3年生」「〜〜で優勝・MVP」と言った、事実レベル・属性レベルの記述は全く役に立たず、「事実+行動」「事実+気持ち」「行動+気持ち」といった、要素が組み合わさった記述が以降の洞察やテーマ決め、アイディア出しに有用でした。

例えば、
「応援してくれる人が居たから、頑張れた」「優勝したら、自分の事を認めてくれる人が増えて、嬉しかった」「学内の新聞に載ったけれど、それだけでは満たされなかった」「むしろ子供と触れ合い認められる方が、受け入れられている気がした」
といった記述形式が、後の示唆出しに役立ちました。

予想外に、あるいは予想以上に時間がかかってしまったのがここですが、よく考えれば、インタビューログだけで40000文字もあるログを、そう簡単にシェアできるわけがなかったですね。

  • 洞察と昼食休憩(100min)

洞察―Insightと呼ばれるこのセクションでは、前述のポストイットを基に「洞察=新規性・驚きのある事実の仮説」を出していきます。今回はまずは、インタビュイー12人を、一人づつの中で洞察を出していきました。

この時重要なのは、それが「仮【説】」であるという事です。「家庭環境」「達成欲がある」といった書き方、いわばラベルを貼るような書き方では不十分(「説」でない)で、「自分に似たマイナス部分を持つ人に惹かれる(のでは?)」「決断に際し、外部の価値観を重要視している(のでは?)」というレベル感での「洞察」を出していきます。

出し終わったら一度、各人が出した洞察の発表と説明を参加者全員に行い、どのような洞察がここまでで出たのか、情報を共有します。

  • テーマ出し(120min)

次に、先程の洞察をより一般化した、「テーマ」を出します。今回は、インタビュイー12人の複数人に跨って出せるテーマを出していきました。これも、仮「説」になります。

例えば、「何かが「ない」から頑張れるという事があるのではないか=愛や評価を取り戻すために頑張るのでは?」「人に与えたい、他人の夢を支援したいという気持ちがある(のでは?)」「セーフティネットがあるから、チャレンジできる」といったものです。現実には、前段階での「洞察」と同時に行っても問題はありません(特に、複数人を直接インタビューした人は、始めから複数人の繋がりが見えていたりしますよね)。

  • テーマの整理と構造化(90min)

ここで、多くのテーマが出たので、出たテーマをPost-itに書きうつし、テーマだけを眺めながら構造化・整理を行いました。

人の行動には、自分の内から出るもの、外部からの要求に応えるもの、それらが重なるもの、といった、より大きなフレームを設定して、出てきたテーマを整理する事ができました。

ちなみに、この辺りで疲れも限界に達し、また、テーマが抽象的すぎて(ここと前段階が元々、このプロセスで一番抽象的になる所です)、纏まるのか?という不安がメンバーの頭を巡り、もうちょっと心が弱ければここでお開き・解散にしていました(笑)


  • コンセプト(90min)

ここでは、これまで挙げた、洞察とテーマに対し「機会領域」を探ります。いくら哲学的にあるいはマーケティング的に素晴らしい洞察を出しても、それが実現可能なものでなければ意味がありません。そこで「いかにして我々は、〜〜〜をするか」という問いを、ここで幾つも立てる事を目標とします。

出てきて、整理されたテーマを見返しながら「いかにして我々は〜(How Might We...)」という問いを、幾つも作っていきました。例えば、「外部のノイズ・社会の要求や流れについ載ってしまう」というテーマと、その下に貼られた洞察、そしてそれを裏付ける事実を眺めながら「いかにして外部の価値観を明確にするか?」という問いを立てました。

  • コンセプトの説明と投票(40min)

これらを各人が出して、ポストイットに書いて貼った後、各人が自分の出した問いの背景を説明します。例えば「いかにして外部の価値観を明確にするか?」という問いであれば、

「外部の要求、価値観、見栄、レール、期待に沿って、つい動いてしまう人は多い。しかし、そう動く人は必ずしも外部の価値観を適切に理解しているとは限らない。例えばサークルで「凄い先輩」みたいに後輩に祭り上げられてしまった人が、『先輩なら凄い所に就職できそうですよね!楽しみです!!』みたいな声に押されて、世間的に『もの凄い』所に行けなければ、本当はちょっと行きたいと思っていた『世間的には凄くない』会社に行くパスを自ら閉じ、極端に走る―例えば「行きたいと思っていないのに」起業やベンチャー―事があり得るのではないか(自分が本当に行きたいと思ってベンチャーや起業を選ぶというのとは違う、いわば消極的な起業/ベンチャー)。しかしその時、例えば後輩はそんな事を期待していただろうか。後輩の言う「凄い」は、先輩にとって明確だっただろうか。いわば「読み合い」のような所があって、答えなくても良かった期待に、答えていて不幸になると言う事があるのではないか。」

という背景を持つ「問い」であるわけです。
出てきた数十の問いに対し、一つづつ説明を加え、背景を共有します。

そのうえで、今回は投票という形で、一人一問5点づつ持って、「今日考えたい問い」を選びました。

  • 解決策のブレインストーミング(30min)

今回選ばれた問いは二つ。

    • 「いかにして与えたいものを与えられる環境をつくるか」
    • 「いかにして外部の要求に対して、自己の魂を載せる事ができるか」

これらについて、15分づつ、ブレインストーミングを行いました。
前者からはさらに、「体験が体験を創る」=「何かがある事で、素敵な体験をした誰かが、その何かを伝える事で、別の誰かにも素敵な体験をして貰いたい」という事が「与えたい」動機ではないか。という仮説が。

後者からはさらに、「外部の要求というのは手段/現象レベルのもので、それは往々にしてつまらない。魂を載せられない。」「しかし、目的レベルまで戻れば、誰もが同意できる何かがある事が多いのではないか。」「そのレベルにまで戻った上で、その目的達成のために動く事ができれば仕事に魂を載せうるのではないか」という仮説、また、魂が載っているというのは、「必ずしも信じ切っている事ではなく、一度疑った(=目的レベルに戻った・目的を問い直した)自信があるものではないか」という仮説を出す事ができました。

サービス等の詳細については、リリースを以て、お知らせしたいと思います★

人が知りたい /250050

やっぱり、人が好きだ。
人の話を聴きたい、人を知りたい、理解したい。
と、想うようになりました。


そこで、知り合いや、友人に、時間をとってもらって、
一人2時間以上かけて、ゆっくりと、「あなたのこと」を教えて貰いました。

まだ、4人ですが、そこで見えてきたものがあります。

否定せず、余計な、言いたくなってしまうアドバイスをせず、
きちんと聴く。
そして、ただ知りたいと思った事を、先入観抜きで掘り下げていく。


そうすると、これまで知らなかった
「ふつうの」人の、背景が、人生が、ストーリーが、胸を打ちました。

「ふつうの」人の中に、膨大な物語、考え方、転機があって、
きっと誰かを「浅い」と思ったなら、それは、聴き方が浅かったのだなあ、
と思うようになりました。


そのような中で、視えてきたもののなかに「冷静と情熱の間」があります。
皆さんにも、少し、シェアをさせてください。人の話を聴く中で、見えてきたものです。


「言霊」というものがあります。
面接などで受け答えする中で、「言霊が載った」時は、とても上手く行きます。



私自身が常に言霊を吐けるか、と自問自答した時、
時には吐けるが、時には吐けない。そう感じていました。

言霊を吐くには、信じる熱意が必要です。


しかし、

自分の思考が、疑いうるものであり、仮説に過ぎない、
今の自分の狭い狭い視野から見た妄想にすぎない、という理解は、
思索を前に進める為には絶対に必要です。
いやむしろ、これまでの自分の思考や信念に、逆らっていく事こそが
思考であるとすら考えます。

思考が疑いうるものだ、現時点の仮説に過ぎない。
私が吐く言葉は、将来は変わるだろうし、変わって居なければややもすると成長が止まっている。
その理解があって、それでも、「信じて、言葉に言霊を載せる」ができるのだろうか。
その強さが私にあるだろうか。

といった事を考えました。


疑いを経ず、検証を経ず、想いを載せると、
タダのアツくてバカなやつになってしまう。

疑って、穿って見て、懐疑し思考すると、
今度は自信も熱意も無いやつになってしまう。

僕は、前者から後者へ、後者から前者への
螺旋階段を登っていて、

今現在、ほどほどに、ちょうどよい、
後者から前者の、中途に居る。と思っています。

そして、
この後、前者にもう少し振れて、また後者に戻っていくのだろう。と。



ここに至り、相対する二人の、
登った螺旋階段の高さと、冷静と情熱でどの位置に居るかが、
お互いへの見方に影響を与えるのでは、と考えます。


インタビューの時、ある男性はこう言いました。
「大学一年生で、この団体に入ろうって思ったのは、
こんなビジョンがあります、とプレゼンしている団体の代表が、
熱意や壮大な夢を語りながらも、なんだかもがいている所があって。
それで、何か自分も一緒になってやっていけるかも、と思ったんですよね」
と。

そこにはきっと、当時「冷静タイプ」だった彼の心を掴む何かが、あったのです。


冷静タイプに振れている時、情熱タイプに振れている人を見ると、
バカだと思えます。あろうことか、足を引っ張りたくさえなります。

情熱タイプに振れている時、冷静タイプに振れている人を見ると、
どうしてここまでネガティブになれるのか、理解すらできなくなります。

更には、華々しい成功を収めると、情熱タイプに振れていき、
地獄の失敗を味わい内省する時、冷静タイプに振れていくように感じます。

行動して、覚悟を決めて、積極性100で前に出て、
成功して、失敗して、内省して、改善して、というサイクルを、
冷静に情熱にとダイナミックに回りながら、成熟していく。

そしてこの事を、メタで捉えられていれば、
情熱家には、成功の為の視点を提示したり、
冷静家には、行動の為の一歩を提案したり、
できるんじゃないだろうか、と。
そしてこれがきっと、心の中の平和。
似てる/似ていない、という箱から出たということ。

相手の状況を捉えて、どこに居るのかを理解しようとして、
そしてもう一周、を支援できるだろうということ。


このようなサイクルを、人間と言うものを、知る事が、
冷静と情熱の変曲点を乗り越える事を支援することこそが、
もしかすると、僕のやりたい事かもしれない、と思うようになりました。

クルミドコーヒーに行ってきた! /240684

及部君の紹介で、クルミドコーヒーに、学生8人で押しかけて(!)店主・影山さんのお話を聞きつつ、クルミドコーヒーの、コーヒー・軽食・デザートを楽しませて頂きました。

  • クルミドコーヒーって?

このカフェをボクらの娘たちのために作ろうと思う。
ボクらの娘が、もう少し大きくなって
楽しめるカフェを作ってみたくなりました。
たとえ潰れても、やってよかったと思えるカフェ。
わたしの街にも、こんなカフェがあればいいと思えるものにしたい。
こどものカフェといってもテーマパークや幼稚園や、
おまけをくれるカフェではない。
大人もこどもも、お年寄りも、静かでくつろげるカフェ
こどもをとりこめば大人がついてくるというのではない
本当のこどものカフェを、
愛娘のために作ろう

JR西国分寺駅南口を出て徒歩1分。
見えてくるのは、クルミドコーヒーとはためく旗。
「愛娘のための」喫茶店がここにあった。


今回は、2歳の娘が居るという影山店主に、お話を伺った。

  • お父さんが、本気を出して夢を追いかけたらこうなる

元マッキンゼーのコンサルタントで、ベンチャーキャピタリストな店主・影山さんはだけど、お話の最中、ずっと、父親か、秘密基地を作る少年のような面持ちだった。
父親が娘を「効率的に育成」したりはしないように、愛情と手間暇をかけて、お店とコーヒーを作っているみたいだった。
少年が自分の秘密基地を、最高の場所に仕立てるように、「普段はこんなに説明しないんだけどね」という、お客さんも知らない秘密がいくつも仕込まれていた。

      • 味蕾が目を覚ますような、コーヒー、パン、チーズケーキ

コーヒーは、エスプレッソ主流のコーヒーが多いけれど、ここではやっぱり「水出し」。一秒に一滴だけ垂らして、何時間もかけて抽出する。加熱して出せば効率も良いのだけれど、苦味やエグ味が強くなる。

コーヒーや紅茶に入れられる砂糖も、キビ糖で作った角砂糖が用意されている。甘さだけを抽出した白砂糖ではなく、天然の栄養も含まれる、キビ糖にしたかった。キビ糖にすると、白砂糖よりも水分を吸ってしまい、すぐ固まってしまう。そこで、角砂糖にした。けれど、コーヒーの味がしなくなるような大量の砂糖も入れたくなかった。そうして、最後に残ったのが1gのキビ糖でできた角砂糖だという。普通のコーヒーよりも、むしろ少し酸っぱいような、そんな感覚のコーヒーは、香り高く、途中で水で嚥下することなく、楽しめた。

軽食のメニューも、ほぼ全て、店内で調理する。グルテン豊富な強力粉からマフィンを作り、そのマフィンに挟むのは、わざわざフライパンで焼いたポテトサラダ。2層のゼリーからできたデザート。手を抜かない。そんな姿勢があった。

中でも、チーズケーキは衝撃だった。少し酸っぱいような、きちんとしたチーズの味がした。甘さだけではなく、少し酸っぱい感じが、味蕾を刺激するのだという。これに比べれば、普段食べていたチーズケーキは、クルミドのチーズケーキの残り香だけに、砂糖を大量に混ぜたような、感覚がする。

お菓子を作るとき、普通、大量に砂糖を入れる。クルミドのデザートは、そんなに砂糖を入れなくても、楽しめるんだよ、と語りかけるかのようだった。舌が感覚を、取り戻すような感じがした。帰りにコンビニに寄ったけれど、なんだか、何も買う気になれなかった。

店内で調理していないもの、天然酵母パンや、コーヒー豆や、アイスクリームも、アルバイト含むスタッフ全員が工場に見学に行き、「手間をかけて、嘘のない、本当のもの」を使っている事をその目でみているのだという。だから、後ろめたさの、ない店なのだという。顧客に対して。もちろん、娘に対して。

  • 場所が語りかけてくる

内装にも、途方も無い手間ひまが、掛かっている。

一枚一枚、みんなで張ったという味のある床。「盛り加工」ではなく、珪藻土を用いたという厚みのある壁。樹齢300年、一枚板から切り出された味わい深いテーブル。そのテーブルに「ご自由にどうぞ」と置かれているクルミ。キノコの形をした、可愛らしいくるみ割り機。そのテーブルと床を見下ろす、くるみ割り人形。低くしつらえられた電球と、一滴一滴、コーヒーを抽出していく水出し機と、そのガラス玉の輝くような。

背筋が、伸びるような感覚があった。

    • 地域と共に、子供と共に

でも、なぜ「西国分寺くんだり」にあるのだろう。もともと、クルミドコーヒーのある場所は、影山店主の生家だったのだという。そこを、「マージュ西国分寺」という集合住宅に作り替えて、その一階にクルミドはある。子供のためのクルミドが、地域を繋ぐ。

クルミドでは、子供たちに、「マージュ」という地域通貨を報酬に、お手伝いをしてもらうのだという。スタンプを押して貰う仕事や、店の前の落ち葉を集めて、綺麗にしてもらう仕事。

でも、その仕事の評価には、手を抜かないのだという。いい仕事をしてもらって、だから報酬が出せる。ひとの役にたったから、「100マージュ」がもらえる。こんなところにも、子供だからといって、手を抜くのではない。こどものための、本物があった。

  • 惜しみない一手間が、現実と物語を交差させる。

現実の時間に人が、一手間一手間をかけると、そこから物語の、時間が流れはじめた。知覚できないけれど、言葉にできないけれど、感ぜられる何かは、確かにそこにある。意識にはのぼらないのだけれど、スタッフ総出で油を塗って、タッカーで留めた壁材には、色の差、木の味、無数に開いた穴があって、それらは無口ながら、たぶん雄弁に語っている。

  • Nothing but perfect

およそ目にする、およそ口にする、およそ手にする、すべてに物語があった。クルミドコーヒーという物語はそしてこれからも紡がれる。ここで書いた以上に、紹介しきれない秘密が込められている。

それはそうだ。大人がまるで、子供のように、本気で作った秘密基地。筆舌に尽くしがたい。感得するよりない。

影山さん、お時間取っていただき(しかも、2時間のお約束だったのに4時間も!)ありがとうございました!
クルミドコーヒーへは、こちらから。
影山店主のブログはこちらから。

学生のためのスキルアップ入門/233362

  • 成長・スキルアップは、練習・訓練から産まれる

 不況、というのも後押ししてか、周りの学生の中にも勉強熱心なヒトは多い。授業をきちんと受ける、だとか、ビジネスマン向けの本を読む、だとか、セミナーや交流会に参加する、だとか。

 しかし、往々にしてそれらは、知識というよりむしろデータをデータとして頭脳に押し込んだだけで、スキルになっていないように思う。スキルとは、再現性を伴う技能であり、例えば足し算ができること。例えば分かりやすいドキュメントが書けること。例えば伝わるプレゼンテーションができること。例えば上手なインタビューができること。

それらが再現性を伴って「できる」ためには、手順、方法論、考え方の理解と共に、その血肉化というものがどうしても必要だ。つまり、時間をとった、練習・訓練が必要だ。

  • 訓練の指針:精度と速度

およそ訓練には、二つのパラメータがある。それは精度と速度だ。この二つのパラメータに気を配りながら、訓練を行うと上手く行く事が多かった。

    • まずは精度から始める。

 足し算を知らずして、足し算を行う事はできない。まずは「精度」からはじめよう。ゆっくりやれば、足し算ができる。ゆっくりやれば、お箸が使える。ゆっくりやれば、良い文章が書ける。ゆっくりやれば、問題が解ける。

 そう、精度―なんとか「できること」からはじめよう。「なんとかできる」と書いたのにはワケがある。理解すること、知識をインプットすることではなく、アウトプットが目指されていなくては意味が無い。足し算の原理を理解する事がゴールではなく、ある程度理解した上で、実際に「できる」事「結果がでる」事が重要だ。

だから「精度」を言い換えるとこうなる:精度の向上とは、より良い結果を目指す事。より完璧を目指す事。

    • 速度を視野に入れる。

多くの人は、「精度」で満足する。だからそこで成長が止まる。次に目指すべきは速度だ。速度を目指す事で、恐らく大多数のヒトと差がつけられる。先ほどできた事を、「できない」くらいのスピードでやる。精度を、敢えて落とす。

大人は「足し算」は、ゆっくりやれば、誰でも完璧にできる。だが、その速度となると、優に10倍を超える。その差は、速度に対する意識の有無と、そこからの研鑽に依る。

 速度を上げよう、というとき、精度を犠牲にしてでも、速度を上げなければならない。例えば、100マス計算が1分でできていたのを、50秒で打ち切りにする。間違えてもいいから、50秒で全部埋める事を目標にする。これまでゆっくりでできたものを、急に高速にするのだから、当然、できない。"Get out of comfort zone"とは恐らくこういうことで、そのできない速度の中で足掻き、精度を上げようとするから、速度と精度が上がる。できる速度に甘んじていれば、そのまま成長は無い。

 同じドキュメントを製作するのでも、半分の時間でできないだろうか。同じプレゼン資料を作るのでも、二倍の速度でできないだろうか。普段の速度を測り、制限時間を決め、やってみる。

    • 速度の限界、手法の更新、結果の向上

 速度にもやがて、限界が来る。この速さでは、どうしてもできない、という時がたぶん来る。その時は、(1)やり方を変えるか、(2)ゴールを変えるかだ。

 (1)時間という制約条件の中で、どうしてもできないから、工夫をする。やり方を変える。今までやってきたプロセスを、ただ高速で踏襲するのではなく、やり方を変えてしまう。例えば、掛け算。九九では限界があると思えば、インドのように20×20まで暗記してしまう。例えば、プレゼンテーション。スライド修正の時間をなくすため、はじめにテキストエディタで軽く全体の構成を作る、というステップを入れて、むしろ全体の時間を短縮する。例えば、エクセルでの処理。マクロを学んで、自動化する。

 (2)足し算や掛け算のように正解が一つで無いものは沢山ある。「スキル」という時、たいていは唯一の正解は無い。だから、ゴールを変えてしまう。目指すものを変えれば、もしかするとより良いものが、より短時間で達成できる。

    • いま、精度と速度、どちらを目指すか


 ゼロから始めるならば、精度から始めた方がいい。でも、今「少しだけできること」に対して、どちらを目指せば良いのだろうか。答えは、たくさん、カジュアルに、失敗ができる方だ。負荷が掛かり、苦しい方だ。まだ試していない方だ。

適切な負荷を掛け続けると、人間とは良くできたもので、それに「慣れ」る。慣れると、その負荷が当たり前のようになる。より過酷な環境への適応は、成長でありうる。

  • 成長という病:

このような「成長すること」を求める人は多い。なるほど不安な社会情勢にあって、能力というのは最高の保険であろうし、ドラッカーが

知識労働者たる者は、仕事のなかに継続学習プロセスを組み込んでおかなければならない。

との喝破したように、成長は競争力の源泉になりうる。

例に漏れず、私もそうだった。成長を求め、読書をし、授業を受け、セミナーに出席し、自己研鑽を怠らない。これら自己研鑽は、確かに今の私の力を幾許か担保する。だが、私は、いつの間にか「成長」を求めなくなった。「学び」にフォーカスする事をやめてしまった。*1

  • 成長:価値を産み出す事

 より成長すると、よりスキルアップすると、より能力が上がると、なぜ「保険」になるのか。それは、より多くの価値をより少ないリソースを用いて提供する事ができるようになるからだ。その度合いを優秀さと定義するならば、優秀な人間は少ない資源で多くの関係各者を幸せにする事ができ、だからこそ市場から必要とされうる。

 しかし、「価値」は個別具体的なものだ。ある何かが価値かどうかは、顧客と、その顧客の置かれた状況に依存する。

  • 準備と本番

 だから、価値提供能力を上げるためには、価値提供の「本番」を重ねるしかない。顧客を想定しない、漠然とした「スキルアップ」は効率が悪いのではないか。そう思うようになった。

 例えばプレゼンテーション一つをとっても、いつかはプレゼンする時もあるだろう、とプレゼン練習を重ねるのと比べ、24時間後の卒業論文の発表に向けて、発表内容と構成を細部にわたって検討し、出席する先生方の顔や専門分野を思い浮かべながら、身振り、手振り、強弱、抑揚に注意をし、制限時間に気を配りながら、老練の教授たちにも少しは価値あるメッセージを吐けるように、【調整】を繰り返すのとでは、練習の質が格段に違ってくる。

 そして何より、提供価値は、必ずしも、自分自身が「既に十分学んでいるか」に依存しない。ちょっとした、「賭ける勇気」や、「偶然との邂逅」あるいは、「気づきと直観」が、成果を大きくわける。これらは、本当に、「顧客」や「問」の息遣いが感じられるほどにフォーカスしてこそ、最大化できる。

  • 自ら本番を創り出す:真摯さ

 同じ卒業論文を書くのでも、「本番」と見なせる人と、そうでない人が居る。真剣に取り組める人と、そうで無い人が居る。もちろん全てに「本番」と思えるわけでもないが、本番であるためには、ある種の没頭が必要であるように思う。その没頭に於いては、成長してやろう、学んでやろう、という打算は、むしろ邪魔になる気さえしている。

 没頭に必要なのは、コミットメントと楽しさだろう。コミットメントとは、顧客との約束を守ること。顧客の期待に対し責任を持つこと。やると決めたことを、きちんとやり遂せること。

 そして、楽しさはまさに、コミットメントから産まれる、と感じる。コミットし、対象を観察し、より深く理解しようとし、好きになる。だから、何かが本番であるためには、没頭できる本番であるためには、コミットメントが必要なのだ。

 ではそのコミットメントは何によって産まれるか。それは偏に、「真摯に考える事」だと思う。なぜならコミットメントには必ず対象が存在し、成果を出すためにはコミットメント対象への「チューニング」いわば、対象との【対話】のようなものが必要で、対話には、自分自身の思考や情動に対して、また、対象の現実に対して、その時限りであっても、真摯であることが求められからだ。真摯さとは、誤魔化さないことだ。嫌なこと、非情な現実、自分自身がよく理解していないという事実、それらを直視するところから、始まる。これらを直視しない「対話」は、単なる表層に留まり、コミットメントに値するような成果を出す事はない。

  • 真摯に考える為に

真摯に考える―誤魔化さないで、現実や、自分の求めるものを直視する―ためには、以下のような事が考えられる。

■抽象化する
◇意味づけする
解釈する・疑う
◇言葉・表現に注意を払う
◇整理する。順序づける。階層化する
◇本質を捉える
◇不要なものを除去する
◇重要なものだけを考える
◇関係、文脈を考える

■具体化する
◇分割する
◇計測する
◇実験・実行・行動する。

■シミュレーションする
◇最善・最悪の場合を考える
◇要素を取り除いてみる
◇要素を付加してみる

  • まとめ

だから、結論としては、こうだ:初めがあって、終わりのある、プロジェクト期間中、ただただ真摯に打ち込む。コミットする。本番化する。振り返り、学び、成長を確認するのは、プロジェクト後でいい。

そして、なにより、そういう本番こそが楽しいのではないか。生きた実感が持てるのではないか。観察し、思考し、洞察し、仮説を立て、検証し、賭け、そして具体的に、誰かの何かを変えていき、価値らしきものが本当の価値へと昇華され、喜びを創り出すときの脳がひりつくような感覚はきっと、音楽やゲームや、ニコニコ動画や、「成長の喜び」と言ったモノでは味わえない。

もし、スキルアップの、自己成長の喜びが守りの楽しさ、安全な楽しさ、箱庭の中の楽しさだとすれば、本番の楽しさは、攻めの、危険な、フィールド上の楽しさであって、その楽しさの質も、経験の質も、前者とは桁違いのように思える。


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併せて読みたい:

よい仕事をするために

あざやかに生きる

卒業研究のすすめかた

投資対効果の極めて高い、プログラムなんて分からない人のための「単純作業自動化」入門

*1:とはいえ、英会話とか読書くらいは日々の準備として?やってるのも事実。両輪だろうなー。

IDEO/人間中心ワークショップHuman Centered Design Process/227583

■Human Centered Design Process

東京大学が最近始めた、イノベーションの学校"i.school"に参加してきました。第一回「人間中心ワークショップ」は、世界最高のデザイン・コンサルティング・ファームであるIDEOとの共催。IDEOの他、博報堂イノベーションラボ・大阪ガス行動観察研究所、味の素、シスコ、早川書房の方々の協力のもと、世にも贅沢なワークショップでした。

IDEOとは、The Art of Innovation/The Ten faces of Innovationなどの書籍(早川書房)

で知られる、デザインファームであり、Appleの最初のマウスのデザインや、最近ではBank of Americaの金融サービス設計を【人間を中心に】行っており、その方法論を、"Human Centered Design"と名付けています。

今回はそのプロセスを、Toward better communication between working mothers and their children at home(家庭における働く母親と子どものより良いコミュニケーションに向けて)という、些か漠としたテーマを基に、有給を取って(!)教えに来てくれたIDEOの方の直接の指導のもと、一通り体験する事ができました。今回は、そのプロセス順に、実践を通してお話します。

目次

◆i.school and IDEO/東京大学ischoolとIDEO
◆Human Centered Design/人間中心設計
◆Observe & Understand/理解と観察
◇Interview Technique
実践〜一日目/二日目〜

◆Synthesis/意味を付与する
◇Download and share stories/共有
◇Insights/洞察
◇Themes/テーマ
◇Opprtunity Areas & HMWs
・Opportunity Areas/機会はここに
・HMWs: How might we.../我々はいかにして...
実践〜三日目〜

◆Brainstorm & Prototype/ブレストとプロトタイピング
◇Ideas/アイディア
◇Concept Prototypings/コンセプトをカタチにする
◇Expression & Visualization
実践〜四日目〜

◆Final Presentation
実践〜五日目〜

  • Human Centered Design/人間中心設計

まず、Human Centered Designとは、世界を良くする新しい解決策を産み出すための、プロセスとテクニックのことです。解決策とは、プロダクト、サービス、環境、組織、インタラクションなどのことです。

このプロセスが「人間中心」と呼ばれるのは、まず「人から」スタートするからです。まず、解決策によって影響を与えたいと思う人々のニーズから、夢から、行動からスタートするからです。人々の声と行動に耳を傾け、「人々の望みのレンズ」を内に形成し、そしてプロセスの全てで、このレンズを通して世界を眺めます。

それによって、真に人々が欲しいと思う、真に人々に役に立つ、そんなモノやサービスを作ることができる、というのです。

はじめプロセスを俯瞰すると、プロセスはこのようなObserve & Understand/Synthesis/Brainstorm & Prototypeという3つのステップからできています。

  • Observe & Understand/理解と観察

ここで行う観察は、主に「定性的」な情報を集めるための観察です。定量的なデータとして人々を扱うのではなく、一人の人として顧客にコミットする。そのために、先入観を排し、気持ちと行動を聞いていきます。

また、多くの顧客の「今」に注目し、一般的な顧客に迫るのがマーケティングリサーチだとすれば、特殊(Extreme)な顧客の「未来」にフォーカスするのが、IDEO流の定性インタビューです。

    • Interview Technique

インタビューには幾つかテクニックがあり、中でも大切なのが以下の3つ

Open-Ended Question:Yes/Noで答えられない質問をする
Five whys' / 何故?と掘り下げて聞く
Show me, Draw it / みせて貰う、やって見せてもらう、書いて貰う

    • 実践〜一日目/二日目〜
      • 準備

以上の実践のため、一日目は、「まずインタビュー先に撮っておいてもらったビデオを見て、気になる事を書き出す」→「インタビューの項目作り」を。

インタビューで「これを聞こう」という決定リストではなく、大まかな「構造」を作るためのリスト。例えば「夫について聞こう」とか、「家自体について聞こう」とか「周りの友達やコミュニティについて聞こう」とか。あくまでも大枠を固める事が目標です。

注意しなくてはならないのが、このインタビューが、仮説検証型の情報収集ではなく、むしろ仮説を出すための、インタビュー対象となる人、問題を解決し貢献したいと思う人、その気持ちや行動に迫り、「自分の中に、その人を作る」事が一つのゴールである、と言うところです。
cf:リクルート「創刊男」の大ヒット発想術

      • インタビュー

保育園と、働くお母さんのご家庭へ訪問。保育園では、ゼロ歳児の公園遊びを見たり、保育園の中の施設を見たり、園長先生にインタビューをしたり。大変そうな中の、意外なシステマティック性や、各所に凝らされた工夫を目の当たりにする。園長先生のインタビューでは、中々核心には迫れず、「用意された外向きの回答」のようなものに始終してしまいました。

午後はグループ7人を2班にわけて、僕らは4人で働くお母さんの自宅へ訪問。こちらはお仕事の話から入り、生活時間帯や、コミュニティ、家庭の話と話を聞いていく。他の友達のお母さんとどんな話をするのか、子供とどんな話をするのか、どんな時にうれしいのか、そんな話を聞いていきました。

  • Synthesis/意味を付与する

第二ステップSynthesis(統合)とは、観察から得られた情報から、意味を見出すプロセスです。

Synthesis is about making sense of what we've seen and heard during the observations. Synthesis takes us from inspiration to ideas from stories to strategic directions. By aggregating, editing, and condensing what we've learned, synthesis enables us to establish a new perspective and identify opportinities for innovation.

意味を付与するというのは、集めた情報の内に、パターンや関係性を見出すことです。では、どうやって?それは、集めた情報を共有(download)した上で、本質的なインサイト(洞察)を見出し、取り組むべきテーマを見つけ、機会領域を見出すという順序で行われます。

    • Download and share stories/共有

インサイト/洞察を出す前に、まずは情報の共有をします。
「ダウンロード」とも呼ばれるこの共有のプロセスを見た、得たものを「半生」で記述することによって、チームメンバーの前提を揃えます。

たとえば、幼稚園の見学だと、「保護者に心配をかけない対応がマスト」「親同士の揉め事は怖い」「オムツ替え、システマティック」「子供は仕事を手伝えてうれしい」こんな感じです。言葉だけではなく、絵や図も交えて、Post-itに貼っていきました。

    • Insights/洞察

上記で共有した情報から、鍵となる洞察を見出します。Insightとは、洞察のことですが、私たちは共有した情報・ストーリーを、うまくカテゴライズし、ラベルを貼ることによって行いました。

見つけたインサイトは、例えば幼稚園であれば、

泣くと一対一でケア。それ以外はたくさん。
子供が言葉が分からなくても、ずっと子供に話しかけている。
●●ちゃんこのおもちゃ大好きなんだよねー、と保母さん同士が話している
インタビューにて、0歳児は保母さん1人で3人まで見れる決まりだが、本当は無理。

といったような幾つかの事実から、「一人一人へのふれあいを大切にしたが、できない(のでは?)」といったインサイトを。

例えば働くお母さんであれば

「ずっと一緒に居たい。保育園には預けたくない」
「ご飯は子供中心の味になっちゃうから、たまに大人の味が欲しい」
「机を大人の食事用と子供の食事用で分けている」

といったような幾つかの事実から「自分中心で育児を回したい(のでは?)」というインサイトを。

    • Themes/テーマ

さらに練り直し、グルーピングし直し、全く別グループの思考なども参考にし、テーマを見つけます。いわばインサイトの似たものや矛盾するものをさらに昇華する作業です。ここで、保育園と働くお母さんのインタビューを「混ぜ」ていきます。保育園と家庭という、異なった場所でのインサイトで似ているモノ、似ていないモノにフォーカスし、グルーピングをしていきます。


    • Opprtunity Areas & HMWs

次に、「Opportunity Areas (機会領域)」の設定です。機会領域とは、解決案を出すためのピボットであり、様々な解決策を産み出すための、「問い」のことです。

      • HMWs: How might we.../我々はいかにして...を解決するか。

その機会領域は、「How might we.../我々はいかにして...を解決するか。」という質問を作ることで定義できます。

例えば、私たちが注目したのは
「いかにして、子供も大人も楽しめて、家事も進むようなお手伝いができるようになるには?」「いかにして、ママの一日の時空間の動線の中に、気軽に立ち寄れて気の合う仲間と会えるには?」「いかにして、同時空間で大人は大人、子供は子供で楽しむか?」このような、【機会領域】を見出していきます。

そして、幾度かの迷走の後、私たちが最後にフォーカスしたのは、「我々はいかにして、目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインを行うか」という問いでした。

  • Brainstorm & Prototype/ブレストとプロトタイピング

ブレインストーミングとは、技術的、組織的、運用的な、全ての制約を排し、思考の枠を拡げ、多くのアイディアを作り出すプロセスです。
良いブレストのためには、一時には一人が喋り、アイディアの善し悪しの評価をやめ(褒めるのもダメ)、Wild(狂った、とでも訳しましょうか)なアイディアを歓迎し、チームメイトのアイディアに乗っかり、そうでいながらトピックには集中し続け、ヴィジュアルに、数をたくさん出す事を目指しながらやると上手くいくそうです。

    • Ideas/アイディア




私たちは、「いかにして、子供も大人も楽しめて、家事も進むようなお手伝いができるようになるには?」「いかにして、ママの一日の時空間の動線の中に、気軽に立ち寄れて気の合う仲間と会えるには?」「いかにして、同時空間で大人は大人、子供は子供で楽しむか?」という、先ほど見出した【機会領域】に則り、3つの「解決策」に関するブレストを行いました。各々20分程度で、多くのアイディアが出てきました。
そのアイディアをカテゴライズし、名前をつけた上で、そのアイディアを「投票」し、解決すべき問題とその解決策を決めました。
「ママッター(ママ+Twitterでママ同士の情報共有サイトを)」「セッペン(石けん+ペンで子供の風呂遊びがお手伝いになる)」「DoCook(子供でもできるお料理キット。振ればできるとか、踏めばできるとか)」のような、多くのアイディアの中から、「パークライフバランス(お母さんと子供のWork life BalanceをなんとかするPark/公園)」を選びました。

    • Concept Prototypings/コンセプトをカタチにする。

次に、プロトタイピングです。
プロトタイピングとは、アイディアを簡単に目に見える形にしてしまい、他の人々とアイディアについて話ができる形にすることです。ラフに、素早く、作ってしまいましょう。
解決策のプロトタイプを作ると、考えていた解決策について、より深く理解する事ができます。

また、プロトタイプは何も、モノを作る事に限らず、僕らの場合では、実際に大学の公園に行ったり、カフェに行ったりして、「母と子の演技」を行うことで、「単なる公園では、お母さん仕事に集中できないよね」とか、「遊んでくれるお兄さん居るといいかも」といった気づきを得ていきました。

そうこうするうちに、幾つか疑問がわいてきます。それは「これって、本当に母子のコミュニケーション促進になるの?」という問い、そして、前提であった、【家庭における働く母親と子どものより良いコミュニケーションに向けて】というテーマへの、「より良い」コミュニケーションを行ったとして、だから何だというのだろう。「より良い」コミュニケーションとは、なんのことだろう。「より良い」コミュニケーションは、何のために行うのだろう。という疑いです。

そういった疑いを経て、私たちが提供したいと思ったのは、以下のようなことでした。

コミュニケーションが量×質だとすれば、なによりまずその質が大切。
その質をなんとかしたい。質の低下はお母さんのストレスから生まれる。
ストレスは以下の2点から:
「フリーになろうと思ったら、保育所か誰かに預けきるしかない」
「ずっと子供と一緒にいたいが、家で一緒に居ると手が掛かりすぎる」

だから、第三の選択肢「目の届く距離で、手の掛からない何か」を提供したい。

    • Expression & Visualization

そんな思いで、最後の最後に生まれたのは、
「我々はいかにして、目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインを行うか」という再定義された機会領域に対する、「ライフパークカフェ」のアイディアでした。

要は、スターバックスのようなカフェのある公園で、公園には、なだらかな傾斜がつき、傾斜の上の方に、お母さんたちが歓談するカフェがあって、カフェだから、仕事も読書もできて、お母さんたちが見える範囲の、傾斜の下の方では子供たちが遊んでいる。

子供たちを惹きつけるのは、遊びのプロとしてカフェに雇われた、店員さん。
この店員さんこそが、このカフェが提供する新しいサービス・差別化要因。


私たちはこのライフパークカフェのアイディアを演劇という手段で「カタチに」することで、最終プレゼンへと臨みます。

  • Final Presentation/プレゼン

さあ、そんなプレゼンテーションのはじまりはじまり。

はじめは、インタビューした、2人の対照的なお母さんの話から。こんなことに困っているとか、こんなことが欲しいとか。こんな風に工夫をしているお母さんと、こんな風に言っているお母さん。

そして

何より、「単にお母さんと子供が接する時間を増やせばいいんじゃないんだよ」ということを。問われるべきは、そのコミュニケーションの質なのだと。

それを解決できるのは、およそこんなカフェと公園の一体になったもので、

それを母子がどう使うのか、それは:

    • 寸劇

在宅ワーク中のイライラした母親が、かまって欲しそうな子供を叱りつけるところからスタート。
子供が泣き出して、お母さんは途方に暮れる。
「そうだ、ライフパークカフェ、行こう」

公園に連れて行って、お母さんはカフェに。
先に公園カフェに居て、仕事をしているお母さんと少し話し、
子供を、遊んでくれる店員さんのもとに送る。

「ちょっとメールだけしちゃうから、待ってて」
先にいたお母さんが仕事を終え、パソコンを閉じる。

お母さんは、子供の悩みを話したり、子供について考えたり。
そして、時たま子供の方を見やる。

子供たちは、店員さんと楽しく遊んでいる。
今回のテーマは手品。


それを見ながら、お母さんたちは
「いつものいきましょうか」
「ええ、そうしましょう」
「すいませーん、ビール2本!」

昼から、ビールを飲み始めるお母さんたち。
そんなのアリ?いいんです。

お母さんたちのストレスの源のひとつは、「規範意識」
母親かくあるべしを、夫から、舅・姑から、両親から、世間から押しつけられて、
いつしか子育てが「使命」になってしまう。

たぶん、きっと、使命のない会社はダメになってしまうけれど、
使命感の子育ても、子供は窮屈なのだ、と思う。


ビールを飲み終えて、歓談を終えて、家に帰る母子。


「今日はどんなことして、遊んでもらってたの?」
「てじな!」
「店員のおにいちゃんが何かやってたよね。どんな手品?」
「びすけっと、でてくるの!」


コンテキストを、共有しているからの、会話もできてしまう。


    • そして、まとめへ。

寸劇は、いかがでしたか?
始め、家庭で働くお母さんは、仕事が終わらずイライラしていました。子供は同じ場所にいましたが、決して良い関係ではありませんでした。

つまり、よいコミュニケーションが、量×質で決まるとすれば、もし質が悪ければ、単にコミュニケーションの時間や機会や手段を増やしても、仕方がないのです。

このコミュニケーションの質を担保するために私たちがインタビューから見出したインサイトは、「目の届くが、手の掛からない、適度な距離感のデザインが大切だ」ということです。

適切な距離感とは、子供と文脈を共有はできるが、お母さんはお母さんで悩みを相談したり、仕事を進めたりできる距離感です。そんな距離感を持つ、空間とサービスをデザインする必要があります。

空間/サービスデザインのひとつとして提案しましたのは、「ライフパークカフェ」という、お母さんたちは飲み物を楽しみながら、仕事をしたり、お母さんが会話をしたりしている間、目の届くところで、子供たちは店員さんと遊んでいる。そんな、緩いつながりのある、カフェつき公園です。

これらを通して、お母さんは子供の遊びと文脈を共有しながら、ストレス解消ができ、その後の会話の質がアップする「空・間」を作るサービスです。

今、家庭で働くお母さんは、
・子供を預けきると、その間全くコミュニケーションの量が取れない
・子供と家で一緒に居ると子供に掛かりすぎになり、コミュニケーションの質が下がる
という、量と質の0/100に困っています。

私たちが提案したいのは、第三の選択肢です。是非、第三の選択肢「ライフパークカフェ」をi.schoolから日本中に届けませんか?

こんな提案を、最後にはした。

評価も非常によく、味の素の常務の方や、大阪ガス行動研究所の方や、博報堂の方々、IDEOの方々から、

「すぐビジネスにしたいくらいですね」
「インタビュー対象者も、端と端のように思う。端と端が満足するプランなら、真ん中の人はもっと満足できる」
「発表自体もinnovative」
「もちろんやるとなるとハードルはたくさんあるが現実的に考えてもらえた」
「安直に技術に頼らなかったのが良い」
「距離感という言葉が、普通は出てこない。すばらしい。」
「お母さんの価値観について、一番深いところまで踏み込めたのではないか」

こんな、フィードバックを頂いた。

チーム名は、Let's ART。
Let's ARTの7人で作り上げた、この案をとても気に入っている。

IDEOのワークショップに参加した5日間、とても、有意義な5日間だった。

 

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◇概要:Simple model solve both.
バングラディシュで、ビジネスをやった。
僕らの視たバングラディシュには、解決すべき問題があった。
解決すべきと信じるに足る、問題があった。


その問題を追ううち、
「農村に行き、インタプリタと共に調査を行い、
グラミン・コミュニケーション及び
グローバル・コミュニケーションセンターに提案する」

というインターンの【枠を超える】ことができた。
以下、詳細を綴る。

◇問題発見:矛盾を見過ごさない
農村滞在10日間余。
初めの数日はOne Village One Portalという、国勢調査のデータ集めを行う傍ら、「問題」を見つけようと苦悩した。
問題は当初、見つからなかった。
問題がない事が、問題に見えた。

問題だとはっきり分かるもの、目の前に見えているものは、殆ど手に負えないくらいの、ビッグプロジェクトだった。

例えば、頻発する停電。
僕が電気技師ならいざしらず、僕が停電にどう対処できるだろうか。
そして、自家発電や太陽光発電を、少し裕福な家庭では導入しており、対処は「時間かカネの問題」。

例えば、汚水。
沼に、井戸水に、ヒ素が含まれている。現地の人々はペットボトル飲料を買う事で対処している。
水を奇麗にするプロジェクトを僕が? 必要ではあるが、「僕のプロジェクト」には感じられなかった。


そして、東京では見れない、美しい風景と楽しそうな人々、
「貧困国」と聞いてはいた。確かに貧しい。貧である。であるが、多くは【困ではない】ように見えた。
好奇心、笑顔、会話。そして、一握りの金持ちと、一握りの本当に「貧困」な人。


そんな中で、
いつも心にあったのは、毎日毎日僕らを乗せてくれた、リキシャ(人力車)のドライバーであり、
話を伺った小作の方であり、低い給料に喘ぐ、小学校の教員だった。

そして、インタビューの中に一つの矛盾を見つけ、僕らAチームは、その矛盾を追う事になる。

事実1.街では高い失業率・職の少なさが大きな問題だと
事実2.小学校教員の給料は非常に低く、多くの学校で教員の数が不足している

一方では人が余っており、
一方では人が足りないという。

その原因は、
・教育を受けているか
・教育を受けていないか
の違いに起因する。

教育を受けている人でなくては、教員になれない。
教育を受けていない人が、職を失っている。

すなわち、問題は:
・教育のあり/なしにおける格差
・小学校教員の給与面での魅力の低さ。

そして、これら「問題」は一見階層が違うが、
未来のバングラディシュから現在を俯瞰する事で整理される。


未来に、2020年のバングラディシュにおいて、
・教育を受けていない人はますます競争力を失い、失業が増える。
・その時において、教育を受けていない人を【救う】【見捨てる】のどちらかを選ぶ必要がある。
・【救う】を選ぶなら、それは政府が税金で救う事になろう。
・その税金は、教育を受けた人によって贖われる。
・競争力を、教育を受けた彼らが持つならば、彼らは海外へ流出する。
・その競争力の上限は、教育の質と相関がありうる。

そして、この問題をシンプルに解決しようとすれば、ソリューションはこうなる。
・放課後の学校を用いて教師が読み書きのできない人を教える
・それをサステイナブルなビジネスモデルとしてキャッシュフローが回るように設計する。

◇仮説検証:事実を集める
さて、そんなビジネスを創る事は可能なのか。
仮説を、サポートしうる要素に分解し、事実を集めよう。

  • Uneducatedと Educatedの格差は 問題である

Uneducatedは 社会の少なくない 部分を占める
Uneducatedは 失業率が高く 持続性が低い
将来、 Uneducatedは 社会の重荷に なりかねない

  • その問題は 放課後再教育システムによって 解決可能である

Education Levelと Job Opportunityに 相関がある
少し教えれば 大きく増える Job Opportunityがある
少し教えれば つけられる付加価値: 新しい職業機会がある
そういう職についてみたい

    • 実現可能性

学校で教師が Uneducatedを 教育すればよい
教師にとってメリットがある
教師は時間がある
教師にとって十分な資金が手に入る

こんなことを、調べに行った。
事実は、集まった。
事実は、この解決策をサポートしているかに見えた。そして、


◇理想を描け

そして出逢い。
Anowaraという、70歳近くのお婆ちゃんに出会う。
元気で、こちらの質問にジョークで答え、からからと笑うそのお婆ちゃんは、

身寄りはなく、収入もなく、
時に借金を、時に物乞いを。
綺麗に言えば≪自給自足≫の生活を。

そのAnowaraばあちゃんが、言ったのは
「私は夫も子供も居ないから、後は死んでいくだけだけれど、私は楽しく生きるよ」

その日は早々とゲストハウスに帰り、
―各人、瞑想。

Team A 4人が、一人一人考えた。

私はなんのために、だれのためにここにきて、
そして、なにを成そうとしているのか、
なにをやりたいのか。


問題、とは、あるべき姿と現状のギャップ。
我々はあるべき姿を描いていたか。
あるべき姿を、描いて、いたか?


二時間も一人で考えたか。
その結果をつらつらと共有する。


一縷、光が見え始め、おぼろげにみんなが同じ方向を向いている事を知る。

自分の持てる価値を他者に提供し、対価を貰い、認められるということ。
それを通じて、
自分の人生の、主人公になるということ。
自分の人生を、コントロールするということ。
運命に翻弄されるのではなく、夢を描き、その実現に必要な行動を起こすということ。

Take initiative on my life.
ここへ向かって。


◇問題への執着:準備された枠を超えて
日数ものこり僅か、課されたプレゼンが気になってくる。
「提案したものが、もしグラミンに採用されたら…」
という功名心やはやる。

そして、我々4人が、日本に帰ってからどう共同作業する?
という話も詰めなきゃいけない。

提案先は、バングラディシュのケータイ会社
「グラミン・コミュニケーション」そして
「グローバル・コミュニケーション・センター」

その事を考えれば、有利に働くのは、提案先に価値をもたらすのは、
ケータイ電話を使ったサービスや、インターネットまわりの話。

幸い、ケータイに関する情報も村人からのインタビューで仕入れてある。
最近の市場拡大が目覚ましいこと。
音声通話のみならず、マルチメディアケータイを操る人も居ること。
SMSなど、使えるのに、知らないがゆえに使っていない「もったいない」サービスのあること。

しかし、しかし、
文字が読めない人が5割も居る。
インターネット以前の話じゃないの?


取り組むべき問題は、取り組む価値ある問題は、きっと、「教育」の方だ…。

教育か、モバイルか、
それとも他の案か。
・図書館/貸し本屋
・BOP市場向け保険
・農村に無い仕事の開拓(レストラン・花屋)

案をまた幾つも出し、絞りをかけていく。


放課後授業の案の検討に至り、

一人が言った
「腹落ちしない」

一人が言った
「これ、やっちゃえばいいんじゃないの」


そうだ、そうだった。
バングラディシュについて2日目、
ムハマド・ユヌスその人に会って聞いた言葉は何だったか。
彼に何を言われたのだったか。

「世界は変えられる、もしそう望むならば」

「明日からのチェンジメーカーではなく、
今日からのチェンジメーカーであれ」

オーケー、やろう。
教師を口説き、生徒を集め、実際に一度やってしまおうじゃないか。
その時、僕らは、燃える集団だった、と思う。


◇もう、インポッシブルなんて信じない
いかにして教師を口説き、生徒を集め、実際にやれるのか。
通訳の助力が必ず、必要だ。

英語という制約条件に阻まれないために、
パワーポイントを作り、図表を作り、通訳にわれらのミッションとパッション、
ビジョンと事業構造を説明し、協力を仰ぐ。

「Impossible」と言われる。
今日から3日は学校が休みで教師が捕まらないから無理だよ。
肉体労働者たちはその日を生きるのに精いっぱいで、教育にお金なんて出せないよ。

いろんな事を言われた。

通訳を口説き、地元の有力者を口説き、校長先生を口説き落とすまで、何度「Impossible」を聞いただろう。

識字できない、彼らにはお金が無い。
彼らは無能だから、そういう授業を受ける事に向いていない。
この国では教育にお金を払いたがらない。
大人向けにも、政府が無料でやっている教育機関がある。
教師は尊敬すべき人だから、識字できない大人に教えたりしない。

などなど、などなどなど。


いいから、やるのだ!


やれば、変わる。
リキシャドライバーを4人集め、
校長先生に同意を取り付け、
第一回の事業と授業のはじまりはじまり。
満足しなかったら、お代は要りません。
授業に満足したら、払ってください。そして。




収入:6tk×4人=24tk
支出:講師へ20tk
利益=収入―支出=4tk.

ビジネスとして、利益が出た。
TeamA・4人で一人1tk。

そして、自分の名前が書けるようになった4人のドライバーと、
嬉しそうな顔。

リキシャドライバーは言った。
150tk/monthまでなら、出せる。
impossible! お金がないから払えない、と言ったのに。

校長先生は言った。
子供たちに教えるより、学びが速くて教えやすい。
impossible! 彼らは無能で学べない、と言ったのに。

それどころか、肉体労働者たちは言った
「家に帰っても練習する」
「娘がこの小学校に居るんだ。娘と一緒に勉強するよ」


"Change" means "make impossible possible".
誰かが、誰もが、不可能だと思う事をやらなくてはならない。

Change for the value.
協賛だとか、提案先だとか、提携先だとか、
そういう事ではなく、自分が、解く事に価値アリと信じる問題のために動かなくてはならない。


バングラディシュまで行った価値は、あった。
この4人のチームで、あの4人のチームで、本当に良かった。
あの瞬間僕は、とても、幸福だった。


他の何が否定されても、他の誰に否定されても、
あの人たちは自分の、名前が書けるようになった。そうだろ?
あの人たちの笑顔をつくる、お手伝いができた。そうだろ?



もちろん、そのビジネスを維持・拡大できなかった後悔は残るけれども。




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「Why!?」という言葉がある。

なぜ、どうして?
理由を問う言葉だ。


Whyを突き詰めて、真因を究明していくのは、およそ何か問題を解決するためには避けては通れないプロセスのひとつだ。

だが、この日本において、恐らく「なぜ」は厳しい言葉だ。責める言葉だ。

なぜなら、何か失敗をしてしまったとき。何かやってはならない事をしてしまったとき。
そういう時にだけ、この言葉が使われるケースが多いからだ。

「どうして、そういうことをしたの」
「なぜ、そんなことするんだ」

これは、原因追求のWhyではなく、真因究明のWhyでもなく、
単に、「責めるためのWhy」だ。

このWhyが暗示するのは、
「きちんと考えられないやつめ」とか
「マジでやめてくれ」とか、そういうことだ。
そういう拒絶のための、叱責のためのWhyだ。


そして往々にして、
「なぜ成功したの?」
「なぜ上手くいったの?」
「どうしてそんなに素晴らしいの?」

と言った事は問われない。
成功することは稀であり、その稀なことにこそ、Whyが問われるべきであるのに!


だから、
この国の人は、「なぜ」「どうして」を問われると、緊張する。
この言葉には、人を、真因究明よりも、言い訳や保身へとドライブする傾向がある。

そんなわけで、
相手が失敗したとき、あるいは、相手が失敗したと思っているとき、
「その“失敗”を責めているのではなく、ただただ、その改善を手助けしたいのですよ。
その改善というのは、具体的な行動を変え、異なる結果を創り出す事で、責任を追及したいのではないんですよ。
そのためには、あなたの思考や行動のプロセスを知る必要があって、良かったら、どんな風に考えたのかを教えてほしいんですけどー」

という、意味を込めて「なぜ」を問う必要がある。
しかし、その意味を込めても、この「なぜ」は「叱責」にとられる事が多い。
例えば、「なぜ」に対し、理由の説明ではなく、謝罪が返ってきたり。


だから、
「Whyの言い方」が一つのテーマになる。
「なぜ」を遠まわしに聞く必要がある。

・どうしたらもっと、上手くいくんだろう とか
・どこが原因で、上手くいかなかったんだろう とか
・目標と現実を整理してみよう とか。


そんな、やわらかい「なぜ」を探している。