せめて、僕の眼がとらえたように

  • 違う世界を、みているというのに。
 僕らはみな、違うように世界をみている。同じ世界を、違うようにみているのか。似た世界を、違うようにみているのか。それはわからない。わからない中で確実なのは、僕がどのように世界をみているか伝える手段は無いのだし、他でもないあなたが、どのように世界をみているか知る手段を持たないということ。
 
 人によっては人工物のレンズを使って、虹彩で光量を絞り、水晶体でピントを合わせ網膜に結像させる。光は電気信号へとエンコードされ、脳に送られ視覚野で解釈される。人工物のレンズ以外は、きっと世界中に2つと同じ形はなく。従って同じ世界をきっと見てはいないだろう。他でもない僕が、他でもないあなたと、どのくらいその差異があるかはいつまでも分からないけれど。
 
 視覚の話だけではもちろん、なくて。同じ物を見たようで解釈は異なるし、人と人との間のズレは、ときに破局へとその姿を還るものだし。分かりあえたようでも現実には以心伝心ではないから、ひとは、ふたつのアプローチをとる。
 
  • 真実には眼を瞑るのか。真実をせめてみようとするのか。
 分かったことにしたいし、分かりあえたことにしたい。鈍感になっていく。無感覚になっていく。迎合していくほうへ、ひとは時に駆動される。「私の感じた真実」よりも、目の前の人と「分かりあえたことにする」のが大切なのだと。真実にはしばし、まどろんでいてもらおう。痺れるような甘美なひとときのために。
 
 僕の中の真実が眼を瞑ろうとしないなら、違いを、自分の感覚を、大切にするよりなくて。その感覚を、言葉を尽くして話すのだろうししたためるのだろうし、つくるのだろうし、表現するのだろうし。わかろうと聴くのだろうし、視るのだろうし、息遣いを表情をとらえようと想うのだろうし、味わおうと感じようとするのだろうし。
 
この両極端の狭間で、あっけらかんともどかしさの間で、危うくもひとは揺れている。ふつうに生きていくには前者が良くて。たいせつな時には後者でありたくて。その間合いのあわない二人はなんとも間抜けで難しい。
 
  • 新しいカメラを買った。


 もう2週間も前になるけれど、SIGMA社のDP2xという単焦点カメラを買った。「ちょっと縁があってSIGMAを」という所も正直なところあるのだけれど、せめて、僕の眼がとらえた真実が、まっすぐに伝わるカメラが欲しかった。自分がいいなと思ったものの、せめて見た目が空気感が、伝わるといいなって。

 きっかけは、こうだ。Facebookで1,2ヶ月くらい前から、ちょくちょく美味しいご飯の写真をアップしている。まあこれが、残念なことに、美味しさがあんまり伝わらないのだ。いい雰囲気の飲食店は、人間の目にはちょうどよくて、ケータイのカメラの目にはちょっと暗すぎる。これじゃあ何も、伝わらないのだ。
 

  • 難しいカメラだった。

 ネット上のあらゆるレビューを読んでから買ったので「知っていた」のだけれど、気難しいカメラだった。パチパチ撮って、そこそこ出来の良い、お手軽なカメラではない。手ブレ補正もついていない。操作性もそう高くない。顔認識なんて無い。単焦点だから当然、ズームも無い。

 でも、光への誠意が感じられるカメラだなと思って買った。RGB全色を捉えるFOVEONセンサーと、そして国内工場で営々と60年レンズをつくり続けたSIGMAのカメラだったから。

 初日には、ひどい写真しか撮れなかったけれど、あらかじめ知らなかったことが徐々にわかってきた。他人に委ねられないカメラだと思った。枚数を撮っていいものを選ぶのではなく、ゆったりと身構えてしっかりと呼吸を整えて「この瞬間」を切り撮るような撮りかたが必要なカメラだと思った。

 

 同じ場所に居て、同じものを、同じように見ているようでいて、僕らは世界をきっと、違うように視ている。違うように視ているから誤解も生まれるし、わかりあうことは難しい。わかりあうことが難しいのは、もどかしいことだけれど、そこに伝える余白がうまれる。表現の余地がうまれる。言葉を尽くして書き、話し、撮り、編集し、仕上げをする。

「分かったつもり」になれる効率のいい平和で便利なコミュニケーションもいいけれど。時間の掛かる一歩一歩な、だけど真摯で豊かな時間。それを持つということを取り戻すのもいいなと僕は思ったのだった。いい写真を撮ることではなく、もどかしくも伝えようとした一枚を撮るという時間そのものを、たいせつにしたい。

 

美しさについて

  • 美意識が高いヤツは偏屈だ
    そして面倒くさい。誰かの思い通りにならないところに、彼の人の美意識はある。彼は美しいと思わないあらゆる事にノーをいう。その人が偏屈ではないならば、美意識なんてないだろう。わかりやすい美意識は迎合に過ぎない。もし迎合に美を感じるのではない限りにおいて。
     
  • 美意識とはなにか
    誰もが同意するなにかが綺麗、というのは他人ごとの美なのだと想う。それは美意識ではなく。
    美意識とは、自分ごとのこと。他でもない、まさに自分の問題として捉えるところに、美意識はあらわれる。
    お化粧の美しさに拘泥しないあの人も、テクストの段は緻密に組む。ガハハと豪快に笑うあの人も、生き様の美しさには妥協しない。
    美意識からはみ出たなにかは、まさにそれが自分ごとであるがゆえに、時に人を激昂させ幻滅させる。 
     
  • 真も善も
    美と対比するのに、何がふさわしいか考えを巡らせた。「真善美」という言葉を想起する。けれど真も善も、美の枠内に回収される。美の枠内に。
    真実を求めるのは、そこに美を感じるからだ。善でありたいと想うのは、それが美しいからだ。いやそもそも、美意識に従って生きることこそを善と本人は言うだろう。
     
  • 「美意識」と「楽しさ」と
    美意識と対比しうるのは「楽しさ」だと思った。美意識と楽しさは、きっと天秤の両側に載る。
    生きる上で美意識は人の行動を制約し「しないこと」を決める。楽しさはそこから外部へ向かおうとさせる自由の発露。
     
  • 美意識はその人のアフォーダンス、楽しさは結果
    美意識と楽しさの間を揺れながら、僕らは今日も。
    ああ、あはれでをかしいのね。
     
  • だから
    美意識の高い人と接していきたい。「その」美意識を共有できなくてもいい。そいつの美意識を楽しめればいい。それはつまり偏屈さをだ。
    自ら楽しめる人と接していきたい。楽しいことを知っている人は、人生の達人だ。

 

感動を、どこか求めて

 
  • みらいを、ひらく。

感動できるくらい、美味しいものを食べたい。 大切なのはそう、感動。 感情が動くような味を、舌触りを、温かさを、求めている。 会話が弾むのではない、むしろ会話を忘れるような、深くためいきの出るような。 そこでは人は、同じ感動を目撃した同志になる。

そういう、味蕾がひらかれるような食を、求めている。

 

  • 邂逅、そして

 美味しいものを食べるのは、昔からすきだった。 美味しい物をお腹いっぱい食べるのが好きだった。 でも感動を求め始めたのは最近だ。感動があれば、お腹いっぱいにならなくてもよかった。感動を求め始めて、せいぜい1年。キャリアが短い。 いろんな人に、教えてもらってばかりいる。ありがたい。

 ただ美味しいものを食べていた僕が、感動を求め始めたのは、感動と出逢ったからだ。

 

  • だって感情が動くのだから。

生の豊かさを変えてしまう何かがあるとすれば、そのひとつは感動だ。感動を味わうと、人生が豊かになる。感動のない人生は、きっと味気ないんだろう。 良いことばかりではない。中毒になる。もっと大きな刺激を求めるようになる。 次の感動を探すと、ハズレにだって、出あう。 でも、求めるために動くのは、いきものらしいと思う。

 

  • 感動を味わい、感動の紡ぎ手になる。

感動を、ひとつひとつの感動できる瞬間を機会を、味わい尽くしたい。そういう感受性を持っていたい。感動とは、こころが動くことだ。繊細に自身の、こころの動きを捉えられる自分でありたい。

感動の紡ぎ手になりたい。でもきっと「感動させてやろう」から感動は産まれない。こころを動かしたいなら、こころを込めて仕事をするしかない。

 

 

越境。あるいはわかりあえなくてもよいということ。

それはありがたいことに、レアな立ち位置に、居ることができているなあ、と、なんとなく思っている。ラベルを貼っていくと、若手起業家だし、大学院中退だし、IT・WEB系だし、ベンチャーだし。と、自分というものがクラスタリングされていく。けれど、クラスタを超えて関係を紡ぐということを、大切にしていきたいと思っている。

 

  • 世代間抗争

経験者と、知見を持っている人と、自分達よりも優れた人と、お師匠様と、一緒に働く。教えてもらう。こういう機会が結構ある。人生を通して出会った素敵な大人たちから、たくさんの素敵な贈り物を貰っている。

「若手起業家」という括りでいくと、僕達ワカモノが世界を変えるんです、という事で年輩の方を変えてやろうとしたり、居心地の良い同年代だけで何かをやろうとしたりする。傾向がある。そうではなく年上の方と、年下の方と一緒にやっていく。意見をもらう。教えて頂く。世代間を分けるのではなく繋ぐことで、自分たちの年代だけでは成し得なかった事ができるようになる。

最近、最年少上場を決めたリブセンスが、社長以下マネジメントクラスを、経験豊富なベテランで固めている組織図を見て、さすがだな~と思ったりした。僕らも経験豊富なひとたちと一緒にプロジェクトをやって、多くのことを教えていただきながら、年下ならではの、自分ならではの、貢献ができるといいなと思う。

一緒にプロジェクトをやっているわけではないけれど、還暦少年団にまた、遊びにいこうっと。

 

  • コンサル・金融・投資家

ありがたい事に、McK、BCG、GSなど、コンサルとか金融が主体の小規模でクローズドな会合・ホームパーティに、ちょくちょく呼んでもらえたりする。 ベンチャーのひとや、起業家は、コンサル嫌いだったりする傾向にあるので、こういう会合には結構居ない。 コンサルが、金融が虚業だと言う人だって、別に世界を変える仕事やひとりを感動させる仕事をしているわけではなかったりする。コンサルティング、いいじゃないですか。 

投資家のかたと、一緒に仕事をする機会を頂くこともある。それも、僕らの会社は僕らへの投資も、資金調達も、必要としていないのにも関わらず。事業の大枠を作り、会社を集め、資金を突っ込み、新事業をスタートさせるというその馬力を目の当たりにする。

 

大学院は辞めたけれど、大学でお世話になった先生がたには、まだまだお世話になり続けている。僕はどちらかというとワーカホリックの側だと思うけれど、賢いニートも好き。大企業や大企業のTOPの方々と、つてあってお話を伺えたりするのも僥倖。

まだなにものでもない僕らは、なにものかになったひとや、なにものかであることに安住している人に、時に嫉妬を抱いたりする。だから「起業家クラスタ」は時に大企業の無能無策を言ったりするけれど、まあ、公平に見れば、大企業はほんとうに凄い。まず、あれだけの人を雇えるということが凄い。スターに頼らない仕組みが凄い。学ぶべきことはたくさんある。

 
  • 違うことを楽しもう

わかりあえなくてもいい。わかりあえない、ということがわかりあえていればいい。どちらかが正しくなくていい。意見が違っていい。同意できなくてもいい。違う人生を歩んできた。だから、相手と違っていてもいいところの、自分の意見と想いを述べられる。自分の人生の上での実感値を持ってしか、自分は想いを込めてメッセージを放てない。

分け隔てなく接するということではない。「わたしとあなた」を分けているもの・隔てているものが面白い。あなたのやっていることに、興味は無くても、それをやっているあなたに興味はある。

それはきっと、人生の物語としての面白さ。

 

  •  僕が接しない相手

とはいえ、とはいっても僕は。誰にでも心を開いてニコニコ、みたいな感じではない。むしろこんなカテゴリを越えた所に、強烈な好き嫌いがあるのだと思う。自分にとって面白いか、面白く無いか。居心地が良いか、居心地がよくないか。そこに自然と拘っている感じがする。

たぶん「『わかりあえないことがわかりあえれば、それでいい』と、いうことを、完全にわかりあえない」ひととはダメなんだと思う。人を説得し、変えなくては気が済まないひととは。メタだなー。

「意志の不在」も気に入らないんだと思う。正解を外部に委ねるのではなく、自分のモノサシでもって、自分の社会や世間との違いを、楽しめる人がいい。

 

いったいぼくはどこに、居ないのだろう。

 

The first entry / Remember Hatena.

はてなBlogの、位置づけが決まらない。
  • 思えば、最初に使ってみたBlogは、はてなDiaryだった。受験生の頃Livedoor Blogに一時期浮気して、浪人生でまたはてなに戻ってきたのだった。「はてな」高校生の頃の自分に、不思議に心地よい名前だった。はてな。 独特の記法にも親しんだし、アカウントも2つ、3つ持っていた。ひとつはBlog、ひとつは集めたネタの保管庫として。2004年の初期だったと思う。確か、Blogを、始めたのは。
 
  • 2009年が終わると、Blogと疎遠になった。当時のmixi, Twitter, freedom-SNSなど、競合サービスでの人とのやり取りは楽しくて、Blogよりも優れた読み手は、はてなではないどこかに居た。いつのまにか、Blogに何を書けばいいのか、わからなくなってしまった。一時期やっていた本のレビューもやらなくなった。良い記事を書けば、ソーシャルブックマークはプレビュー数を集めたが、そこから人間関係が産まれていくことは無かった。
  • 人間関係といえば、浪人生の頃、単身上京して浪人した。駿台生だった。一人暮らしで、駿台寮でも無かった僕に、最初にできた友達は、僕のBlogを読んでいて、話しかけてくれた人だった。彼と何度かご飯に行って、他の友だちとも仲良くなって、気づけば彼とは疎遠になっていて、彼は駿台から居なくなってしまっていたけれど。
  • もう、その時の気持ちを正確には思い出せないのだけれど、そこには希望があった、ような。Blogを書くことで何かが起こるような、そんな感じがしていた。はてなの製本サービスで、いずれ自分のBlogが本になればいいなと思っていた。はてなは、僕らに何がしかの未来をみせてくれたのだと思う。オンライン上で知り合いだった誰もが、Blogを始め「テキストサイト」がBlogに次々と、駆逐されていった。すくなくとも、そのように見えた。 
 
  • いつのまにか、Blogは乱立しながら勢力を伸ばし、アメブロは芸能人に舵を切った一方、はてなは2005年「はてなブックマーク」をリリースして、それが人口に膾炙しはじめてから、吹き溜まりになった。記事の書き手の「目に付くが削除できない」聖域で、100文字以内の罵倒が日常茶飯事になった。「みんなで、いいものを掘り起こそう」と始まったはずの、はてなブックマークが戦場になっても、はてなは静観を決め込んだ。はてなは書き手にとって、居心地の良い場所でなくなっていった。はてなブックマークが集まると嬉しい。でも、ブックマークで変なコメントがあつまるのも怖い。これが戦略的なダブルバインドの設計であれば驚嘆する。
  • はてなはだから、僕にとっては既に終わった場所だった。気に入っていたけれど、飽きてしまった玩具をなかなか手放せないように、そこにログがあるから残っている。まとまったものを「他でも」書く時に「ついでに」そこに投げておきたくなる。もう、そのくらいの場所に過ぎなくなってしまった。
 
  • 新しいはてなが見せてくれる未来は、あるんだろうか。Ulog( ulog.cc )のデザインは洗練されていないけれど、未来の一端を垣間見れる。そんな未来が見れるなら、もうちょっとだけBlogに夢を、みていたい。

 

信用不安時代の組織・個人の在り方を考える/310277

  • "信用不安"時代

3.11以降、日本に住む僕らに、じわりじわりと信用不安が広がっている。と思う。ここで言う信用不安は何も、金融のそれではなくて、ひとり・ひとり、が、いったい何を信じればいいのか、いったい誰を信じればいいのか、よく分からなくなっていった、という事を考えている。

それはまあ、そのはずで、絶対的な安定株だった東京電力は暴落し、安全神話原発はメルトダウンして、こっちは元々だったけれど、政府も信用できないということが、リアルな、肌感覚として、分かってしまった。

国家のインフラであり、私たちの生活を支えてくれている電気、の、供給者は、まったく信用ならず、その供給者の管理していなかった原発は、水や食の問題にまで発展した。

そしてはた、と気づく。「何であれば信用できるか」がまだ、分からないということに。自分自身を、騙し騙し「大丈夫だろう」と想定するしかない。

  • 不安と恐怖は、怒りを生む

そういう想定は不安だから、そういう想定はストレスがかかるから、「信用できない」に過剰反応しがちになる。自分を守ろうとすると、むしろ相手に攻撃的になる。

フジテレビが日本より韓国を推している、偏向報道をしている、などとして、そのスポンサーの花王商品が、Amazonレビューで叩かれた。花王の洗剤「アタック」には、200件もの低評価がつき、5000人もの人が「そのレビューが参考になった」をクリックした。

それどころか、テレビ局のスポンサー一覧と、窓口、主要製品名、競合他社名、過去の不祥事、提供番組名が複数人で共同で編集可能なGoogle Docs上で上げられ、1000人もの人が、リストを毎秒更新している。

確かにフジテレビの報道姿勢は「これが偏向報道の証拠だ」みたいなサイトを見てみると、いかがなものか、と思ったりはする。それにしても、怖いくらいの熱気だ、と思う。

  • 「信用」はどこにあるのか

「信用不安」時代に、人々は信用できないものに、過剰に防衛的になる。とはいえ、日々取得する情報、日々摂り入れる食べもの、を、何にするか、私たちは選ばなくてはならない。信用できないものを叩くだけではなく、信用できるものを探さなくてはならない。守るだけでは、拒絶だけでは、人は生きていけない。

それでは信用は、どこにあるのか。不安なときに人は、何を信用するのか。

それは「自分」ということがキーワードになってくるのではないか、と思う。つまり、自分の目と耳で見聴きし、体感したものを信用する。想いに触れ、時の流れを感じ、心を動かされた何かを信用する。

だから、友人や同僚、一緒に仕事をしてきたクライアントのうち「信用できる」と思った人を、引き続き信用する。

そして、その「信用できる他者」が直接見聞きし、体験し、信用したものを、信用する。

つまり「「顔の見える誰か」から見えている誰か」を信用する。

    • 信用は個人の中にある

人を介して、ヒトを信用する。人を介して、モノを信用する。だとすると究極「信用」は個人の中にあるのだと思う。

言葉にしてしまうと、当たり前のことなのだけれど「顔が見える」個人として信用されることが大切。

ソーシャルメディアでは「顔を見せる」――文字通りFacebook顔写真は元より、思考のかかれたBlog記事、思考の断片の見え隠れするツイート、そして、その個人を信用する他の個人によって、自分自身というものを開示することができる。

要するにそれは、判断するための情報の開示であるし、読み手・聴き手に「自分で信用できるかどうかを判断する」機会を差し出すようなものなのだと思う。

例えばBlogに記事を書いた時、Twitterにポストした時、Facebookに投稿した時、提示しているのは:

・どのような事実に反応する書き手なのか
・どのような感情でいる書き手なのか
・読み手と思考が似ているか、似ていないか
・誠実か?誠実ではなさそうか?
・文体から察せられる雰囲気
・誰と繋がっているのか/誰が評価しているのか

こういったものを提示しているのだと思う。

    • 個人の集合体としての、組織

それでは、組織も、信用が欲しいならば、クライアントに、顧客に、消費者に、判断材料を差し出すしかない。

それは、

一体どのような個人が働いているか、という事実であるし、
お客様とどう相対してきたか、という歴史であるし、
商品やサービスに込めた想いを、いかに伝えてきたかであるし、
他者に紹介したくなる感動を、お渡ししてきたかという実績であるし、
宣伝、記事、商品から透けて見える、本音の部分の覚悟と信念

であるのだろう、と思う。


良い事をしている会社、良いモノづくりをしている会社こそ「判断材料」を多く出してくれればいいな、と思う。

さくらVPS + ruby環境で自動化諸々の、備忘録/306014

7月14日にはじめてさくらVPSに登録して、LinuxとかSSHってものに触り始めて4日目の素人の悪戦苦闘な試行錯誤的、備忘録。

  • 概要
    • 目的

24時間365日動いているサーバーを使って、毎時/毎日/毎週/毎月自動的にrubyのプログラムを実行したい。
理想は、

1.Rubyプログラムが毎日指定時刻/指定時間おきに走る
2.一週間に1回または、一ヶ月に1回、上記のプログラムを走らせた結果をまとめる
3.まとめたログが、メールで飛んでくる

こういう状況を創りたい。

    • サーバーレンタル + ドメイン取得

さくらVPSとお名前.comで仮想サーバーとドメインを取得

    • 環境設定
      • ドメイン設定

お名前.comにて、さくらVPSを登録

      • Unixことはじめ
      • SSHによるログイン

Poderosaをインストール。ログイン。
認証鍵云々は、割愛

目的

24時間365日動いているサーバーを使って、毎時/毎日/毎週/毎月自動的にrubyのプログラムを実行したい。

理想は、

1.Rubyプログラムが毎日指定時刻/指定時間おきに走る
2.一週間に1回または、一ヶ月に1回、上記のプログラムを走らせた結果をまとめる
3.まとめたログが、メールで飛んでくる

こういう状況を創りたい。

400ページ近くの、サイトにお世話になりました。特にお世話になったものについては、後段でURLを貼るが、残り数百のサイトについては、把握しきれていないので、こちらでお礼を申し上げます。有難う御座いました。

サーバーレンタル + ドメイン取得

さくらVPSとお名前.comで仮想サーバーとドメインを取得

さくらVPS

VPSとは、Virtual Private Server(仮想専用サーバ)の略で、
root権限も持てる、擬似的な自分専用サーバのこと、のようです。

今回使ったさくらのVPSは月額980円で

memory 512MB
HDD 20GB
CPU Virtual 2 core
Network 100Mbps(share)
IPv4 Address ×1
OS CentOS 5 86_64

こんなのがついていました。
レンタルサーバーと違って、色んなソフトや高機能な管理画面が入っていないし、そういった機能へのサポートも無いが、代わりに自由にできる、というサービスの模様。

お名前.com

年間.comドメインが300円のセールをやっていたので、お名前.comでドメインを取得しました。

環境設定

ここから、順次環境を設定していきたい。

Linux/UNIXことはじめ

さくらのVPSでは、SSH(Secure SHell)と呼ばれるプログラムを使って、遠隔操作することで、サーバーをコントロールする事ができるようです。
Unixのコマンドリストはここ

SSHによるログイン

Windows上で動くSSHをサポートしているターミナルエミュレータPoderosaというのをインストールしました。

ホスト:49.212.***.***(さくらから割り当てられたIPアドレス)
プロトコル:SSH2
ポート:SSH(22)
アカウント・パスワード:初期はrootと、さくらで作られたPass
エンコーディング:shift-jis
改行の送信:LF

など設定し、ログイン。

ドメイン設定

お名前.comにてドメイン登録。
たまに、.comドメインが300円/年間のセールをやっている模様。


お名前.comにて、さくらVPSを登録。

ここに書いてある通り

お名前.comにログイン
[ドメイン設定 > ネームサーバーの設定 > レンタルDNSレコード設定] と進む
対象のドメインを選んで、[入力画面へ進む] をクリック。
サブドメインを使うなら、[ホスト名]に入力、使わないなら、何も入れない。サブドメインありなし両方にする場合は、それぞれを追加。
[VALUE]にIPアドレスを入力。その後、[確認画面へ進む] をクリック。次の画面で、[設定する] をクリック。
手続きが終わったら、[ドメイン設定 > ネームサーバーの設定 > ネームサーバーの情報変更] へ。
対象のドメインを選んで、[ネームサーバー情報を入力する] に、「01.dnsv.jp」と「02.dnsv.jp」を入力。確認画面 を経て、[設定する] で終了。

暫くたつと(〜数時間?)ドメインが浸透して、取ったドメインにアクセスすると、VPSサーバーに行けるようになるが、まだwwwサーバーをインストールしていないので、このままではアクセスできない。サーバーに諸々、プログラムをインストールする必要がある。

サーバーインストールの概要

yumというパッケージインストールシステムを起動するコマンドを使うと、楽チンに色んなソフトウェアがインストールできます。

yum install softwarename
yum update softwarename
yum remove softwarename
yum search searchkeywords

などがあるようです。

yum -y install xxxx

のようにすると、全ての問い合わせにYes(y)と答えるオプションのようです。

vim(エディタ)のインストール

SSHでログインした状態から

yum -y install vim-enhanced

vimと呼ばれるエディタをインストールし

alias vi='vim'

によって、aliasを関連付けします。
(viというコマンドでvimというエディタが起動するようにする)

rubyのインストール(apache, sqlを含む)
  • ruby本体のインストール

このへんこのへんを参考に、Rubyをインストールします。

sudo yum -y install zlib-devel
cd /usr/local/src
sudo wget ftp://ftp.ruby-lang.org/pub/ruby/1.8/ruby-1.8.7-p371.tar.gz
sudo tar zxvf ruby-1.8.7-p371.tar.gz
sudo rm -rf ruby-1.8.7-p371.tar.gz

cd ruby-1.8.7-p371
sudo ./configure
sudo make
sudo make test
make install
cd ext/zlib
sudo ruby extconf.rb --with-zlib-include=/usr/include --with-zlib-lib=/usr/lib
sudo make
make install

zlib-develがあると、tar.gz形式とか解凍できるようになるみたいです。
今回は、私のローカル環境に合わせて、Rubyの1.8.7をインストールしました。

  • gemのインストール

gemは、yumのRuby版だと理解しています。

gem install xxxx

で諸々パッケージをインストールできます。

wget http://production.cf.rubygems.org/rubygems/rubygems-1.3.7.tgz
tar xzf rubygems-1.3.7.tgz
cd rubygems-1.3.7
ruby setup.rb
gem update --system

sqliteというデータベースソフトをインストールします

cd /usr/local/src
wget http://www.sqlite.org/sqlite-amalgamation-3.7.2.tar.gz
tar xzf sqlite-3.7.2.tar.gz
cd sqlite-amalgamation-3.7.2
./configure
make
sudo make install
  • gemを使って、Railsをインストール
gem install rake
gem install rails
gem install sqlite3-ruby
  • passenger

Passengerは、Railsアプリケーションを実行するためのApacheモジュールだそうです。ApacheというのはWebサーバーソフトウェアで、これがあると、サーバーをウェブで公開できるようになるみたいです。

gem install passenger
passenger-install-apache2-module

ここなどを参考に対話的に

yum -y install openssl-devel readline-devel

など、Passengerのインストールの際に足りないと怒られるパッケージ諸々をinstallします。

上手くいくと、途中で

Please edit your Apache configuration file, and add these lines:

LoadModule passenger_module /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/passenger-3.0.7/ext/apache2/mod_passenger.so
PassengerRoot /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/passenger-3.0.7
PassengerRuby /usr/local/bin/ruby

こういうのが出てくるので、控えます。

Deploying a Ruby on Rails application: an example

Suppose you have a Rails application in /somewhere. Add a virtual host to your
Apache configuration file and set its DocumentRoot to /somewhere/public:

<VirtualHost *:80>
	ServerName www.yourhost.com
	DocumentRoot /somewhere/public    # <-- be sure to point to 'public'!
	<Directory /somewhere/public>
	AllowOverride all              # <-- relax Apache security settings
	Options -MultiViews            # <-- MultiViews must be turned off
	</Directory>
</VirtualHost>

こういうのも出てくるので、控えます。

vi /etc/httpd/conf/httpd.conf

で、控えを書き込みます。

/sbin/service httpd restart

httpdをリスタートします。

ftpdのインストール

FTPdの中でもVerySecureらしいvsftpdをインストールします。
これを入れて設定すると、FFFTPなどでアクセスできるようになるみたいです。
vsftpdはここここを参考に入れました。

yum -y install vsftpd

でインストールして、

vi /etc/vsftpd/vsftpd.conf

でコンフィグファイルを編集。
大体参考サイト通りにやると上手くいきました。

と、これで、

このへんこのへんも参考に、ユーザリスト等なども編集し、

cd /var/www
chown -R ユーザー名. フォルダ名

などしてやります。(アクセス権限を与えないと、FTPでファイルが見れても、Up/Downできません)

設定が完了したら、

/etc/init.d/vsftpd restart

FTPサーバーを再起動させます。

postfix+dovecotのインストール(メールサーバー)

ここを参考に参考ページ中間から↓の、postfixというメールサーバーをインストールします。
ここもかなり参考になりました。

ちなみに、

chkconfig xxxxx on

などすると、サーバー再起動時に、自動的にプログラムも立ち上がるようです。

crontabのインストール

crontabという、設定時間ごとに、自動でプログラムを起動できるものがあります。

yum install crontabs

でインストールし、

crontab -u root -e
などで設定を編集します。

sh(シェルスクリプト)について

SSHのコマンドをまとめて、-.shの形で書いたものを、シェルスクリプトと言います。
ただし拡張子無しでも機能するようですが、シェルスクリプトとわかりやすいように、shと書いておくようです。

sh ./xxxx.sh

のように書くと、スクリプトが実行されていきます。

crontab + sh

設定の編集方法はこちら


・改行コードがLFじゃないと、引数を上手くよみこまない。
・きちんとcd /絶対パス/ するか、/絶対パス指定/ するかしないと、フォルダを超えたアクセスが機能しない

などに苦労しました。

crontabにPATHを通すのも重要です。

crontabの設定ファイルの設定イメージは

#!/bin/sh
PATH=$PATH:/usr/local/bin:/bin:/usr/bin:usr/local/bin/ruby
MAILTO = root
#4日おきに、5時0分に実行ファイルに権限を付加
0 5 */4 * * chmod +x /var/www/html/xxxx/xxxx.sh
#その1分後に実行
1 5 */4 * * sh /var/www/html/xxxx/xxxx.sh

こういう感じです。

一方、shファイルの方は、rubyを利用するものが

#!/usr/local/bin/ruby
cd /var/www/html/xxxx/
ruby ./xxxxxx.rb ../in/xxxxxx.txt ../out/xxxxxx.csv 100

みたいなイメージ
shellだけのものが

#!/bin/sh
#this file is for twitter follower log
cd /var/www/html/xxxxxx/
#バックアップファイルをCopy
cp -p ./superlog.csv ./backup/superlog_`date +%Y%m%d`.csv
# mailを送信#1
uuencode /var/www/html/xxxxxx/superlog.csv `date +%Y%m%d`_superlog.csv | mail -s "mail title" mailaddress@mail.com
#ファイル削除
rm -f /var/www/html/xxxxxx/log.csv

こういったイメージです。

.htaccess

ここのサイトや、ここのサイトを参考に、上記の実行ファイルやログが載っているフォルダについて、アクセスにパスワードが必要なように設定しました。